迷・ブロードウェイ

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迷・ブロードウェイ

 その日、吉田は気分上々であった。何故かと言うと、SNSで知り合ったとあるフォロワーと会う約束があるからである。  フォロワーの名前は「ノガ」だ。ポップで可愛らしいキャラクターをプロフ画にして、絵文字を多用しながらいつもテンション高めに吉田とSNSで会話をする。  吉田はいつも仲良くしてくれるノガの事が気になっていたので、「今度オフ会しよ〜!」と言われた時はもう有頂天であった。即座に予定を空けてノガと会う約束をした。それが、今日の夜なのである。  深夜、バスも電車もない夜道をスキップして歩く吉田。駅についても人はまばらだ。待ち合わせ場所に続く商店街の道も人はいない。灯りこそついているけれど、人通りの多い昼間とは違う顔を見せている。だが、そんな事は今の吉田には関係がなかった。  待ち合わせ場所である中野ブロードウェイに到着すると、吉田はニヤニヤそわそわと辺りを見回したりスマホをいじったりした。こんな所は、鹿又には見られたくないなあなどと吉田が思ってすぐだった。 「あれ、吉田先輩。何してるんですか?」  聞き慣れたテンションの低い声に、吉田が飛び上がる。そのまま勢いよく後ろを向くと、そこには見慣れた男の姿があった。鹿又である。 「か、鹿又……何でここに!」 「何でって、今日駅の近くでバイトだって言ったじゃないですか」  よりにもよって中野駅かよ! なんて、吉田は叫ぶに叫べなかった。そんな事を言えば「よりにもよって、ってなんですかそれ?」と怪訝な顔をされるに違いない。  吉田は、何とかやり過ごさねばと思った。ここで鹿又を家に帰し、俺はノガと素敵なオフ会をするのだ! そう気を引き締め、一つ咳払いをすると鹿又に向き直る。鹿又、もう家に帰る時間だろ? と、無理矢理作った笑みで話しかけようとした。 「あのぅ、もしかして吉田クンですかぁ」  まるでアニメみたいな声がして、吉田と鹿又が声のした方を見る。吉田、瞬間に大きく口をあんぐりと開けた。 「アハ、やっぱりぃ〜。吉田クンだぁ。ピンクだからすぐわかったよぅ」  吉田と鹿又の前に駆け寄って来る、淡い水色のツインテール美少女。吉田が固まっていると、美少女は整った前髪をちょっといじりながら笑った。 「ノ、ノガちゃん、なの……?」  白いシャツの上からパステルブルーの大きなパーカーを着た生足の美少女に問う。美少女は不思議そうに「そーだよ? ノガだよぉー?」と言う。 「……吉田先輩。俺、ちょっと交番行ってきますね」  鹿又が冷たい声と共に歩き出そうとしたのを、吉田が「ちょっと待ってッ!」と引き止める。鹿又が言いたい事が吉田にはハッキリわかっていた。  目の前に現れたノガは、明らかに未成年の少女だ。白くて綺麗な幼顔にくりっとした澄んだブルーの瞳……こんなアニメみたいな未成年がいるか! と叫びたくなるが、今の世の中じゃどんな未成年がいるかなんてわからない。もしかしたら、コスプレが得意な未成年かもしれない。  鹿又は、吉田に犯罪者を見る様な目を向ける。こいつは法で裁かれなければいけないと鹿又は思っていた。吉田もまた、鹿又が自分を犯罪者と決めつけている事を察知して、きょとんとしているノガに慌てて尋ねる。 「あ、あの……ノガちゃん。一応聞くんだけど、君……未成年だったりする?」 「えー、吉田クンは女の子に年齢聞くタイプなんだねぇ?」 「ウッ! で、でも、めっちゃ大事な事だから!」  吉田が狼狽えつつもノガにそう言うと、ノガはアハハと愉快そうに笑った。 「ごめんねぇ、冗談。私ちゃんとハタチ超えてるよん。安心して?」  ノガの言葉に心底ホッとする吉田。だが、鹿又はまだ疑っていた。彼女が成人である証拠を見せてもらっていない。こんな所で吉田と二人で警察に通報されるなんてごめんだし、今のうちに同居を解消する手続きをしようと思いながら、鹿又は「じゃあ、俺はラーメン屋寄って帰ります」と逃げ出そうとした。 「あ! 待ってよ鹿又クン」  逃げ足の鹿又が驚く。何でコイツ俺の名前をとノガを見ると、ノガは人懐っこい笑みを浮かべて言う。 「吉田クンからめっちゃお話聞いてるよぉ! この前、居酒屋で君が泥酔してる動画が吉田クンから送られてきたの、すっごく面白かったなぁ」 「……は?」  オイそれどういう事だ。吉田を震えながら睨みつける鹿又。吉田は「ヒェッ……お、俺も酔っぱらってたんですぅ……!」と情けない声を上げる。そんなの関係あるかと鹿又が吉田の胸倉を掴もうとしたが、ノガに止められた。 「もぅ! 二人共ぉ、今日はノガと遊びに来てくれたんでしょー! こんな所で突っ立ってるより中入ろうよぅ!」  