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美海(みなみ)の人生は輝いていた。
それなりに裕福な家庭に生まれ、自分を溺愛する両親にすべてを肯定されて育てられた美海は、いつだってプリンセス気分だった。
美しい両親のこれまた良いところばかりを受け継いだ美海の容姿は人を惹きつけてきたし、人生においてクラス内どころか校内で一番可愛い女の子のポジションを他人に譲ったこともなかった。芸能事務所からスカウトを受けたことだって一度や二度ではなかった。
さて、そんな美海は自分の魅力に自覚的だったから、この容姿と愛嬌を最も活かせるのは芸能の道だと確信していた。
だからごく当然に、高校生になった美海は著名人を多く輩出している芸能事務所に所属することを決めた。
歌と演技のレッスンを受けながら、その半年後、美海はとある新プロジェクトの――アイドルグループのメンバーに選ばれることとなった。
「まあ、予想通りかな」
美海はその結果に満足していた。
おそらく自分はセンターポジションに抜擢されるだろうと、美海は確信していたからだ。自分よりセンターが似合う同年代の人間がこの事務所にいないことを、美海は知っていた。
だが、その期待はすぐに裏切られることとなる。
何故なら、美海の輝かしい人生は、あの日一変した。
そう、きららに出会ったあの瞬間に。
初めて事務所のレッスン室で彼女と引き合わされた時、美海は思わずその場に立ちすくんでしまった。
新しく事務所に所属することになったきららは、今まで見てきた誰よりも圧倒的に美しかった。背が高く、肌は透き通るように白く、殆ど化粧をしていないというのに瞳を縁取る長い睫毛はマスカラを何重にも重ねたような輝きを放っていた。
美海が人生で初めて、自分が霞んでいる、と実感した瞬間だった。
案の定、きららはセンターだった。美海は二番手。七人グループでそのポジションは、恵まれていると理解している。けれど、美海には衝撃だった。
◇
それから一年が経ち、美海の所属するアイドルグループは無事にデビューした。
センターはきらら。彼女の容姿と、キャッチーな曲がインターネットで話題にもなり、比較的順調にファンを獲得することができた。
美海も人気メンバーだった。可憐な容姿をよく褒められたし、ダンスだって歌だって好評で、オールマイティーなアイドルだとファンはいつだって称賛してくれた。
そう、美波は何でもそこそこ出来てしまう。
だからこそ、これまでプリンセスとして生きてきた美海のポジションは、グループで一番可愛いビジュアル担当などではなく、場を取り仕切るMCポジションになってしまっていた。
美海は思う。場を取り仕切る立場は難しい。
MCを失敗すると他担には叩かれるし、かといって怖気付いて喋らないでいると仕事を放棄していると文句を言われる。
なんで私が、と美海は何度も思った。他のメンバーは私が降った話題に答えるだけでいいのに、何故自分だけこんなに必死なのかと。
そんな不満を抱える美海を横目に、きららはモデルとして有名ブランドとの専属契約を結び、ファッションショーにも招待されていく。美海はファンしか見ないような地方のローカル番組の台本とにらめっこをしているのに。
しかも、きららは歌が上手かった。歌が上手くていいとびきり綺麗だから、口下手であまり喋らなくたって、クールビューティーだと持て囃されていた。美海はそれが気に入らなかった。
……それでも。美海はファンの声援がほしかったから、辞めることはなかった。
だがある日、美海はMCを失敗した。
案の定、ファン内の小規模な範囲ではあるがインターネットは荒れて、いわゆる「炎上」してしまった。
そのとき初めて、アイドルを辞めようと思った。
冷静になってしまったのだ。元々はこの道が向いていると思ったから進んだのに、振り返ってみれば思い通りになったことなどなかった。どうしてこんなバカらしいことを一年も続けてしまったんだろう、と思う。
早速マネージャーに話をしよう、と美海が決意した夜のこと。
美海はきららに呼び出された。きららはいつも通り澄ましたような顔でやって来たので、美海は眉を顰めた。用件がわからない。
「何、きらら。どうしたの?」
「美海ちゃん、辞めるのかなって」
美海とは誰よりも付き合いが長かったし、コンビとして人気もある。しかし二人は個人的に連絡を取ったことなどほとんどなかった。ここまで清々しくビジネスである関係性も珍しいだろう、というほどに。
なのに、きららには誰にも言っていなかったはずの決意がバレている。意味がわからなかった。
美海の前できららは首を傾げた。
「辞めるの?」
問いかけられて、渋々頷く。
「……まあ、ね」
「……へえ」
無言が続く。
「じゃあ、私も辞める」
「は?」
なんで、と美海は呟いた。
果たして、きららは言った。「意味ないもん」と。そして、きららは口を開いた。
「私達って、よく言うじゃん。歌を聞いてくださいって。歌を聴けば私達の気持ちがわかりますって」
「へ?」
いきなり何だ、と美海は思う。
「私、今日気づいた。あれって事実じゃないんだって」
きららは美海をまっすぐ見て行った。
「言葉じゃないと、伝わらないときもあるんだね。だって、結局美海ちゃんに私の気持ちが伝わったことなんてなかった。美海ちゃんは、私なんか気にかけたこともないから」
何を言うんだ、と美海は本気で思った。
気にかけてこなかったのは、きららの方だろう、と。
しかし、美海はその時気づいた。きららの瞳はうるうると揺れている。それすらも絵になるのだから、ズルかった。
果たして、きららは告げた。
「……美海ちゃんは、私の歌聞いても何とも思わなかっただろうけど、私は………ずっと友達になりたかった」
憧れだから、ときららは声を震わせた。
「……知らなかった」
「初めて美海ちゃんを見たとき、こんな可愛い子がいるんだって思った。しかも、歌もダンスも喋りもなんでもできて、一緒に活動できてうれしかった。でも……」
きららは俯いた。
「なかなか、私、話しかけられなくて……。距離の縮め方とか、わからなくて」
きららが言葉を詰まらせながら話し続ける。
「それで、歌えば届くかなって……でも、美海ちゃんは私のファンじゃない。同じステージの上で隣にいるから、当然気付かれるはずもなくて……。いつも私なんて眼中になった」
「………」
私はなんだか泣きそうになった。なんでだろう。けれど、何かが報われたような、そんな達成感がじわじわと胸の中に広がっていく。
「……そんなの気付かなかった」
「……うん」
きららが切なそうに微笑む。
そのとき、ああ、と美海は思った。今この瞬間、アイドルを辞めたいなんて気持ちが消えている。
美海はまだ、アイドルで在れる。
美海を愛してくれる存在が、傍にいてくれるらしいから。
「――ありがとう」
そして、美海は宣言した。
「辞めないよ。アイドル、辞めない」
きららが大きな瞳を見開いた後、涙を溢して頷いた。
美海は思う。多分、今この瞬間こそ、二人はようやく隣に立ったのだと。
美海はずっと、この美しい少女に――きららに認められたかったのだ。
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