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3. 実習
「皆さん、お気に入りの本は何ですか」
金曜日、美玲のクラスで行った国語の授業。
結翔は生徒に語り掛けた。
「今日は『ブックトーク』に挑戦してみましょう。皆さんの『運命の一冊』を教えてください」
黒板にチョークを滑らせた。
白い粉末が指先に付いて、皮膚の水分を奪った。
教室中から冷ややかな視線が飛んできた。
「そんなのない」
「読書なんて、しない」
「でも印象的な物語くらい、あるでしょう?」
結翔はちらりと腕時計を見た。
学習指導案に沿って、生徒を課題に誘導しなければならなかった。
「何でもいいんですよ。例えば『銀河鉄道の夜』とか『ハリー・ポッター』とか……」
「だから、本なんか読まないって」
生徒たちの口調は強い拒否を示していた。
「URLで共有できないし、タイパ悪いし」
「YoutubeとかNetflixがあれば十分」
「先生、時代遅れじゃね」
あざ笑う声が教室中のあちこちから聞こえた。
先生とはいえ、まだ社会人経験のない大学4年生。
予定通りに進めるだけでも精一杯の実習生にとって、教壇の上は孤独すぎた。
粉まみれの手に汗が滲んだ。
A4紙に印刷した学習指導案がふやけて、文字が歪んだ。
「では、皆さんはどんなことに興味があるんですか」
困り果て、無意識に名札の紐を指でいじった。
生徒たちは口々に挙げた。
アニメ、漫画、アイドル、歌い手、お笑い、ゲーム――。
「分かりました。はい、はい、そこまで」
収拾がつかなくなって、両手で制した。
「えーと、ではプリントを配るので、『運命の一冊』は宿題ということにしましょうか」
急遽、次回に予定していた古典作品「発心集 数寄の楽人」を音読させて授業をしのいだ。
動揺。内容変更。急な宿題。
担当教諭に叱責されるまでもなく、最悪な授業だと分かっていた。
黒板に書いた「運命の一冊」という言葉が、ぽつんと残され泣いていた。
騒がしい教室の中で、制服を着崩した女子生徒だけが笑っていなかった。
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