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一  鈴鹿サーキットから車で数分の場所にある、鈴鹿グリーンガーデンホテルは、数年前に出来た真新しいホテルだった。  この鈴鹿では、毎年秋にF1の日本グランプリが開催される。  私、川口裕司(かわぐちゆうじ)は、その日本グランプリを一九八七年から毎年現地観戦していた。幸い自営業でもあり、休暇は一般のサラリーマンに比べて取りやすい。車で東京から三重県まで一気に走破して、この鈴鹿の地に滞在するのが鈴鹿でのルーティンとなっている。  今まで様々なホテルを使ってきたが、一昨年からこの出来たばかりの新しいホテルを使っている。サービス面はともかくとして、価格面や、何より鈴鹿へのアクセスの良さが気に入っていた。    グランプリも終わり、興奮冷め止まぬ状態で部屋に戻る。椅子に倒れ込むように座って目を閉じる。耳の奥にはまだサーキットを駆けるマシンのエンジン音が鳴り響いていた。 「そうだ、秋天(あきてん)秋天……」  私はうっかり寝落ちしそうになっていた頭を叩き起こし、椅子から身を乗り出してTVリモコンに手を伸ばした。  秋天というのは、決して秋の味覚を使った天麩羅などではない。中央競馬のGI競走の中でも、特に権威ある八大競走の一つ、「天皇賞・秋」のことである。  この天皇賞は春と秋に一度づつ開催されるレースで、春は京都競馬場で三千二百メートル(二マイル)を走り、秋は東京競馬場で二千二百メートルを走る。  今日、十一月一日は府中にある東京競馬場で天皇賞・秋が開催されているのだ。日本グランプリと秋天は、開催時期が被ることがこれ迄にも何度かあった。 「今回は、正直、重ならないで欲しかったな」    思わずそう独り言ちた。  今年、一九九八年の天皇賞・秋で一番人気に支持されているのは、若きレジェンド騎手・武豊(たけゆたか)が騎乗するサイレンススズカである。スズカにとっては去年のリベンジであり、鞍上の武豊にとっては、前年のエアグルーヴに続いて天皇賞秋二連覇が掛かった、人馬共に大一番の日である。日本グランプリが開催されていなければ、迷わず府中に向かっていた自信がある。    私は、このサイレンススズカに特別な感情を持っていた。  去年までは、正直全く眼中になかった。競走馬は、三歳の時にクラシック競走と呼ばれる権威あるレース(オスの馬の場合は、皐月賞、日本ダービー、菊花賞)に挑むのが最大の目標である。去年三歳だったスズカは、日本ダービーにのみ出走していた。無論、ダービーまでになると、出走できるだけでも名誉なことである。九七年の三歳馬といえば、皐月とダービーを勝ったサニーブライアンがあまりにも眩しく、スズカはその栄光の影に隠れてしまっていた。  だがこの馬は、武豊に乗り替わり、今年のバレンタインステークスと言うレースから覚醒した。  逃げ馬として活躍し、他の馬を全く寄せ付けずに、「逃げて差す」とまで言わしめる大逃げを決め続けたのである。 「異次元の逃亡者」と言い出す者もいた。  私がこの馬に心を奪われたのは、今年の五月三十日に開催された金鯱賞と言うレースをWINS(中央競馬の外向け馬券発売施設)のモニターで見た時だった。既に当時三連勝、重賞は二連勝だったスズカの実力が遺憾無く発揮されたレースであり、最後の直線では十馬身くらいの着差でレコード勝ちを決めてしまうのである。出来過ぎではないかと自分でも思う。他の馬が弱かった訳ではない。出走馬の中には菊花賞馬であるマチカネフクキタルを始め、重賞を勝っている馬が数多く居た。  その後、武豊から南井騎手に乗り替わっての宝塚記念を、やはり逃げ切りで勝利し、念願のGI馬の称号を獲得すると、この前開催された毎日王冠で見事な勝利を飾るのである。一年後輩の外国産馬であるエルコンドルパサーにグラスワンダーなど、多くの実力馬がひしめく中、二着のエルコンに影すら踏ませずにゴール板を通過してしまった。こんなレースを見せられて、応援しないわけにいかないではないか。  そんなサイレンススズカであるが、金鯱賞以降に彼の事を調べていくと、思わぬ数字の一致に出会した。  それは誕生日である。スズカの誕生日は一九九四年五月一日。そもそも馬は季節繁殖動物といって、繁殖に励む時期が決まっている。春頃に繁殖を行い、妊娠期間を経て、若草が萌える春に出産するように出来ているのだ。だから、五月一日生まれと言うのは決して珍しい話ではない。  だが、この日付は、私はもちろん、日本中のF1ファンにとって忘れられない日なのである。    それは、ブラジルの英雄的F1ドライバーであるアイルトン・セナが、レース中の事故でこの世を去った日であった。  私は日本グランプリを一九八七年から毎年現地鈴鹿で観戦していると書いたが、何故毎年鈴鹿に行くのかといえば、セナを生で観るためだ。彼のアクセルワークに目と耳を奪われるのが、秋の楽しみだった。その彼は、四年前にこの世を去った。  