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ただ犬が迷い込んだだけだと決着をつけられたことに、恭介は不満だった。だが意地を張ったところで悠士は馬鹿にするだろうし、真一は呆れ、春貴は怖がるだけだ。だけど、廊下の長さはプールの幅よりもずっと長くて、途中の教室に入らない限り隠れる場所もない。犬の本気というのは、ゆきちゃんが駆け寄ったほんの数秒で廊下を走り切れるほど、足が速いのだろうか。放課後になれば教室は施錠されるし、仮に中に誰かが残っていて犬が飛び込んでくれば大騒ぎになる。その柴犬は消えたとしか思えない。
悶々としながら翌日も登校し、授業中は窓の外の校庭に犬が現れないか監視した。四時間目のテストの時間だけは、カンニングを疑われないために外を見張ることはできなかった。
そんな努力の甲斐もなく一日が終わり、更に翌日の帰りも真一と一緒に教室を出て玄関に向かった。新作ゲームが欲しいと二人で願望を唱えながら靴を履き替える。校舎を出ると、そばのベンチに春貴が腰掛けていた。彼は二人の姿を見ると弾けるように駆け寄ってきた。
「犬がいたよ!」
既に半泣きの顔で春貴は訴える。何のことかと顔を見合わせる恭介たちに、「幸せ犬!」と声をあげた。周りの数人がびっくりしてこちらを振り向く。
幸せ犬の名前は既に広まっていて、興味をそそられた子どもたちに囲まれた春貴は、どもりながらも昨日の放課後に犬を見たのだと言った。
昨日、四年生は遠足の日だった。学校に戻って帰りの会をして、その後も友人数人と校庭で遊んでいたらしい。すっかり夢中になって、放課後の五時のチャイムが鳴る頃にはへとへとに疲れていた。最後まで一緒に遊んでいた友だちは、家の手伝いを忘れていたと言ってダッシュで帰ってしまった。
ぽつんと校庭に取り残された春貴は、確かに声を聞いたという。
「鬼ごっこをしよう」
それは子どもの声だった。だが校庭か校舎か、どこからの言葉か判断ができない。それなのに、はっきりと「鬼ごっこをしよう」という声が響いた。
咄嗟に逃げ出し、春貴は校庭隅のトイレに駆け込んだ。何者かの追いかけてくる足音が明らかに背後から聞こえた。校舎は遠く追いつかれそうな気がしたのだが、袋小路のトイレも間違いだったと知り、とにかく個室に鍵をかけて震えていた。
やがて、かちゃかちゃと爪がコンクリートをひっかく音と共に、犬のはあはあという息遣いがトイレに入ってきた。春貴は息を殺して個室の壁に身体を押し付け、泣くのを必死に堪えていた。犬は足音を立ててトイレを手前から奥へ探っていく。
一番奥の個室で、春貴はドアと床の隙間に足を見た。
白い毛だらけの足と茶色い体毛。その四本足は随分と短かった。はっはっと息を吐きながらその足はうろうろしていたが、やがて諦めて出ていった。
「足が短いって、コーギーじゃない?」
誰かの言葉に春貴は涙ぐみながら頷く。今は誰も彼をからかう気などなく、忙しなく校庭のトイレに目を向けている。
「コーギーが迷い込んだんだ」
「絶対違う!」
真一の言葉に、珍しく春貴が大きな声をあげて抗った。
「子どもの声がしたんだ、鬼ごっこをしようって。人なんて誰もいなかった。校庭にはぼくしかいなかったのに」
しんとその場は静まり返った。
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