蛇帯

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蛇帯

 たとえば、ネットの掲示板やSNS。『幽霊巫女さんにお願いするスレ』や『幽霊巫女』とだけ書かれたアカウントに願い事を書き込めば、いつの間にか君の悩みは解決している。  たとえば、電話。スマホで『11011』に電話すれば、幽霊巫女さんが出て、君の願いを聞いてくれる。  たとえば、普通では辿り着けない『願いを叶える神社』。怪異に遭ったら、彼女を呼べ。そこに行けば、幽霊巫女さんは君を助けてくれる。  それが世に広がっている『幽霊巫女の噂』だった。  新條涼佑はもうほとほと参っていた。もう自分一人の力ではどうしようもない状況だった。いつ自分の命が絶たれてもおかしくない。毎日どうしようどうしようと考え込んで、とうとう友達の直樹に白状したのが昨日。そこで彼から聞いたのは、『幽霊巫女の噂』。ネットでも電話でも直接でも如何なる相談にも乗ってくれる不思議な巫女さんの話だった。  学校帰り、涼佑は近所の八野坂神社に向かっていた。その後を当然のように追う細長い影を引き連れて。八野坂神社に着くと、迷わず社務所に向かった涼佑だったが、そこには巫女なんていなかった。否、巫女どころか誰もいない。こんな時に出かけているらしい。焦りと死への恐怖から苛立ち混じりに「ああ、もうっ!」と吐き捨て、涼佑は再び境内に戻って来た。そこに追いついたらしく、あの影が涼佑に迫った。その正体はスマホの充電コードや文房具店から追ってきたマスキングテープやナイロンロープ、ありとあらゆる紐状の物達だ。その光景を見た途端、彼の口からは「ひ……っ!」と引きつった悲鳴が漏れる。  逃げようとした彼の首に我先にと誰かの充電コードが巻き付き、思い切り締め上げる。突然のことに涼佑は「がっ……!?」という声が出ただけで、助けを呼ぼうにも呼べなくなってしまった。呼吸が完全に遮断され、目玉が飛び出るような熱い感覚が涼佑を襲う。そんな彼の目の前には、いつの間にか真っ黒な影が佇んでいた。彼より幾分背の小さな少女の形を作っている『それ』は、彼が酸素を求めて、開けた口に徐に自分の片手を突っ込み、彼の首に絡まっている充電コードをほんの少し緩めてぬるりとその胃に収まった。  途端に心臓を直接焼かれるような激しい痛みが涼佑を襲う。首に巻き付いていたコードや追ってきたテープやロープは力を失い、地面に転がった。激痛に耐えようと地面を転がり、助けを求める涼佑。  誰か助けて欲しいと伸ばした手の先に、いつの間にかまた違う神社が建っていた。  ふと、涼佑は目が覚めた。てっきり自分は死んだのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ゆっくり立ち上がった涼佑の前には、やはり意識を失う直前と同じように八野坂神社とはまた違う様相の神社が建っていた。  社殿自体は八野坂神社より小さいものの、どこかこの世とはほんの少し違う清浄な空気に包まれている。どこか現実離れした状況と感覚に不思議に思いながらも、涼佑は神社を調べてみようと思った。何となく社殿へお参りし、制服のポケットから財布を取り出して五円玉を賽銭箱へ入れた。がこん、と大きな木箱の底に五円玉が当たる音を耳にしながら、涼佑は自分を助けて欲しいと願う。 「毎度ありぃ」  ふと、すぐ目の前で少女の声がした。その声に反射的に目を上げると、賽銭箱の上に頬杖をついて、こちらを見上げている巫女がいた。長い黒髪を無数のお札でポニーテールにした、勝ち気な笑みを浮かべている。まだ少女と言ってもいい年齢の巫女が突然、目の前に現れたことに涼佑は些か驚いて後退った。その行動にほんの少し気を悪くしたのか、巫女はむすっとした顔をする。 「なんだよ、そっちが私を呼んだんだろ」 「え? え? え? こ、ここは……? 君は……?」  まだ自分の置かれた状況が分かっていない涼佑に、巫女は微笑んで答えた。 「ここは『願いを叶える神社』。で、私がそこの『幽霊巫女』って訳だ」  死の間際にやっと辿り着けたのだと、とろとろと理解した涼佑は驚きのあまり「へ、ぁああああ……?」と実に間抜けな声を上げてしまう。そんな彼を見て、巫女はくすくすとおかしそうに笑った。口調や態度は勝ち気だが、ふと見せた年相応の笑顔は可愛らしい。軽やかに跳んで涼佑のすぐ前に来た彼女は、まじまじと涼佑の顔を見た。 「で、お前の願いは『助けて欲しい』、だったか。生憎とどう助けて欲しいのか言ってくれないと私には分からんぞ。次は気を付けろ。……まぁ、次があればの話だがな」 「『次があれば』……って、え? ど、どういうこと、ですか?」  巫女は「何を言っている?」とでも言いたげについ、と涼佑を指して言った。 「だって、お前。もう死んでるし」  今度こそ耳を疑う発言に、涼佑は驚愕の絶叫を上げた。彼の絶叫に巫女は「うるさっ」と自分の耳を塞ぐと同時に、二人の間に大きな影が割り込んで、涼佑は鳩尾に衝撃を受けた。賽銭箱の前から境内に吹き飛ばされ、痛みで悶絶する涼佑から目を離さず、静かに背後の巫女へ告げた。 「ご無事ですか、主人」 「童子……あまり手荒な真似をするな。折角の『客』だぞ」 「しかし、こやつが何か主人に悪事を働かないとも限りませぬ」 「相変わらず、真面目だなぁ。お前」  童子と呼ばれた影の正体は、額から二本の角が生えた大柄な男だった。