ノガが吉田と鹿又の腕を引っ掴む。鹿又は「俺は関係ないです」と文句を言いたくなったが、既にノガに引きずられてブロードウェイの中に入ってしまった。シャッターの閉まった道を歩き、エスカレーターに三人で乗っていく。 「……というか、この時間帯のブロードウェイって営業してなくないですか」  エスカレーターに乗ってから、鹿又は気づく。「そうなの?」と首を傾げる吉田は、実は中野駅周辺の観光スポットに疎かった。ブロードウェイも、数えるくらいしか来た事がない。  その反対に、鹿又はよく昼間の中野駅に足を運ぶ事も多かった。中野駅経由で、頻繁に用事がある秋葉原に行けるからだ。それもあって、鹿又は秋葉原に行く前や行った後に中野ブロードウェイをよく散策しているのである。 「ふっふっふ~、なんと今日は、ブロードウェイの秘密のスポットに二人をご招待しちゃうんだよぅ!」  ノガが、吉田と鹿又に指さす。指された二人は顔を見合わせた。 「秘密のスポットって……なんでノガちゃんそんなの知ってるの?」 「そりゃあ何を隠そう、ノガはこのブロードウェイの住人なんだもん!」  吉田がぽかんとする。鹿又は「電波女かよコイツ」といよいよ険しい顔をしたが、ノガの言葉の意味が何を示しているのか気が付いた。 「……なんだ、ブロードウェイの上層階に住んでるんですか」  実は、ブロードウェイの上層階はマンションになっているのである。かの有名なミュージシャンも住んでいると噂されているブロードウェイのマンションに、まさかノガが住んでいるとは。鹿又は眼鏡のブリッジを押し上げ、ノガを見る。  ノガは自慢げに笑って「ウラヤマシ~でしょ?」とブイサインを作る。鹿又が「別に」と微妙な顔をしたのと反し、吉田は「ノガちゃんスゲェ~!」と目を輝かせ…ふと気が付く。 「……にしても、エスカレーター長くね?」  ブロードウェイってこんなもんなの? と首を傾げる吉田。鹿又も、それに気が付いていた。エスカレーターは一階から三階まで直通なのは知っているが、こんなに長かった覚えはない。 「言ったでしょぉー? ブロードウェイの秘密のスポットだって」  ノガが笑う。可愛らしい微笑に、吉田は「そっかあ」と笑う。鹿又はそんな吉田を冷めた瞳で見ていた。  それからしばらくして、明かりがキラキラと光るフロアへと三人が到着した。ノガが両手を広げて「よーこそ!」と自慢げに目を細める。吉田はフロアに広がる光景に息を呑んだ。  吉田と鹿又の目の前に広がったフロアは、凄まじいものであった。一本道の出来たフロアの両脇には、ガラスのショーケースと背の高い本棚がずらりと並ぶ。ショーケースの中にはフィギュアやゲームソフトなどの様々なグッズが所狭しと並んでいる。本棚も、ぎっちりと本が詰め込まれていた。吉田はショーケースに飛びついて「あれ! 俺が子供の頃持ってたやつだ!」などと言ってはしゃいでいる。  鹿又は、本棚に並べられた本をまじまじと見つめる。何か違和感があった。背表紙に書かれた文字が読み取れないのだ。文字が全てぐちゃぐちゃになっている。印刷ミスだろうか。  疑問を口にする前に、吉田に引っ張られてショーケースを横切る鹿又。ショーケースの中のフィギュアの足が、変な方向に折れ曲がっていた気がした。フィギュアの棚下に置かれたブラウン管テレビが不思議な音楽を奏でている。  妙な空間だ。鹿又がそう思っている間にも、ノガと吉田は子供の様にはしゃいでいる。二人がどんどん歩いて行ってしまうので、鹿又はそれについて行くしかなかった。  しばらく散策をすると、三人で妙にメロウな雰囲気の漂うレトロな喫茶店に入った。ボックス席に吉田と鹿又で並んで座り、机を介してノガが満足げな笑みを浮かべている。 「はぁ~! 今日は吉田クンと鹿又クンがいるからいつもより百億倍楽しい!」  ノガの言葉に、「百億倍って大げさだなー」と吉田がデレデレしている。鹿又は胸のうちの違和感を拭えないまま黙り込む。そういえば、ウエイトレスはまだなのだろうか。 「私、遠くに行けないからさぁ~吉田クンがここに来てくれるってなった時めちゃ嬉しかったよぉ」 「え、駅近いんだし何処にでも行けるじゃん」  吉田の言葉に、ノガが一瞬ピタリと動きを止める。それからすぐに悲し気に笑った。 「あはは。私ね、ここから出られないんだぁ」 「出られないって、どういう事ですか?」  違和感を胸の内に抱えた鹿又がノガに問う。鹿又は、増幅する違和感に段々恐怖が混じってきていた。ここは何かおかしいと、頭の奥が騒いでいる。 「あは、そんなのどうだっていいじゃん。それよりさぁ、後で別の場所にも行こう? 二人になら……」 「いいから答えて下さい!」  