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1. 開館準備
かじかむ手のひらに、銀色の鍵が食い込んだ。
ブックポストの扉を解錠すると、黄ばんだ紙のにおいが舞った。
土曜日、朝の大学附属図書館。
学生アルバイトの相原結翔は開館準備を進めていた。
静寂と埃っぽい空気を独り占めできる、この時間が好きだった。
エントランス前に設置されたポストには、新旧バラバラな本が15冊ほど入っていた。
丁寧にまとめて、よいしょ、と両腕で抱えた。
「返却処理、頼むよ」
館内に戻ると先輩の大学院生・島田朋紀がカウンター越しに声を掛けてきた。
「俺は書庫の照明をつけてくるから」
はいと返事をして、パソコンの前に座った。
専用システムで図書バーコードを読み取った。
表示されるデータにエラーがないかチェックしながら、返却者の名前や学籍番号を目で追っていく。
教育学科、生物化学科、電気電子工学科――。
さまざまな学科名が並ぶ中でふと、特別な肩書が目に留まった。
名誉教授・西海正二郎。
教育方法学を専門とし、約40年間現場で研究・指導を行っていた。
「読む力」を重んじる、国語科教育の先駆者。
教員志望の結翔にとって憧れの存在だった。
その西海が返却した本は「ビリギャル」(坪田信貴著)、「自由に捕らわれる。」(カンザキイオリ著)、そして「5分後に恋にサヨナラのラスト」(エブリスタ編)。
「えっと……」
困惑の声が漏れた。
「『ギャル』に『ボカロ』に『5分シリーズ』?」
書庫から戻ってきた島田もパソコン画面を覗き込み、意外な選書に目を丸くした。
「西海先生ってこういう本、読むんだ」
感性が若いなあ、と呟く。
「さすが名誉教授にもなる人は、読む本のジャンルが幅広いんだな」
「すごい、ですね」
盗難防止タグに磁気を入れ戻し、本を配架用ブックトラックに置いた。
島田は他の話題に移ったが、結翔はしばらく西海の本が気になっていた。
手に取ると、状態の良さがうかがえた。
光沢を帯びたブックコートフィルムに手垢はなく、学生や教職員が残しがちな付箋やメモも挟まっていない。
丁寧な扱い方が教授らしいと思った。
一方、違和感も残っていた。
どうしてこれを借りたんだろう?
読んだのは、本当に教授なのか――?
返却処理を終えた頃、開館時刻になった。
タイマーでエントランスの自動ドアが開いて、外で待機していた利用者が続々と入ってきた。
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