◯◯◯しないと出られない部屋

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◯◯◯しないと出られない部屋

「なんとあなたは、私の生き別れの息子にそっくりじゃぁぁ!」  ときはその日の午前のこと。  うっと呻き声を上げ、胸を片手でおさえて石畳に膝をついたご老人。そばに立っていたバートがとっさに手を差し伸べて助け起こしたところで、顔を合わせるなり叫び出したのだ。 (……元気だな?)  至近距離で大音声(だいおんじょう)をくらったバートは、すみやかにそう結論付けた。しかし、そこからが長かった。「生き別れのぉぉ!」「わしゃもう死ぬかもしれんが」「後生だから置いていかないでくれ」「息子よぉぉ!」 (元気だ。俺より声が大きい。死にそうな気配が全然ない)  シャツに掴みかかってくる手に手を添えて、バートは真剣な顔で告げた。 「息子ではありませんし、あなたはなかなかどうして元気そうです。はい、立てますか?」 「無理じゃぁぁぁ。息子よ、わしを病院まで連れていってくれええ」 「声で俺の言葉をかき消そうとしないでください。かなりの肺活量ですけど、なんの病気ですか」 「……あああ死んでしまうぅぅぅ!!」 (いまの絶対、病名を捏造しようと考えた間だよな。止まったし。怪しすぎるだろ、いったい俺はなんの詐欺に巻き込まれているんだ。ワシだワシだ詐欺か? 父親のいない俺に通用するはずがない……!)  あとから思えば、このとき考えたことが、正しい。老人の演技は不自然過ぎたし、ほだされる要素はひとつもなかった。  それにも(かか)わらずバートがその老人の介抱を続けたのは、あまりの怪しさゆえである。  バートは、治安維持を責務と考える王宮騎士だ。目の前の相手が詐欺行為を働こうとしているのならば、しっぽが出るまで付き合ってみよう、と考えてしまったのだ。その日が非番であることなど、この際関係ない。 「そんなに切羽詰まっているのであれば、わかりました。病院に行きましょう」 「付き添ってくれるのかえ!?」 「他の方は巻き込みたくありませんので」  ぐずぐずとこの場にとどまっていると、仕事を終えたコーデリアが現れて「まぁ大変!」と持ち前の親切心を発揮しかねない。それは彼女の魅力のひとつであったが、みすみす怪しい男に彼女を関わらせたくないというのは、バートとしては当然の判断である。 「歩けるようなら歩いて行きましょう。厳しいようならどこかで馬車を……」  ここまで乗ってきた馬車は、子爵家のもの。バートとしては使うつもりはなかったが、顔色を変えた御者が「お急ぎであれば病院まで行きます! お困りの方を見捨てたとあっては、お嬢様が悲しまれるでしょうから!」と目が合うなり言ってきた。 (親切――!! 子爵家は使用人の皆様まで徹底的に親切――!!) 「いやでも、あなたまでこの場を離れると、お嬢様が戻ってきたときに事情がわからず心配するでしょうから」  バートはそう言って、一度はなんとか押し留めようとした。だが成り行きを見守っていた男が急に「ああああもう死んでしまうかもしれなぃぃぃ胸が、胸が」とわめき始め、御者が「乗ってください!」と前のめりになって手を差し伸べてしまう。 (子爵家の馬車を、見ず知らずの相手に我が物で使わせるのは使用人として問題がありすぎると思うが……。わからない、アップルビー子爵家のことだから、困っている相手を見捨てることこそ仁義に反する、という規則なのかもしれない)  常識的に考えればおかしいとは思うのだが、なにぶんバートもまた現状コーデリアの恋人というだけの立場で、主のような顔をして御者の行動をとがめることができない。  ふと視線を感じて、ちらりと辺りを見回せば、頬を染めて目を輝かせた少年が「何かできることがあれば……!」と申し出てきた。バートは素早く思案を巡らせ、少年にコインを一枚渡した。 「そこの建物から、帽子をピンクのリボンで結んだ、若草色に花柄のワンピースのお嬢様が出てくる。アップルビーさんと名前を確認してから、ここで見た通りのことを伝えてくれ。『急病人を病院まで送り届ける。先にお屋敷に戻っていてください』と」 「わかった!」  はきはきとした、頼もしい返事。バートは、御者の手を借りてすでに馬車に乗り込んでいる男を見やった。 (万が一本当に病気だった場合、疑って治療を遅らせたら取り返しがつかないことになる。まずは病院に向かい、言い分におかしなところが無いか確認して……)    この時点でも、バートは油断していたわけではない。  それでも、いざ病院に着き、馬車を子爵邸まで帰らせる指示を出してから後。  ほんの一瞬の、隙とも呼べぬ隙をつかれてしまった。こういった(はかりごと)は、悪意のある側に躊躇がない場合、防ぎきるのは難しい。  ひとりになったところで吹き矢のようなもので体に薬物を注入され、意識を消失してしまったのだ。  * * *  目覚めたときには、手足を縛られ口には猿轡(さるぐつわ)。完全に拘束された上でガタガタと揺れる床に転がされていた。  視界は真っ暗で、何も見えない。  耳に聞こえるのは、蹄の音ではなく車輪の回転する轟音。そこが汽車の中であることが知れた。 (誘拐……、どこかに運ばれている。どうして俺が? 