3人が本棚に入れています
本棚に追加
1
幸せ犬の姿を見ると、良いことが起こる。ただし、幸せ犬は放課後のチャイムが鳴った後にしか現れない。
「ほんとかよー」
恭介がそう言って笑うと、友人の真一は黒いランドセルを揺らしながら口を尖らせた。
「ただの噂だって。なあ、悠士くん」
ひと学年上で六年生の悠士は、拾った枝でガードレールをかんかん叩きながら意地悪そうに笑った。
「恭介、怖がってんだろー。おまえ、寝る前に一人でトイレも行けないらしいじゃん」
「そうなの?」
「そんなわけねーし!」
同じ帰り道を歩く四年生の春貴が驚いた顔をするのに、恭介は肩を小突く真似をする。放課後の通学路、同じ方角に家のある四人は、ふざけあって一緒に帰ることが多かった。開けた郊外の道は右手に田圃と畑が広がり、六月下旬の湿気が溜まっている。早くも蚊に刺された腕をぼりぼりかきながら、恭介は幸せ犬の姿を想像した。
「てか、幸せ犬って何犬? 誰か見たことあんの」
「そういえば、ゆきちゃんが見たんだって。あの、橋渡ったとこの」
「マジで?」
恭介の驚いた顔に、真一が頷いた。ゆきちゃんとは今年小学生になったばかりの女の子だ。前を歩く悠士が不審そうに首をひねる。
「でもゆきちゃんって一年だろ。なんでそんな時間まで学校にいるんだよ」
「知らないけど。見たって言ってただけ」
「……幸せ犬って、喋るんだよね。ゆきちゃんも聞いたのかな」
四年生の春貴が不安げな顔をした。彼は足を蚊に刺されたのか、片足でぴょんぴょん跳ねながら器用に左足をかいている。
幸せ犬は人間の言葉を話すらしい。それも一言、「鬼ごっこしよう」と。そんな学校の怪談らしいところが、恭介は気に入っていた。放課後だけに現れ、姿を見た者に幸福をもたらす喋る犬。是非とも見てみたいと心から思う。
打ち合わせたわけでもなく、四人は橋を渡り回り道をした。ゆきちゃんは、家の玄関先で友だちと縄跳びをしていた。
「しっぽがね、くるんってしたよ」
「くるん? それって柴犬とか? ゆきちゃん、何時ぐらいに見たの、あと学校のどこで見た?」
「恭介、食いつきすぎ」
諌める真一がゆっくり聞き出すに、ゆきちゃんはお母さんの懇談会が終わるのを待って、校舎を散歩していたという。普段はあまり用事のない二階が気になり、階段を上ってみると、左に折れる廊下の方から犬の茶色いお尻が見え、床に尻尾が垂れていたそうだ。
「あれ、ぜったいいぬだよ。にしざわのおばあちゃんちと、おんなじ色だったもん」
四人は揃って道の先に目をやった。この先にある西沢のおばあちゃんの家では、一匹の柴犬を飼っている。ゆきちゃんが幼稚園の頃からの仲良しだ。
「じゃあ、見間違いじゃなさそうだな」六年生の悠士が気取った仕草で顎を撫でた。「廊下から、伏せた柴犬が尻を出してたってことだな」
「ゆきがちかづいたら、くるんってしっぽまいてね、どっかいっちゃった」
「ゆきちゃん、追いかけたの」
春貴の問いかけに、彼女は黒い髪が揺れるほど大きく頷く。
「でも、いなかったよ。ゆき、すぐにはしったのにね、もういなかったの」
「その犬は喋った?」
だが、恭介の質問にはきょとんと目を丸くする。「いぬはしゃべらないよ?」そう言われて何だか恥ずかしくなった。
「おうちかえったらね、ケーキだった。おやつ。ふわふわの、いちごの!」
嬉しそうなゆきちゃんの良いことは、おやつのショートケーキだったらしい。
最初のコメントを投稿しよう!