人生の攻略本

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 数百年以上も前に見下ろしていた川の流れを再び見つめていたら、少しも古びていない本を抱いた川面(かわも)に映る今の本の持ち主が口を動かした。  唇の動きだけで、何をつぶやいているのかが、わかる。 「…………本当の幸せは、自分で選んで進み、自分で見つけるものだ。もしも、誰かとわかちあえたのなら、見つけた幸せはさらに大きなものとなる。幸せの数は人の数だけある。たくさんの色を放つ無数の光のように、多くの可能性がある。……自分が変わると幸せのかたちも変わってゆく。そう……放つ光の色が変わることもある。……安心安全を()い願い、それには確かに成功した。これはこれでよかったと思う。けれど…………こんな人生はつまらない…………」と。  水面に映る今の持ち主は、小賢(こざか)しくもそう述べていた。  笑わせる……これが、朝が来るのを悲しみ、日々を(なげ)いていた同一人物の口から出る言葉だというのか。  お前たちの変わり身の速さには、実に驚かされる。  最初から進路を固定してやり、それによって幸運と幸福の定義を(あらかじ)め定めてやり、苦難を回避したいとの願いを叶えてやっているのに、何が気に入らないのか。  ……なぜ、光の方へ顔を向けるのか?  ……なぜ、光の方を見るのか?  暗い中にいては無知なお前たちへ疑似的光明(ぎじてきこうみょう)を提示してやり、これで救われるんだと信じ込ませては、満足感を与えてやっている闇から抜け出ようとするのはどうしてか?  闇はそれを吸い取って、繁栄するのだ。    ……今の持ち主は手にしていた本を私を川へと放り投げた。  バシャンッと、弾ける川面(かわも)に沈み込んでは、人間の愚かさを嘲笑(ちょうしょう)するみたいにぷかっと浮かび上がる本は、揺れて上下しつつ海へと進んでゆく。  私は人生の攻略本は、次の持ち主を探そうと、川を流れていった。  幸いなる(かな)、早期に次の持ち主と出会えるのを私は知っていた。  それはどうしてなのかというと、人間の心のかたちを、人間の弱点を刺激しては(から)()る方法を、私は熟知している悪魔なのだからであった。  次は…………そう、あなたの手にとってもらいたい……何かというと……この私を、人生の攻略本を……あなたは、(あらが)えるだろうか……私の魅力に…………ふふふふふ……。
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