未来への決断

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未来への決断

 危ぶんだほど薬の影響を感じなかったことで、この隙にキャロラインの説得を試みよう、とバートはバスルームを出た。   キャロラインは真っ赤なベルベット張りのソファに腰掛けてぼんやりとしていたが、姿を見せたバートをうろんげな目で見た。  そして、距離を確保した上で「こんな馬鹿なことはやめよう」と説得を始めたバートの言葉を遮り、面倒くさそうに言い放ったのだ。 「一番簡単かつ禍根を残さない方法は、私を殺すこと」 「殺す?」  硬い表情のバートに対して、キャロラインは頷いてみせた。 「子どもを生ませず、父の野望を打ち砕くためには、私を殺せば良いの。私は訓練を受けた女戦士でもなければ、あなたは囚われのお姫様でもない。その気になればいくらでもできるでしょう? 首を締めるなりなんなり。そういうことを思いつかなかったり、実行できなかった時点で、あなたはものすごく普通のひとだわ。この先、海千山千、権謀術数渦巻く王侯貴族社会で生きていくなんて、到底不可能よ」 (殺す……。そうか、そういう解決方法もあったのか)  気のない様子ながら、的確な指摘をしてくれる従姉に対し、バートはただただ納得して笑みを浮かべた。場違いなほど、毒気のない表情。 「その通りだ。俺は選ばれた存在なんかじゃない、普通の人間だ。損をしない取引を持ちかけられても、自分の平凡な生活と天秤にかけて躊躇する。綺麗な女性に誘惑されても、婚約者を裏切りたくないと逃げ回ってしまう。本当なら、ここは自分を捕らえた相手に対し、怒りとともに拳で立ち向かい、壁を破壊してでも出て行くべき場面だった、かもしれない。だけど結局『話し合いで折り合いたい』という望みを捨てきれずにいる。ギデオン叔父上はこの建物内にいますか?」 「話してどうするの?」  キャロラインのまとう諦念と退廃の気配。無駄だ、と言われていることには気づいていたが、バートは胸をそらして飄々として言った。 「叔父上のやり方には反対ですが、まったく理解できないわけじゃない。公爵位への野心ゆえに陰謀を企てたのだとしても、その内実はかなり真っ当でした。おそらく、公爵とは何たるかという理想がおありなのかと。その理想と夢について話そうと思います。何が最善の形であるか」 「どうかしら。父が他人の話に耳を傾ける性格なら、こんな陰謀を企てていないと思う。無能とまでは言わないけれど、自意識が強い割に能力が伴っていないのよ。もし誰もが認めるほどの優秀さがあれば、孫の後見人になるなどと遠回しな計画など必要とせず、自分が公爵になれていたはず。そうはならなかったから、あなたを必要としたんだもの」  そこでバートは小首を傾げ、ずっと抱えていた違和感に触れた。 「キャロラインさんはどうしてそんなに、俺に対して同情的……友好的なんですか。言い方を変えれば、お父上のなさることに否定的です。初めから、この企てにあまり賛成していないように見えます」  ふっと軽く息を吐き、キャロラインは指に自分の髪をくるりと巻き付けて、笑った。 「私もね、結婚を誓った婚約者がいるの。婚約者を諦めて、あなたと関係を持つだけで、公爵家に入り込み財産を得ることができるとしたら、それは魅力的だと頭では理解できるのだけど……。薬を盛ったというのは嘘よ。あなたが私に手を出すなら、私は財産と引き換えに婚約者のことは諦めるつもりだった。内心、ずっと嫌だとは思っていた。手を出さないでくれて助かったわ」  バートは息を詰めてキャロラインの目を見つめ、そこに嘘が無いか探ろうとした。すぐに、そんなことをしなくてもおそらく真実なのだと判断して、大いに脱力した。  薬は使われていない、という安堵感。  この場はもう大丈夫と確信して、バートはしみじみと言った。 「利益がそこにあれば、人間はそちらに転ぶはずだ、それが賢い選択なのだと……。愛や信頼よりも権力や財産こそ得るべきなのだと、自分にも他人にも期待してしまうのは、俺にもわかるんです。少なくともお金は目に見えますが、『心』はそこにあるかどうかもわかりません。