潮染む

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「へえ、交換条件?」 「そう、です」 「なに?」 「三度目、あったので。ちゃんと、おともだちになってください。それに——」 「それに?」 「さゆって、呼んでもいい?」 「すきにすれば」  絶対にさん付けなんてしてやらない。敬語ももう使わない。  二度目の餃子のときは向こうはタメ口で私は敬語だった、彼は私に敬意を払うつもりは微塵もないのだから、私だってそうしてやる。年下だし。  それにしても、なんだ「さゆ」って。可愛すぎるじゃないか。「冴」って漢字で書くとかっこいい印象だけど、私はあえてひらがなの「さゆ」って呼んでやる。さゆ。ほんとにめちゃくちゃ可愛いな、さゆ。さゆ。さゆ。  ひとりになった応接室で三人がけの長いソファに横になり、薄く漂う彼の残り香を肺いっぱいに吸い込みながら、何度も何度も、「さゆ」と心のなかで呼び続けた。香りを吸い尽くしてしまうまで。 ◆  事務作業や接客から、ポスティングやSNSの更新といった広報活動、政策のためのデータ収集および分析、施設やイベント訪問の同行。議員事務所のインターン生には意外なほど様々な業務が待ち受けていた。夏のあいだは通常、国会は閉会中だし、今夏は選挙もないのでまだ楽らしい。会期中や選挙期間中だと猫の手も借りたいくらい忙しくなるとのこと。 「だから夏のインターン終わっても手伝いに来てくれると助かるなあ」  A4の書類の束に目を通しながら、母の秘書のひとり、月木さんが私たちに言った。母とは正反対に、控えめで柔和な印象の男性だ。私とさゆは日々、主に月木さんの指示を受けて働いている。今は、政策立案に関わるデータの整理を手伝っている。私は、役所で集めてきた資料に目を通しながら参考になる箇所にチェックを入れていて、さゆはパソコンに数字データを入力しているところだ。  夏休み開始と同時にはじまったインターン。ふたりだけのインターン生である私たちは大概横並びで扱われ、四六時中隣合っている。 「ぜひお手伝いさせてください。僕ももっと勉強したいので」  さゆがにっこりと笑う。 「夜長くんは本当に良い子だなあ。仕事もできるし、このままスカウトしたいくらいだって先生も言ってるよ」 「ありがとうございます」 「どう? 議員秘書。うちは福利厚生充実してるよ」
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