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ふと思った。
この人は、なぜこれほど詳しいんだ?
「それにしても、ずいぶんお詳しいですね」
渡辺はふっと笑みを浮かべ、
「昔からこうした話に興味があって。野次馬根性とでもいいますか」
冷酒をくいと呑んだ。
「私はさておいて、三上さんは、何かの取材でこちらに? あ、立ち入ったことでしたらすみません」
「ええ、取材です。内容はあまり詳しくは言えませんが……」
「それは失敬を。守秘義務がおありでしょう」
すみませんと、渡辺は頭を下げた。
こんな話のあとに芸能人の不倫の話など、場違いにもほどがある。
かたや社会を揺るがすような未解決事件かもしれない。こっちは、それこそ野次馬根性を満たすだけの下世話な話だ。
自分のこれまでの仕事を卑下するつもりはなかったが、この老紳士を前にして言うのは憚られた。
「それで、中曽根総理がどう……?」
「ええ。当時の中曽根政権が進めようとしていた、ある政策なのですが……」
日航123便墜落事故の三年前。
一九八二年から首相の座に就いた中曽根康弘。
当時の米国大統領はロナルド・レーガン。
二人はすぐに意気投合し、中曽根はレーガンに対して、米国対日貿易赤字の解消と、日本の防衛力強化を約束した。
対米追従は現在の日本も同じだが、中曽根政権時代も、日米の貿易不均衡解消と、日本の防衛力強化に向けて、日米は足並みを揃えていた。
そうした背景のなか、中曽根政権対野党の最大の争点が、防衛費のGNP1%枠をめぐる攻防であった。
かつて三木政権時代、日本の軍事大国化を懸念した三木首相は、防衛費をGNPの1%以内に抑えることを決定した。
しかし中曽根康弘は、自身の政権下において、この枠を撤廃したかった。
1%枠を撤廃し、自衛隊の防衛力強化を図りたい矢先に、自衛隊機が民間機を墜落させていたとしたら、野党や世論はどう反応したであろうか。政権や官僚上層部は責任を追及され、防衛費の1%枠撤廃は頓挫していた可能性が高い。政権が転覆してもおかしくない不祥事だ。
米国からの要求である、最重要政策の足枷となる自衛隊の不始末を隠蔽するために、中曽根は事故調査委員会に虚偽の発表をさせた。
「そう考えても不思議はないか……」
三上は、うーん、と唸り腕を組んだ。
スマホで“中曽根 レーガン”と検索すると、二人が並んだ画像がいくつも表示された。
「ロン・ヤスって、聞いたことあるな」
「そうですね。愛称で呼び合うくらい懇意だった。まあ、外交がうまくいってると国民にアピールするための演出もあったとは思いますが」
「その1%は結局、どうなったんですか?」
「日航機事故の翌年の十二月に、中曽根政権が撤廃を決めました。たしか、一九八七年から三年連続で1%を超えたと思います」
「じゃあ中曽根政権は、レーガンの期待に応えたってことですね」
「そうなりますね。中曽根さんといえば、あの人はどうも、航空機事故と因縁がありましてね……」
「因縁……それはどういう」
三上が身を乗り出したとき、店主がカウンターから顔を覗かせた。
「お客さますみませんが、そろそろ閉店の時間でして……」
もうそんな時間かと腕時計を見ると、夜の十時を廻っていた。
時間を忘れるほど夢中で聴き入っていたのだ。
「あの、渡辺さん。もしよければ場所を変えて続きをうかがえませんか?」
「かまいませんよ。私が泊まっている宿でどうですか? 友達も二人いますが、ここからすぐ近くですし」
「ぜひ、ご迷惑じゃなければ」
二人はそれぞれ会計を済ませ、連れ立って渡辺が泊まる旅館に向かった。
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