形あるものではなく、不確かなものにこそ価値を見出すというのは、愚かなことではないかと自分自身不安にもなる。生まれたときから王侯貴族で、国や家が判断基準であれば、個人の思惑よりももっと大きなものが得をする判断が当然のこととしてできるのかもしれないけれど……」  ただしこれが「どちらか」ではなく「どちらも」手中に出来るのであれば? 少なくともその可能性があるとすれば。  バートはその道を行くことをすでに、心に決めている。努力は惜しまない。たとえどれほどの困難が予想されたとしても、もはやそれだけでは引き返す理由にはなり得ない。 (コーデリアは、攫われた俺を探してくれていた。オルブライト公爵家の威光で追い払われようとも、諦めず。そのコーデリアは俺に対し、「貴族社会では身の置所のない変わり者だから、平民になることに躊躇いはない」と言っていたが……。この先俺が公爵位を望み、それでも変わらずそばにいてほしいと言ったとき、それは彼女の幸せとなるだろうか)  そのとき、どこか遠くで人の怒鳴り声が響く。空気がざわめき、騒ぎが起こっている気配が閉ざされた部屋にまで伝わってきた。  耳を澄ませて何が起きているのか様子を探ろうとしたところで、バートの左手のバングルが淡く発光した。 “バート、すぐそばまで来てる!! あまり損のない陰謀に巻き込まれているとして、あなたの決断はどうなの!?”  * * *  長閑な田舎道の先に、規模は大きくないものの堅牢な石造りの年季の入った屋敷が現れた。  前公爵の末子であるギデオンに、前公爵が財産を残せない代わりにと個人的に譲り渡したもの、とセドリックが道中説明してくれた。  バートの誘拐騒動の拠点となっているだけに、屋敷の者たちは外から来る者に対して警戒はしていただろうが、よりにもよって現れたのは王家の馬車。  先触れも出していたということで、一行が馬車から降りたときにはギデオン自らが出迎えに出ていた。  その顔はひどく苦々しげに歪んでいた。  仰々しくセドリックには挨拶したものの、納得いかない様子でコーデリアをにらみつけ、吐き出すように呟く。 「あれほど言ったのに、まさか追いかけてくるとは思わなかったぞ。好きであればこそ身を引くのが恋人ではないか」 「身を引くかどうかは、本人と話してから決めます。恋人だからこそ、勝手に彼の幸せを決めつけることなく、本人はどうしたいかを知りたいんです」  コーデリアは左手のバングルに触れながら敢然として言い返す。  押し問答をしているうちにバートまで話が届いたのか、やがて屋敷の玄関口から攫われたままの姿でバートが現れた。コーデリアを見ると、ぱっと顔を輝かせる。 (良かった、元気そう。怪我をしている様子もないし……)  ほっとして笑顔で応えつつ、コーデリアは走り出したい気持ちを堪えてバートがそばに来るまで待った。  いざ本人を前にすると、胸がいっぱいでなかなか声が出ない。  先に口を開いたのはバートだった。 「ここまで来てくれてありがとう。何かと迷惑をかけた」 「そうよ、いきなり攫われて。いろいろあったんだから」  思ってもみなかった憎まれ口を叩いてしまい、コーデリアはあわてて唇を閉ざした。バングルで先に連絡は取れていたが、顔を見るとやはり思いが溢れてうまく伝えられなかったのだ。  バートは「本当にごめん」と小声で囁いてから、ギデオンに向き直った。 「公爵閣下がお亡くなりになり、前公爵の血縁として俺が探されていたという事情は聞きました。招待方法は手荒でしたが、ここまで連れてきてくださってありがとうございます。諸々の不足に関してはこれから猛勉強するとして、お話自体は前向きにお受けします」 「おお……!」  喜色を浮かべたギデオンが、まるで握手でもするかのように二、三歩近づきながら手を差し伸べてきたものの、バートは続けてきっぱりと言った。 「キャロラインさんとの間に子どもは生まれません。そういった行為は一切ありません。生まれた子どもがどうという話ではなく、俺自身が役割を果たしたいと言っています。次期公爵として」 「それは話が違う。お前のような平民育ちの庶子に務まるような仕事ではない……! オルブライト公爵という身分を軽々しく考えるな!」  