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東京の某大学2年生、佳奈の話し。
親元を離れて上京した佳奈は、1Kの安アパートで独り暮らしをしている。
午後が休講になった、ある日の昼下がり。
佳奈は自宅で足を滑らせ、転倒した際、左手を強く床に突いた。その拍子に左手首に激痛が走り、患部が瘤の様に腫れ上がった為、早急に近所の整形外科医院に駆け込んだ。
患部のレントゲン写真を撮った後、佳奈は診察室のモニターで、医師からその画像を見せられた。
「左手首の骨にヒビが入っている」
レントゲン写真の左手橈骨の一部を指差して、医師が説明した。そこには確かに小さな亀裂が黒く映し出されている。
「このヒビは、凶のヒビだな」
医師が勝手に占った。
「凶のヒビ?」
首を傾げる佳奈に、医師が頷く。
「私は朴骨占いの心得があって、骨のヒビで吉凶を占える。君のヒビは霊障を招く模様だ。いっそ折れた方が良かった。いま折るか?」
真顔で問う医師に、佳奈は怒った。
「折るわけないでしょ!」
機嫌を損ねた佳奈に、それから医師は看護師と共に淡々と治療を施した。
左腕の手首から肘下をギプスで固定し、痛み止めの錠剤を処方され、佳奈は帰宅した。
夕方に差し掛かり、陽が暮れ始めていた。
ギプス固定の施術の際の部分麻酔がまだ効いていて、今のところ痛みは無い。
急な通院で疲れた佳奈は、ベッドに寝転がり少し眠った。
ふと目を覚ますと、黄昏時で、室内は薄暗いオレンジの暮色に染まっていた。
ベッドから起き上がろうとしたが、金縛りに遭い、仰向けの状態から動けない。
ベッドは佳奈の左側の壁際に接し、右側には部屋の床を挟んで壁がある。
金縛りの中、佳奈は目だけを動かして、その右側の壁を見遣った。壁の中央部分の床上1㍍辺りに、壁紙が剥がれ落ち、壁板が露出した箇所がある。その壁板には幅0.2㍉、縦3㌢の小さなヒビ割れが走っていた。
その縦3㌢の割れ目の上下の端が、ペンで縦線を引き足す様に急速に伸張して、床からの高さ160㌢の縦長のスリットになった。
その人の背丈程に伸びた、僅か幅0.2㍉の割れ目の溝から、コピー機が紙を排出する様にスルスルと、体の厚さが0.1㍉の女が滑り出て来た。
佳奈は恐怖に目を剥いた。それは壁の隙間に潜むという隙間女ならぬ、壁のヒビ割れから出現したヒビ女だ。
ヒビ女は、紙状の薄っぺらの体をユラユラと波打たせながら、ベッドの佳奈に歩み寄り、その上に馬乗りになった。
そして紙状の両手で、佳奈の首を絞めながら叫んだ。
「貴志と別れてよォ!」
貴志とは、佳奈の同期の彼氏だ。
ヒビ女は、極薄の腕にそぐわぬ怪力で、佳奈の首をキリキリと絞め上げる。
呼吸を塞がれ顔を真っ赤にした佳奈は、金縛りを解いて抵抗しなければと、必死に全身の力を振り絞った。
すると、ギプスを嵌めた左腕だけが自由になった。
佳奈はその腕で、自分に跨ったヒビ女をバシバシと殴り付けたが、ビクともしない。
不意にあの医師の言葉が脳裏を過ぎる。
「君のヒビは霊障を招く模様だ。いっそ折れた方が良かった」
佳奈はベッド沿いの左側の壁に、思いっきりギプスの左腕を叩き付けた。
ヒビが入っていた橈骨が折れて、凄じい痛みが左手首で爆発し、
「ギィヤアァァー!」
と佳奈が絶叫すると共に、ヒビ女は消えた。
霊障を招く橈骨のヒビが、骨折で砕けた為に、ヒビ女も消滅したのだ。
佳奈はスマホで救急車を呼び、救急搬送された。
骨折した左腕は、ギプスを嵌め直し、今度は三角巾で吊られた。
「貴志と別れてよォ!」
と訴えたヒビ女の顔に、佳奈は見覚えがあった。
顔を知っているだけで交友はないが、同期のA子に違いなかった。
貴志はA子と浮気をしている。あのヒビ女は、A子の生き霊に違いない。
きっとA子の方でも、貴志の二股に薄々勘付き、その嫉妬の念が生き霊と化し現れたのだ。
そう確信した佳奈は翌日、貴志を問い詰めた。
案の定、彼は浮気を認めた。
しかも本命はA子の方で、振られたのは、佳奈の方だった。
左腕を骨折するわ、振られるわで、もう散々だった。
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