アンタと過ごした三年

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ゆっくりと深呼吸する。 それを、三回。 乱れた息が、徐々に整っていく。 「ったく、早いんだよ。馬鹿野郎」 イラついて、胸ポケットを探る。 薄くなったタバコの箱を取り出して、一本口に運ぶ。 最後の一本だった。 男のイライラに拍車がかかる。 箱を握りつぶし、ライターを取り出す。 吐き出した紫煙。 男の心情など、知らぬようにゆらゆらと空中に舞う。 チッ、と舌打ちし、男はタバコを咥えたまま携帯を探る。 相手は直ぐに出た。 「俺だ」 『えー?俺俺詐欺ですかぁ?』 ゆるりとした、相手の声にンな訳あるかボケが、と悪態つく。 どうしていつもこうなのか。 三年前、急に現れた年若い男。 俺、アンタと組むみたいっす。よろしくお願いします。 なんて、ちっとも宜しくないような表情でふてぶてしくその男は言った。 人を信用するのが疲れる、などとのたまうその男に若い奴は分からんと溜息が出たものだ。 五十も半ばにさしかかり、これまでみてみぬふりしてきた体の軋みは酷くなる一方だ。 体が資本だと、食べに食べ、そして呑みに呑んだ(何が資本だ!)体は弛んだ肉がつき、走ればその肉が目の前でぽよぽよと弾む。 だが、酒と煙草はやめられなかった。 常に気を張っている仕事なのもある。 コンビを組んだ男は、四賀という。 自分よりも三十も若い。 頭がキレるタイプでもなく、身体能力が飛び抜けていいわけでもない。 切れ長の目は鋭い、あとは態度がデカい。 身長は高く、割と色白。 信用してない、という言葉通りに自分の言うことなど聞きはしない。 勝手な行動ばかり。 「お前今どこだ」 問えば相変わらず小馬鹿にしたように鼻を鳴らしてくる。 『アンタに教える必要あります?』 三年経てば、少しはコミュニケーションが取れるはずだ。 初めは気に食わないやつでも、一緒にいれば、そこそこ月数が経てば何だかんだで絆が生まれる。 それが、こと四賀に関しては当てはまらないのはなぜなのか。 「あのなぁ。俺たちは一応ペアなんだぞ」 鞭ばかりではダメだろうと、飴も与えた。 困りごとはないか聞いてみたり、昼メシを馳走してみたりしたことだってある。 無骨で粗野な男代表の、精一杯の努力だった。 それは全て、ありがた迷惑だと表情にハッキリ出されて不発だったが。 別に信頼関係を築かなくても、仕事はできる。 ただ、ミスれば命取り。 連帯責任で始末書を何十枚も書くのなら別にいい。 だが、それだけで済むとは限らない世界だ。 『そんなの、俺には関係ない』 全くもって、骨が折れる小童め。 『そもそもアンタが追いつかないだけでしょ。デカなのに情け無いっすね』 言うだけ言って、切りやがった。 男は溜息を吐いた。 橙が、黒にほんのり変わり始める時刻。 行くあてもないので、逃走者は統制が取れない相棒に任せてゆっくりと歩く。 とりあえず、部署に戻ることとした。 背後からの足音に気づいた時には、もう遅かった。 鋭い痛みが、男を襲った。 「っ!」 痛みで声が出ない。 まさか、自分がこんな目に遭うなんて。 いや、そういう職業だ。 常に覚悟はあったはずなのに。 逃走していく姿には、見覚えがあった。 ああ、ちくしょう。 目が霞んできやがった。 携帯を扱う気力すらない。 遠くであがった悲鳴。 それが、男が聞いたさいごの音だった。 犯人を捕まえ、先輩刑事に引き渡した。 手柄を求めるようなタチではない。 ただ、ひたすらに疲れた。 一緒に組んでいる男は役に立たない。 足は遅いし、直ぐに怒鳴る。 ただの太った、オッサンだ。 三年組んではいるが、飽きてきた。 コミュニケーションを取ろうとしているのも癪に触るし、次の人事異動ではコンビ解消するように提言しようか。 そう、四賀は考えていた。 人を信用しない、と思ったのにはもちろん理由がある。 かなり幼い記憶ではあるが、父親が横柄であり母親や自分を大切にしていなかったからだ。 いつも煙草臭かった、ということは覚えている。 母親は優しいひとだった。 だけれど、仕事にかまける父親に愛想を尽かして二人で家を出た後からおかしくなった。 子育てのため、と真面目にパートしていた母親が、離縁から三年経った後から派手な衣装を身に纏うようになった。 毎日違う大人の香りをまとわせ、四賀の言うことを否定しはじめた。 見知らぬ男が家に来ることもしばしばだった。 純愛ではない、毎回違う男だ。 淫らな行為に耽る母親は、いつしか四賀のことを気にかけることはなくなっていった。 そして、彼は母親とも離れ離れになった。 自分を愛してくれていたひとから、「あんたなんか邪魔よ」と言われた。 その言葉が、鎖となって彼は自己肯定感を高くもてなくなった。 信じても裏切られることを知った。 知りたくなかったのに、残酷な思い出として今も彼の心をしめている。 信じても裏切られるなら、初めから信用しない方がマシだ。 そう、思って生きるしか彼には方法がなかった。 嫌な態度をとれば、相手は絡んでこなくなる。 ひとりに慣れすぎてしまった身としては、それは有り難いことだ。 しかし、コンビで動かなくてはいけないこの職種は失敗した。 