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二  翌年。十月三十一日。天皇賞・秋。  私は府中の東京競馬場に居た。  実は今日も、鈴鹿では日本グランプリが開催されていた。正直、府中より鈴鹿に行きたい。絶対に行きたい。  だが、今日は外せない用があったのも事実である。  秀行が一緒なのだ。彼は去年の天皇賞・秋でスズカの非業の死を見て以来、あんなに好きだった競馬から遠ざかっていた。トラウマになっていたのである。  秀行とは、京王線府中競馬正門前駅のアハルテケ像の前で待ち合わせていたが、改札を潜ることすら躊躇していた。大混雑を生み出してしまっている。駐車場から歩いてきていた私は額を抑えつつ、無理やり改札を潜らせて競馬場内に向かった。  彼の額には脂汗が浮かんでいて、若干顔色が悪い。  私は秀行にホットコーヒーを突き出して、一緒にマークカードと鉛筆も手渡した。 「武豊を応援にきたんだろ。あいつも頑張ってるんだ。お前も頑張れ」 「馬鹿野郎。豊はジョッキーだぞ。覚悟もできてるんだよ。俺はただのファンだぞ」  と、言いながら、いつの間にかこいつのマークシートには天皇賞・秋の単勝が記入されていた。九番に印が付いている。これはスペシャルウイークの番号で、賭け金は一万円だった。思い切りノリノリじゃないか。 「でも、大丈夫か?」  私が心配するのも無理はない。今回スペシャルウイークは四番人気にまで落ちていた。昨年のダービー馬で、この年の天皇賞・春まで勝っている馬にしては人気が落ちている。これはなぜかというと、前回のレースが七着という大敗だった事。そして、調教も走らなかったという点が挙げられた。むしろ四番人気にとどまっているのが流石だと思ってすらいる。 「豊が勝たなきゃ駄目だよ。このレースは」  秀行がそう言って、更にマークシートを記入し出した。  私は、今まで見てきた数々の競馬の試合を思い起こしてみた。そういえば、オグリキャップの有馬記念も四番人気だった。あの時、流石に勝てないだろうと思った私は、しっかりとメジロライアンにぶっ込んでいて、親戚の子供にあげるお年玉の金額が半減した。  三年後の有馬記念はトウカイテイオーで、やはり四番人気。だが私はテイオーの勝利を信じていたので、結果的に親戚の子供にあげるお年玉の額は倍になった。  それで今回だ。私は、付き合いでスペシャルの単勝を五千円買っていたが、本命としてセイウンスカイとメジロブライトの馬連を厚く買った。  秀行も、馬連を買っていた。相手はツルマルツヨシとエアジハードで流していた。本命と穴を狙っているようだった。    すぎやまこういちのファンファーレが鳴り響き、秋天がスタートした。秀行は、ずっと下を向いている。何のために来ているのか分かったものではない。ただでさえ、レースは命懸けなのだ。緊張しているのはみんな一緒だ。  もっとも、私も無理に見せたくはない。なので、直線に入りそうになった時、秀行の肩を叩いた。叩かずにはいられなかった。 「見ろ。豊がきたぞ」 「!」  私の言葉に、秀行は思わず府中の長い長い最終直線を見やった。  スペシャルウイークの、紫と白の勝負服が大外を激走していた。前には何の障害物もない。  そういえば、ダービーの時も、外からグッと伸びて後続を突き放していたな、と私は思い出していた。  流石に今回は接戦である。だが、内を走るステイゴールド達に並びそうになっている。 「いいぞ。いいぞ。行けるぞ!」 「差せ! 豊!」  いつの間にか私たちは、場内を埋め尽くす競馬ファン同様、歓声を送っていた。そこに、去年のトラウマはもう無かった。  スペシャルウイークは、最後まで伸び続け、遂にステイゴールドより頭半分ほど前に出た状態で、ゴールを通過した。 「うおおおおおおおおお!」  私と秀行は抱き合って喜んでいた。あの武豊が、サイレンススズカの弟で、一年越しの天皇賞・秋を勝ってしまった。こんなに出来過ぎた話があってたまるか。しかし、現にでき過ぎた話が起きていた。 「やった。よくやった豊。スペ!」  泣き崩れている秀行を横目に、私はスペシャルウイークの鞍上でガッツポーズを掲げている武豊を見つめていた。  ここに、スズカは居る。きっと、居る。  彼が、命懸けで守った豊の背中を押してくれたんだ。  そう思うと、私も思わず涙が溢れ出た。    決して、馬連が外れたから、と言う理由ではないことをここに記しておく。  
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