そこで、コーデリアがさっと左手を上げた。その手首にはまったバングルに、後ろに控えていたロズモンドが手を伸ばして軽く触れる。 “彼は先だって亡くなった公爵の息子だ。彼にはすべてを継ぐ権利がある”  ギデオン自身の声がその場に響き渡った。 「それはなんだ!?」 「音声記録です。ギデオンさん、バートこそが公爵位にふさわしいってご自分で仰ってましたよね。だからこそバートを招待したんですよね? これからバートの良き後見人のひとりとしてバートを支えてくれるんですよね。どうぞよろしくお願いします」  ここぞとばかりに、コーデリアは満面の笑顔で告げて、その後のギデオンの反論をバートと二人でやりこめた。  その様子を、同行してきたセドリック、シャーロット、ロズモンドがしっかりと見届けていた。  * * *   ギデオンは「話を聞きたい」というセドリックに、王宮へと連行されることになった。  コーデリアやバートたちも王宮へと「招待」されてすぐの帰国を見送り、数日の間、賓客として滞在することになった。  バートの処遇は、王宮内外の関係者との調整を経て数日の間に決まった。  母方の家から後見人を迎え、王宮からも人材を派遣して、バートの教育を早急に進めること。  一年ほどは公爵代理としてセドリックが実権を預かるものの、将来的にはバートが公爵となる。  ギデオンに関しては、当面の間は王宮からの監視付きで蟄居。手段は褒められたものではないが、犯罪者として処罰するには至らず、折を見て待遇を考えるという保留状態。  めまぐるしく時間が過ぎ、ようやくプライベートな会話のできるお茶の席がもうけられ、バートは改めて国から追いかけてきてくれた面々に深々と頭を下げた。 「今回は本当にご迷惑をおかけしました。探しに来てくれてありがとうございます。お世話になりました……ロズモンド様の魔道具にも」 「こちらこそ、今まで何かと実験に付き合ってもらって助かっていたよ。魔力の強い人間は使い道が……」  素直に答えるロズモンドに対し、コーデリアが咳払いをして牽制する。 「お兄様、過去は不問にされるとしてもこの先バートはこちらの国の公爵最有力候補です。滅多なことは口にしないでください」 「そうは言っても、セドリック殿下も『魔道具の実験が必要なら遠慮せず遊びにきてくれ』と言っていたし」  同席のセドリックに向けて、ロズモンドが悪びれなく言う。お茶のカップに口をつけていたセドリックはカップをテーブルに戻してにっこりと笑った。 「楽しみにしているよ。実験にかこつけて兵器みたいな物騒なものを国内に持ち込まれたり、隠して作られていたら許可した私の立場がなくなるから、最初から最後までしっかり付き合わせてもらう」  二人の会話をよそに、シャーロットが「殿下の本当の目的は、ロズモンドだったんですね。渡しませんけど」と渋い顔で呟きお茶を飲んでいた。  バートは並んで座ったコーデリアに視線を向け、真摯な表情で言った。 「コーデリアにもこちらの国に留まってもらうことになってしまって……。貴族社会が苦手だと言っていたのに、むしろど真ん中で、負担を強いてしまうことになるんだけど」  切り分けられたパイに手を伸ばしていたコーデリアは、その声を聞いて一度手を引っ込めた。ちらりとバートの顔を見て、真面目くさった顔で答えた。 「構わないわ。私の仕事はどこにいてもできるし、身分で小説を書くわけじゃないから貴族でも平民でも関係ないもの。セドリック殿下も、公爵夫人も小説家の私も、どちらも応援してくれるって言っている。空から槍が降ってくるのを期待しているのは困りものだけど。どうしたものかしら」 「空から槍?」  きょとんとしてバートが聞き返したところで、コーデリアは「なんでもないわ。そんなオチにはしないから」とテーブルの下で手を伸ばしてバートの手を取った。  すぐにその手を受け止めたバートは、笑顔となって「まずはあの日買えなかった指輪を買いに行こう」と言って強く手を握りしめた。  互いをその目に映して視線を絡め、二人は同時に小さく噴き出した。
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