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ううん、と若葉は首を横に振った。この男は多分、自分に手が差し伸べられることなんて絶対にないと思って生きているのだろう。
「……帰るよ。」
この男が、茉莉花の行き先を知っているとはもう思えなかった。本当に、知らないのだ。知りたくても、聞き出したりはできない男なのだ。だから茉莉花は、自分の過去をこの男には話していったのだろう。
「そうですか。」
男は若葉を引き留めなかった。茉莉花のことも引き止めなかったのだろう。ひとりの似合う男だと思った。
「……茉莉花姐さんは、あんたのこと、結構好きだったと思うよ。」
心の底から本気で言った若葉に、男は小さく首を傾げた。そんなことはない。そう思っているのだとはっきり分かる仕草だった。若葉は、それ以上言いつのれなかった。孤独の辛さなら、少しは知っているつもりだった。
「じゃあ。」
若葉がリビングを出ると、男は後をついて来た。
「道、分かりますか?」
「うん。」
じゃあ、ここで、そう言って、男は玄関で若葉を見送った。若葉は一度だけ振り返った。男は、玄関のドアを手で押さえて、若葉に小さく手を振った。若葉も、手を振りかえした。大きく。もう二度と会うことのない相手。そう思うと、胸のあたりが軽く締め付けられるのが不思議だった。
男の気配が消えると、若葉はスマホで時間を確認し、自分の出番までもうそう時間がないことを知り、大急ぎでストリップバーまで戻った。控室で馴染みのセーラー服に着替え、手早く化粧を済ませ、そのままの勢いでオーナールームに乗り込む。ノックさえ忘れて、叩きつけるようにドアを開けたが、オーナーは特に驚いたようなそぶりも見せなかった。締め切ったブラインドの方を向いて座っていた彼が、椅子ごとくるりと若葉の方を向く。
「迷わなかったか?」
「はい。」
「どうだった?」
「変な男が一人いました。」
「茉莉花は?」
「ちょっと好きになったんだと思います。」
我ながら要領を得ない返事になった。思わず若葉がちょっと笑うと、オーナーもちょっと笑った。
「そうか。」
「はい。」
「そろそろ時間だ。舞台に出ろよ。」
「見ててください。ここから。」
きれいになった、はずなので。
若葉が言うと、オーナーは頷いてブラインドを開けた。それを確かめた若葉は、階段を駆け下りて舞台袖に向かった。
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