ほのかな記憶、父親を憎んでいる。 それは変わりない。 だが、同時に尊敬もしていた。 市民を守る、父親の職種を。 中には堕落する者もいる、そんな中で桜の正義を掲げて間違えない父親を。 悪いのは父なのか、母なのか。 そんなことは今更どうでもいい。 だが、ひとつ。 父の職種に就きたい。 それは嘘偽りない気持ちだった。 楽しくないことに、楽しいふりをした。 かなしいのに、かなしいと言えなかった。 苦しみから逃げたいのに、ますます苦しい方へ行ってしまう。 そんな、自分すら裏切り、嫌いな自分の唯一の本心。 馬鹿げている、と思う。 だけど、その気持ちには嘘をつきたくないという謎のプライドがあった。 この先、なにを犠牲にしても他のどんな感情を殺しても。 は、と四賀は自嘲した。 結果、自分の気持ちは守った。 だが、どうだ。 ますます人間嫌いになってコミュニケーションも取れない。 コンビの相手を煽り、してもらうことに礼も言えない。 嬉しいのに、真逆の態度を取る。 ろくでもない刑事が出来上がってしまった。 人を疑うこと、状況を疑うこと。 それはこの職種において非常に重要だ。 よく言われることだ。 だけれど、このままでいいのかと何度も問いかけた。 結果は……、毎回悪魔の囁きに耳を傾ける。 そんな自分が嫌になる。 でも、そんな自分にした周りも疎ましい。 はあ、と溜息を吐く。 とりあえず、仕方ないから置いてきたオッサンを回収に行くか。 携帯を取り出した時だ。 インカムから、焦ったような声が聞こえた。 『四賀!お前今どこにいる?』 「は?何ですか藪から棒に」 相手が続けたことばに、四賀は手にした携帯を取り落とす。 そんな、まさか。 そんな、こと。 『早く行け。分かったな』 はい、と言うことばは弱々しくいつもの彼らしくなかった。 インカムの通話が切れる。 四賀は、しばらくそこに立ち尽くしていた。 知らず、流れ出る涙に疑問すら持てなかった………。 駆け込んだ病室。 彼は、ぼんやりと宙を眺めていた。 「今家さん」 呼びかければ、男は四賀の方を見つめる。 「……四賀?」 今まで聞いたことのない、穏やかな口調だった。 「なんでいるんだ」 「なんでって」 コンビを組んでいるからでしょう、と言いかけて四賀は口を噤む。 自分から彼の分かりにくい優しさを嫌がっておきながら、今更そんな甘いことを口にするなんて烏滸がましく感じたのだ。 「………まあ、いいさ。俺はこのザマだ。良かったな、コンビ解消だ」 命に別条はないが、数カ所切られた場所がよくなかった。 足が不自由になってしまい、今までどおりの仕事は無理だ。 仕事も退職せざるを得ない。 「………」 だが、四賀は喜ぶ素振りは見せなかった。 「四賀?」 問いかければ、四賀はベッド横の丸椅子に座った。 「……………今家さん。俺、ある人に憧れて警察になったんですよ。誰も信用できないし、自分のことも嫌いだけど、それを目標に学生時代はがんばった」 「……おう」 自分語りとは珍しい。 普段の今家なら、じっくりは聞いてやれなかったかもしれない。 だが、せっかく四賀が話してくれているのだ。 相槌をうちながら、真剣に聞くことにした。 「両親は、俺が小さい頃離縁しました。母が俺を連れて家を出たんです。そこから、生活は荒れました。父は、横柄だけど………今考えると、俺に対して無関心ではなく、忙しい最中でも時々遊んでくれました。その父が、人を護る仕事をしてたんです」 今家の脳内に、小さい子と遊ぶ男がリアルに浮かんだ。 その男が、自分と重なるのは何故だ。 「かなり昔の話ですけどね。俺は、それから人を信じれなくなりました。優しい母が豹変したのが大きくて。信用したら、裏切られるって思って…………ねえ、今家さん」 「なんだ」 「俺、アンタにあいたかったんですよ。ねえ、………忘れた?俺のこと」 まさか。 「………お前」 記憶が鮮明になる。 ある日、出て行った妻と息子。 息子は、まだ3歳だった。 ああ、目の前の男が……… 「思い出した?父さん」 「ナオ……なのか?」 苗字も名前も変えていたから、気づかなかった。 あの時と全く容姿も顔も違っていた。 「そうだよ。やっと気づいてくれた?」 「じゃあ、………俺に冷たかったのは、うらんでいるからか?」 「ううん。違うよ。俺、本当は嬉しかったんだ」 「ナオ………」 「ごめん。初めから気づいてたんだ。父さんが吸ってた煙草の匂いと、香水の匂い何となく覚えてたから……」 可愛いことを言う息子の頭を撫でる。 「よく、がんばったな」 そうだ。 息子は可愛かった。 妻との関係は、冷えていたけれど。 まさか、初めから気づいていたなんて。 「父さん」 泣き出した四賀の頭を、今家はずっと撫で続けた。 あれから、三年。 四賀は、本名に戻った。 ふてぶてしい態度は、少しずつ緩和していると元同僚が笑って教えてくれた。 今も第一線で、活躍している。 そんな誇らしい息子のために、今家は今日もゆっくりと家事をする。 親子関係は、良好だ。 「これも、怪我の巧妙…….かね」 自分自身も丸くなったと、今家はひっそりと笑うのだった。
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