そう、鹿又が声を荒げた瞬間だ。カチャン、と机に何かが置かれる音がした。ハッとして机を見る。吉田が、ヒュッと喉を鳴らした。  机に置かれたのは、コーヒーカップと大きな皿だ。その中に……錆びたミニカーや首のもげたソフビ、汚れた人形の手足などが山の様に盛られている。 「ノ、ガちゃん……これ、何の冗談?」  吉田が口元を引きつらせる。だが、ノガは机に肘をついて「ん? なにが?」とニコニコと笑っている。吉田が、段々と顔を青くする。 「ここの喫茶店ね、コーヒーとサンドイッチが美味しいんだよ。私、すっごく大好きでねぇ~。二人に食べて欲しかったの」  鹿又と吉田が絶句する。ノガは変わらない明るいトーンで話を続けていく。 「私わかったんだぁ。吉田クンとぉ……鹿又クンがいてくれたら、私寂しくないって。他の皆の事も大好きだけどね? 二人は特別だから」  ねえ、ずっと私と一緒にいてくれる?  カクリと、彼女の首が人形のように不気味に傾いた。  ****  気づけば、吉田と鹿又は何処からともなく現れたエレベーターに飛び乗っていた。とにかく戻ろうと、鹿又が一階のボタンを連打する。この時、鹿又は「いつも格闘ゲームのボタン連打を練習してて良かった」と頭の中で思っていた。  吉田は走った勢いと恐怖で心臓をバクバク言わせながら、狭いエレベーターの中にへたり込んだ。  一体何だったんだろう、あれは。鹿又と吉田が無言で考える。自分達が見たものや触れたもの、その全てが気味悪くて仕方がない。鹿又がハァと大きくため息を付くと、吉田が小さな声で「か、鹿又……」と呼んだ。 「なんですか? こっちはアンタの所為でとんでもないのに巻き込まれたんですけど? 俺はただバイトから帰ってただけなのに……!」 「そうじゃないって! あれ! 上のとこ見て!」  上? と、吉田が指さす方を鹿又が見上げる。目線の先では、階数を示すメーターがめちゃくちゃに点滅していた。これでは、ここが何階なのかわからない!  鹿又は何度も一階のボタンを押した。頼むから、無事に家に帰してくれと願いながら。 「た、助け呼ぼう! 警察……ヒィッ!」  慌ててスマートフォンを取り出した吉田が、すぐにスマホを投げ出した。今度は一体何だ? 鹿又が吉田の投げ出したスマートフォンを覗き見る。  そこには、SNSのダイレクトメッセージの通知が何個も来ていた。 「なんで逃げるの?」 「一緒にいてよ」 「寂しいよ」 「逃さないから」 「逃さないから」 「逃さないから」  鹿又の背筋に冷たいものが走る。自分達は、このまま出られるのだろうか。絶望と恐怖が密室を支配していく。  ふいに、エレベーターの速度が落ちる。  何処かに止まる。しかし、扉が開いたら何が起こるか二人にはわからなかった。  小気味の良い音がして、エレベーターが止まる。鹿又は閉まるボタンを何度も押した。 「ねーえ、二人共ぉー、開ーけーてー」  エレベーターの扉の向こう側で、突然ノガの甲高い声が聞こえた。吉田と鹿又が硬直する。鹿又は死にものぐるいでボタンを押し続けた。 「ノ、ノガちゃん!」  裏返った情けない声で、吉田が扉に話しかけた。鹿又は「コイツ正気か」と吉田を見る。吉田は扉の方を見ながら、震える声で叫んだ。 「お、俺達! 君の……友達にはなれない! ごめん! お願いだから……帰って!」  へたり込みながらも必死に言葉を紡ぐ吉田を、鹿又は見つめることしかできなかった。  扉の向こう側から音が消える。立ち去ったのだろうか。そう思った時だ。  ドンッ……一発、扉が殴られる。 「つまんないの」  エレベーターが、静かに動き出した。  ****  そこからの時間間隔はあやふやだった。とても長い時間エレベーターに乗っていた気もするし、非常に短い時間だった気もする。  気づくと、エレベーターが何処かに到着する音と共に扉が開く。ぐったりした吉田と鹿又を迎えたのは、外国人観光客であった。  ようやく辿り着いたブロードウェイの入口、そこは既に昼下がり。太陽が高く昇り、ビルの隙間から清々しい青空が見えている。  深夜とは打って変わって、ブロードウェイ内も商店街の通りも人でごった返していた。  多くの人が行き交う姿を見つめながら、吉田はがっくり肩を落としている。その隣に、徹夜明けでゲッソリとした顔の鹿又がいる。 「……駅前の蕎麦屋でも行きますか」  鹿又の言葉に、吉田は曖昧に頷いた。二人はふらふらと人の波の中に飲み込まれていく。  そして、最後まで彼らは気が付かなかった。  足元にあったジャンク品ボックスの中に、水色髪の少女が埋もれていることを。
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