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7. 修復
「皆さん、『運命の一冊』に出会ったことはありますか」
黒板にチョークを滑らせた。
白い粉末が指先に付いて、皮膚の水分を奪った。
「『もう出会ったよ』という人も、『まだ出会えてないよ』という人も。今日は先生のやり直しの『特別授業』です」
下を向いていた生徒の瞳が、特別という言葉に反応した。
その表情の変化を逃さず、結翔は「問い」を投げ掛けた。
「さて、『運命の一冊』とはどんな本でしょう?」
この教室にいる全員が、相原結翔という実習生の生徒だった。
読書が身近でないことを前提にしながら、誰一人置いていくことなく誘導する。
「正解なんかありませんよ。さあ、どんどん教えて!」
結翔の変化は生徒に伝わった。
テンポの良い受け答えで少しずつ、教室に活気が満ちていく。
感動した本。思い出の本。憧れの本。
時間を忘れて没頭できる本。
様々な意見が出た。
結翔は「没頭」というキーワードを拾った。
前回急遽扱った古典作品『発心集 数寄の楽人』と関連付けた。
それは帝の呼び出しに気付かないほど演奏に熱中する音楽家の物語。
「『数寄な本』、雅な響きですねぇ。趣深い表現が生まれましたね!」
学習の成果を褒めると生徒が沸き、さらに教室が明るくなった。
その後も問いを重ね、さらなる揺さぶりを掛けていく。
「これらの意見には共通することがありますね。さて、何でしょう?」
教室がしん、と静まった。
生徒が思考していた。
結翔はタイミングを見計らい、話を進めた。
「『本に触れる』ということです。そこで『問い』や『気付き』をくれる本を『運命の一冊』と呼び、みんなで長く大切にしてみませんか」
教卓の周りに、未来の紅葉たちを呼び寄せた。
「皆さんはこれから大学生になり、大人になる。いつか『運命の一冊』に出会った時のために今、僕から伝えられること。それが今日の授業のテーマです」
取り出したのは1冊の破れた本。
美玲から預かった「スターガール」。
司書から習った手順で修復の実演をして見せた。
ページの破れには図書専用の補修テープを。
裏表紙のそでにはブックコートフィルムを。
傷を透明の薄膜で覆って、丁寧に保護した。
緊張で指が冷たくなった。声も震えた。
それでも背筋をしゃんと伸ばした。
美玲が離れたところで見守ってくれていた。
「紙だから傷つく。紙だから直せる。本を怖がらなくていい」
若葉の春も、紅葉の秋も。
本は友達でいてくれる。
だから友達の本も、大切にしてほしい。
どうか素敵な出会いを――。
教室がわっと拍手に包まれた。
「スターガール」の修復が、完了した。
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