思い出すことすら辛い。一九九四年五月一日。セナはイタリアのイモラと言う地にいた。ここで行われるサンマリノ・グランプリに出場していたセナは、七周目を走っている最中にタンブレロと言う、アクセル全開で高速通過する左コーナーでクラッシュし、非業の死を遂げたのである。  現地で訃報を伝えたフジテレビの三宅アナウンサーも、日本中の視聴者を前に号泣していたが、彼を責める視聴者は居なかった。  私はそれ以来、車の運転で左カーブに差し掛かると、セナの事故の場面がフラッシュバックするようになってしまった。おかげで今でも、左折するときはかなり減速してしまう。  その日に生まれたのがサイレンススズカである。  サイレンススズカの「スズカ」は、彼のオーナー独自の冠名である。決して、鈴鹿サーキットは関係ない。  だが、彼の生年月日と冠名、そして何より「最速の機能美」と称されるほどの見事な逃げっぷりが、私にはどうしても偶然の一致には思えず、今年の金鯱賞以降、九四年の春に潰えた夢の続きを、勝手にサイレンススズカというサラブレッドに重ねてしまっていた。  また、セナが生きていればおそらく出場していたであろう日本グランプリと秋天が重なっているのも、どこか運命的なものを感じさせずにいられなかった。  どうせスズカが一着なのはわかりきっている。問題はどの馬が二着になったかだ。私はとりあえず、TVをつけてみた。    そのニュースでやっていた報道は、しばらく脳に伝わらなかった。    サイレンススズカは、予後不良で亡くなったとキャスターが伝えていた。  予後不良。競走馬の世界では、回復の見込みがないので安楽死処分になったと言うことだ。  レース中に骨折してしまったのか。  キーストンやテンポイントなど、レースの最中に骨折して安楽死になった馬は枚挙にいとまがない。サラブレッドは五百キロを超える体重を四本の細い脚で支えている。その内一本でも欠けてしまうと、残り三本の足に負担がかかり過ぎてしまい、結局他の脚にも致命的な影響が生じてしまう。  だから、馬が足を折ってしまうと、大抵の場合薬品等を用いて安楽死となってしまう。かわいそうだが、そうしなければ、馬は長い間苦痛を味わい続けてしまうのである。先程あげたテンポイントが、まさにそうだった。    私は、競馬好きな友人に電話をかけてみた。おそらく秋天を府中で現地観戦していたはずなのだ。  数コールしたら、その友人、松本秀行(まつもとひでゆき)が出た。あいつは携帯電話を持っていたから、その番号にかけた。 「……川口か?」  電話の主が俺だと分かったのには驚いた。このタイミングでかけてくるに違いないと思われていたのだろう。 「俺だ。今テレビで知ったんだが、スズカが死んじまったって、本当か」 「ああ、生で見てたよ」 「そんな……それじゃ、乗ってた豊はどうなったんだ?」  スズカの主戦騎手となっていた武豊は、若き天才騎手として多くのGIレースを勝利していたが、ついにこの年、念願の日本ダービーをスペシャルウイークで勝利していた。実はスペシャルは、スズカと父親が同じである。サンデーサイレンスの産駒だった。スズカと騎手も血統も同じなのだ。 「……豊は無事だ。スズカが助けてくれたんだ」 「どう言うことだ?」  レース中の骨折と言われて、私は当然、転倒を想像していた。猛スピードで走っていて、いきなり足が折れたのだから当然である。 「スズカは、粉砕骨折だったらしい。府中の大ケヤキを過ぎたところで骨折したんだが、そんときには、もう何馬身開いてんだってくらい、後続と差が開いていた。会場はどよめきがすごかった。でも、大ケヤキ過ぎたときにな、いきなり失速して、大外によろよろと移動していったんだ。あれは、もう、何て言えばいいんだろうな。声が出なくなっちまった。あれだけ開いていた差が瞬く間に縮まって、遂にみんな抜いていって、豊が下馬して、ああ、もう駄目なんだなって思うと、涙が止まんなくなっちまってな」  話しながら秀行は嗚咽し始めた。あの日、セナの訃報を伝えている三宅アナウンサーの顔が脳裏に蘇った。  そうか、スズカは死んだのか。  私は、セナの姿をスズカという競走馬に重ねていた。あの夢の続きを、スズカで見てみたかった。勝手な思いであるが、その望みが潰えた事に涙が止まらなくなった。 「なあ、ヒデ」  秀行の事を、私はよくヒデと呼んでいる。 「セナが亡くなって、四年になるんだけどさ」 「ああ、そんなに経つか。あん時は川口大変だったな」 「俺さ、スズカにセナを重ねてたんだ」 「そういえば、命日と誕生日が一緒だって前に言ってたっけ」 「スズカは、セナの夢を、意志を、四年間繋げてくれたと思うんだ」  秀行は、電話口でぐっと口を噛んでいるようだった。 「俺はスズカに、感謝の気持ちで一杯だよ」  こう言ってはいたが、そうでも思わないと、自分の気持ちを整理できないだけだった。
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