身代金を要求するアテもなければ、騎士団の要職でもない。せいぜい頑健な肉体くらいしか取り柄がないが、そんなものを必要とするのは生体実験に興味津々のロズモンド様くらいで)  何に巻き込まれたのかもわからないまま、もぞもぞと動いて暗がりを探るも、埒が明かない。  使われた薬物がたちの悪いものであったのか、やがて再び意識を失った。  次に気がついたときには、どこか見知らぬ部屋のベッドの上だった。  体中に力が入らないものの、拘束は解かれていたことから、バートはなんとか上半身を起こす。  辺りは静まり返っていた。  カーテンがひかれているが、窓の外からほんのり光が差し込み、薄ぼんやりと辺りを照らしている。  部屋の様子を探ろうと視線を巡らせたところで、すぐ横に人が立った気配があった。  細かくウェーブがかった金髪に、猫のような瞳の女性。白地のゆったりとしたドレスを身に着けている。 「君は……? ここはどこだ」  喉がからからに乾ききっていて、ろくに声が出ない。女性はひとつ頷くと「待ってて、お水を持ってくるから」と言った。 (誰かもわからない相手だぞ……。出されたものを、飲んでいいのか?)  一瞬の葛藤。だが、ガラスの吸い飲みを唇にふれるまでに近づけられると、乾きに勝てずに口をつけてしまった。口内を潤し喉を滴り落ちていくその感触に、結構な時間飲まず食わずだったのでは、という悪寒がする。  バートが水を飲み干したのを見て、女性は吸い飲みを遠ざけた。 「薬で意識を奪い、手足を縛って長い距離を移動させられてきたのよ。まずはゆっくり休んで、体を回復させましょう」  「親切にありがとう。その他にも、君の裁量で俺に教えられることがあれば教えて欲しい。ここはどこだろう」   まだかすれたままの声でバートがすかさず願い出ると、女性は目を細め、嘆息をもらした。 「気づいていると思うけれど、あなた、面倒な陰謀に巻き込まれている。命までは取られないにしても、やるべきことを終えるまではこの部屋から出してもらえないと考えた方が良いわ」 「やるべきこと?」  話してくれそうな気配を感じ、バートは慎重に聞き返す。  女性は投げやりな表情で頷き、続けた。 「子作り。私と」 「……子作りしないと出られない部屋……」 「そういうこと。この陰謀の首謀者ギデオンという男が決めたの。自分にはあなたと私の間の子どもが必要だから、日がな一日この部屋にこもってさっさと作るようにって」 (ギデオン、ギデオン……どこかで聞き覚えがある)  状況が飲み込めないなりに、ひとまずわかるところから手探りで。 「君の名を聞いても良いだろうか。知っているかもしれないが、俺の名はバート」 「キャロラインよ、よろしく。父親同士が兄弟で、あなたの従姉にあたるわ」 「従姉?」  くたびれたような、ふてくされたような冴えない表情ながらも、キャロラインは律儀に名乗ってきた。  それから、目を瞑って大きなため息をひとつ。  とても嫌そうな顔をしつつ、やにわにベッドに手を付き、横たわったままのバートの体の上に乗り上げてくる。  まだ手足が上手く動かないなりに、バートは(まずい)と反射的に身を引こうとした。  しかし体に力が入らないまま、ろくに逃げられずに、上掛け一枚挟んでキャロラインに馬乗りをされてしまう。  目が合った瞬間、バートはひとまず笑いかけてみた。一方のキャロラインは一切笑うことなどなく、死んだ目をしてぼそりと言った。 「さっきあなたに飲ませた水には、強い催淫剤が入っていたの」 (ああああっ。やっぱり薬を盛られていた……!?)  そうかもしれないと思いながらもすでに飲んでしまった後。迂闊だったとは思うが、水分不足も命に関わる以上仕方ない、とそこはひとまず勢いよく諦める。  毒ではないのだ。よほど体質に合わないものでない限り、死にはしない。  だが……。 「じきにあなたは子作りしたくてしたくて堪らなくなるでしょう。あなた、騎士職なんですってね。細く見えるけどすごい筋肉。こんな体で好き放題されたら私がボロボロにされてしまいそうだから……。今くらい弱っているときが安全よね」  ぶつぶつと言いながら、キャロラインが上掛け越しにバートの体をなぞる。 「は、早まるな。話し合おう。幸い俺にはまだ理性がある。状況を教えてくれないか」  どうにか注意を逸らそうとバートが声を張り上げると、キャロラインは豊かな胸元まで落ちてきた髪をかきあげ、バートを胡乱げに見つめながら「いいわ」と答えた。  そして、バートがここに来るに至った経緯、ギデオンの陰謀について話し始めた。 「事の発端は、オルブライト公爵閣下が後継者の指名をしないまま急逝したこと。公爵様は準王家で第三夫人まで妻帯が認められていて、三人の奥様がいた。そしてそれぞれに息子がいたの。ところがここの関係性が複雑で、第二夫人の子が長男で第一夫人の子が次男であったり、第三夫人の子が病弱ながらも閣下にずいぶん可愛がられていたりと……いろいろあったのだけど、跡目争いのいざこざで全員命を落としてしまったわけ。そして後継者を失った公爵家は、血筋の中からふさわしい男子を新たに選ぶことになったのだけれど――」  
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