0人が本棚に入れています
本棚に追加
「だから、かおる、ロンドンなんかに行くな!」
外の世界は、切り取り線のような雨が続いている。
私の視線は、父の顔とかつてギターだったものを行ったり来たりした。
「だからっ、ロンドンに行かないとっ!私はっ!もう生きていけないのっ!」
「そんなことない!」
「自分勝手だとは、思うけど、俺は、いつだってかおるには、かおるの人生を生きてほしい!そう思ってる!」
「うるさい!うるさい!うるさい!」
「もっとだらけたっていいし、目標なんか作らずに、生きるのもきっと楽しいんじゃあないか!?」
「うるさい!うるさい!うるさい!」
揺り動かされるようにイヤホンを奥に差し込む。
もう、声なんて聞こえないように。
「うるさいのは、アーロンだろ!?」
うるさいのは、アーロン?
ふと、ポケットの中に重さを感じた。それは、スマホだった。
「かおる!そいつをぶっ壊せ!そしたら、雨は絶対に上がる!」
心臓は思ったよりもゆっくり鼓動を打っていた。
こんな時でも、私の身体には、音楽が流れている。
その事実は、無意識のうちに、アーロンを欲しているということだった。
耳から生えたワイヤレスイヤホンを撫でさする。
そして、私はイヤホンをすぐさま耳から引き抜いた。
勢いそのままに、イヤホンを宙に放る。
足元に転がる二つの塊。
それらを一心に踏みつける。何度も、何度も。
新鮮な空気が肺に入ってくると、私の身体に住み着くアーロンが、ジャンジャン、ギターをかき鳴らし、カオリ!ヘルプミー!ヘルプミー!と叫んでいる。
脳が驚き、目の前で編まれていく、ちかちかするような色たち。白の、赤の、青の、黒の、色たち。
私は、水たまりに向かって、スマホを思い切り叩きつけた。
派手な水飛沫が上がると、肩で息をしながら、その場に立ち尽くす。
世界に永久凍土みたいな沈黙が訪れる。
かおる!と声が聞こえると、私は強く引き寄せられた。腕が作り出す空間にしっかりと収まる。まるで、そこが私の定位置であるみたいに。
「ごめんな、ほんとごめんな」
指を滑り込ませると、人の体温と鼓動が伝わってくる。
抱きしめられているというよりも、ふかふかのパン生地に身体を包まれている心地になった。
暖かい涙が無闇に頬を濡らす。
腕の力がいっそう強くなる。
ずっと高いところから淡い光が差し込んでくる。爽やかな香りが鼻先をくすぐる。肌を撫でるように何度も掠めていくよい風とそうでもない風。
「おかえり、かおる」
その声に思わず「ただいま」と返す。
雨は、もうとっくに上がっていた。
最初のコメントを投稿しよう!