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6. 紅葉たち
爽やかなガラス張りのエントランスに、朝日が降り注いでいた。
日曜に呼ばれた場所は大学近くの老人施設だった。
看板には「特別養護老人ホーム みなみ風」と書かれている。
「おはよう、相原先生」
西海の隣には私服の美玲もいた。
「ここに来るのは、初めて?」
頷いた結翔に、西海が施設を紹介した。
「特養――特別養護老人ホームは、家で暮らすことが難しくなった高齢者の『終の住処』なんだよ」
事務室で受付を済ませると、三人は多目的ホールに通された。
エプロンを付けた年配の男女が、絵本を手に待機している。
西海が会釈した。
「あの人たちは?」
「週イチで来てくれる、読み聞かせボランティアさんだよ」
美玲が答え、西海が補足した。
「私が選書を手伝っているんだ。大学の地域貢献活動の一環でね」
「それが『運命の一冊』ってことですか?」
「さあ、見ててごらん」
西海の瞳がまた無邪気に輝いた。
「ここにいるのはみんな、『フレディ』のお友達だよ」
「フレディ?」
レオ・バスカーリア作、「葉っぱのフレディ」。
永遠に巡る「いのち」の中で生きる木の葉の物語――。
ホールに、介護員に連れられた入居者が続々と集まってきた。
車いすを押してもらう人、自走できる人。
しっかり覚醒している人、うとうと眠っている人。
認知症で静かな人、大声で喚いてしまう人。
いろんな人がいた。
「教育実習とは完全に逆です」
結翔は息をのんだ。
「生徒が若葉なら、この人たちは紅葉だ」
西海は微笑み、唇の前に人差し指を立てるだけだった。
ボランティア団体のメンバーが入居者に向き合い、絵本を広げた。
この日の朗読作品は「桃太郎」や「かさじぞう」、「おむすびころりん」など5作品。
のびやかで心地よい声が、ホールに響いた。
ページをめくるボランティアの指先が、紙の角に触れた。
秋風に舞う枯れ葉によく似た、乾いた音。
入居者の虚ろな視線がわずかに動いて、絵本を捉えた。
曇り空だった表情が、少しずつ晴れていく。
絵本のページが進むと、瞳が次の場面を追った。
心を揺さぶられた。
「人生の最期でも、本に出会える――」
伝えたいことが見つかった気がした。
「本は傍にいてくれる。人生の最期まで」
「少しはお役に立てたかな」
西海は教え子の呟きを拾い、優しく見守った。
「ねえ、先生。ボランティアさんが呼んでるよ」
美玲の声に振り返った。
ボランティアのリーダーが、絵本を数冊持って立っていた。
「きみも、読んでみない?」
「え?」
慌てて西海と美玲を見ると、二人はにっこり笑った。
そこにいる誰もが「運命の一冊」を楽しんでいた。
色とりどりの紅葉たちが、結翔の声を待っていた。
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