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5
負けん気の強い悠士が、恭介の誘いを断るわけがなかった。幸せ犬と鬼ごっこをしよう。そんな提案に明らかに動揺していたが、相手が年下である手前、嫌だとは言わなかった。むしろ、今度こそ捕まえてやると強気の言葉を口にした。
こっそりメンバーを募った結果、十人以上の男子が集まった。その中には真一や春貴の姿もあり、彼らは幸せ犬の正体を知りたいと言った。これだけ人数がいれば、遭遇したとしてもきっと一人の時より恐怖は薄い。そこには無視できない冒険心も存在した。
終業式を終え、一度は学校を出た。各々の家に帰り昼飯を食べ、夕方に学校近くの公園に集合する。一年生から六年生まで十二人という大所帯だ。仮に先生に見つかったとしても、明日からは長い夏休みだから、二学期が始まる頃には忘れてしまうに決まってる。わいわいと幸せ犬について語っていると、やがて学校の方角から五時を知らせるチャイムが聞こえてきた。
「行こう」
恭介の言葉に全員が集まり、学校に向かってぞろぞろと歩く。仕切られていることが不満なのか、悠士がわざわざ先頭に立った。その背中を見ながら、初めて幸せ犬をこの目で見られる可能性に恭介は胸が高鳴るのを感じていた。
校庭には誰の姿もなかった。がらんとした空間には、鉄棒、うんてい、飼育小屋、体育倉庫などがぽつぽつと鎮座している。「犬、いないね」と誰かが言い、先生に見咎められる前にそそくさと校舎の方に向かった。
玄関に入ると、背中側から強い夕陽が射すのを感じる。いつの間にか蝉の声もやんで、ただ自分たちの黒い影が真っ直ぐ正面へ伸びていた。ひとけのない校舎はしんと静まり返り、外に充満する夏の生気とは対照的だ。幸せ犬が廊下を歩いて姿を現す想像に、思わず全員が無言で立ち尽くした。
「鬼ごっこをしよう」
確かに小さな子どもの声が十二人の鼓膜を揺さぶった。黙って顔を見合わせると、もう一度、「鬼ごっこをしよう」と遠くからはっきりと聞こえてくる。今更誰も逃げ出さなかった。いや、一人で逃げ帰るなんて怖くてできなかった。そろりそろりと玄関を出ると、声は更に明確に聞こえる。恭介と悠士を先頭に声のする方へ歩いた。いよいよ幸せ犬と対面できる。恭介は期待と不安で自分の胸がはち切れそうになるのを感じた。果たして柴犬かコーギーかゴールデンかチワワか、もしくは自分の知らない五匹目の幸せ犬か。
「鬼ごっこをしよう」
もうすぐそばから声がする。そっと角を曲がり、校舎裏を覗き込んだ。
全員が呼吸を忘れるほどに驚いた。
五メートルほど先に、一匹の犬がいた。それは柴犬の尻尾にコーギーの足にゴールデンレトリバーの胴にチワワの頭をした、奇怪な犬だった。チワワの口から赤い舌を出してへっへっと呼吸をしながら、お座りして柴犬の尻尾を振っている。身体は大型犬のそれなのに、白い靴下を履いたような足は滑稽なほどに短い。それは口を動かさないまま、確かに同じ言葉を口にした。
「鬼ごっこをしよう」
「いいよ」
恭介が返事をする。全員が彼に視線を向けた。恭介、と真一が慌てた風に名前を口にした。
「なんだよ、言っただろ。鬼ごっこしに来たんじゃんか」
「それはそうだけど……」
「殺されないかなあ」
春貴が泣きそうな声を出すのに、悠士が握ったこぶしを軽く上げる。
「ばか、こっちは十二人もいるんだぞ。噛みついてきたって、全員でぶちのめせば大したことねえよ」
あまり根拠のない言葉だったが、その力強さに圧されて春貴を含めた何人かが頷いた。
あっと誰かが声をあげた。見ると、奇妙な幸せ犬がくるりとお尻を向けて歩き出していた。これをあっさり見送る手はない。十二人は団子のように固まって、幸せ犬の後ろに続いた。
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