巫女と色を揃えているような紅白の動きやすそうな和装に身を包み、地面に付きそうな程つやつやとした長い黒髪、白い肌には茶色の隈取に似た化粧がタトゥーのように施されている。その手には大振りの槍が握られていた。いつでも相手が立ち上がって向かってきても良いように構えているが、いつまで経っても涼佑が起き上がってくる気配は無い。 「おい、もしかしてさっきの一撃で失神したんじゃないか?」  主人の鋭い一言に、童子は厳かにゆっくりと槍の切っ先を天へ向け、ふぅと重い溜息を吐いた後に言った。 「なんと軟弱な」 「そうじゃないだろ。一般人がお前の蹴りに耐えられる訳無いから」 「いえ、距離を取らせる為に軽く蹴っただけのつもりなんですが」 「言い訳しない。ほら、童子。お前がやったんだから、責任持ってお前が介抱してやれ。社務所使って良いから」  主人に怒られた鬼・八坂童子は些かしゅんと肩を落としながらも、主人の言う通りにしようと涼佑を片手でひょいと担ぎ上げた。  涼佑がまた次に目を覚ました時、彼は温かい布団に寝かされていた。眠る前のことをよく思い出せず、ただ鳩尾の辺りが痛むなと思いながら、のそりと彼は上体だけを起こして周囲を見回した。普通の和室に普通の布団を敷いて寝かされていたようだ。傍らには座布団で丸くなっている猫が一匹と水の入った桶に清潔な手拭いが浸されている。誰かが介抱してくれていたらしい。どのくらい時間が経っているのか確かめようと、涼佑は制服のポケットに手を突っ込んだ。 「……あれ?」  無い。眠る前、確かにあった筈の財布も無くなっている。さっと血の気が引いて、全身をぺたぺたと触ってみるも、無い物は無い。なんでどうしてどっかで落としたかと彼が焦っていると、障子を開けて誰かが入って来た。はっとそちらへ振り返ると、そこには腰に刀を提げた巫女装束の少女が立っていた。 「お、起きたか。気分はどうだ? って言っても、気絶する前とそんなに変わらんか。童子に蹴られただけだし」 「あ、えっと……」 「なんかピンときてないみたいだから、一応、説明しとく。お前は『幽霊巫女』である私に助けを求めた。私が見たところ、お前は既に死んでいる身だが、あー……正確には生きてるとも死んでるとも言えないが、とにかく私に助けを求めた。だから、助ける」 「死んで――って……」  そこではっと涼佑は気絶する前のことを思い出した。気絶する前にも同じことを言われた、と。慌てて飛び起きた涼佑は巫女に迫った。 「あの、あの、オレ、死んでるってどういうことですかっ!?」 「おお、思ったより元気だな。う~ん……まぁ、死んでると言えば、死んでるし。生きてると言えば、生きてる、っていう感じなんだが」  涼佑の勢いに押されながらも、巫女から一言では説明できないと言われ、「取り敢えず、茶でも飲むか?」と訊かれたので、少し冷静さを取り戻した涼佑は「は、はい……」と近くにあったちゃぶ台に就いた。腰から刀を下ろして畳に置いた巫女は、座布団の上で丸くなっている猫に向かって当然のように言った。 「じゃ、そういう訳だから童子。お茶を出してくれ」 「は……?」 「――仕方ない。主人の命とあらば、やるか」 「え?」  座布団の上で気持ち良さそうに寝ていた黒白のハチワレ猫は、のっそりと起き上がって口を利いた。鋭い爪を立てて、くぁ、とあくびを一つすると、とてとてとハチワレ猫は開けられた障子へ向かいがてら、その躰を大きく変化させた。涼佑が気絶する寸前に微かに見た角の生えた長身の男の姿になり、面倒そうに頭を掻きつつ、廊下を歩き去って行った。  目の前で起こった有り得ない光景に青ざめた涼佑は、ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めすることしかできない。そんな彼に巫女は何食わぬ顔で「ああ、鬼を見るのは初めてなのか」と言ってのけた。 「お、お、おに……? おに、って、あの鬼っ!?」 「他にどの鬼がいるんだよ。普段は猫の姿になってもらってるんだ。あいつ、図体デカいから可愛い猫の方が良いだろ。『客』ウケも良いし、あいつ自身、猫になってりゃ喋らなくていいしな」 「は、はぁ……」  他にどう答えていいのか分からず、涼佑はそんな情けない声しか出せない。「さて、じゃあ、茶を待ってる間にもう少しカウンセリングをしてやろう」と巫女は涼佑と向かい合わせにちゃぶ台に就いた。 「まずは互いに自己紹介が必要だろう。お前は私のことを知っているだろうが、私はお前のことなんぞ知らん。だから、簡単にで良いから教えてくれ」 「は、はぁ……分かりました」  そう言って涼佑はやや考えた後、丁寧に一礼してから簡潔に自分について述べた。 「えっと、ぼ……オレは新條涼佑、です。八野坂高校一年で、趣味は――ゲーム、かな? 今回はオレに取り憑いた悪霊を祓って欲しくて、来ました。よろしくお願いします……」 「お前、真面目なんだなぁ。こほん。では、私も一応、自己紹介しておこう。私はこの『願いが叶う神社』の管理をしている『幽霊巫女』。主な仕事は神社の維持・清掃・お守り販売・時々布教活動。戦いの神楽は大得意。そして――除霊や妖怪の調伏だ」  巫女は勝ち気で不敵な笑みを浮かべる。まるで勝負師のような表情に、涼佑は無意識に生唾を飲んだ。胡坐をかいた巫女は涼佑の顔を下から覗き込むように頬杖をついて、「で、今回、お前はそっちの『客』だな?」とにやりと笑った。その笑みにどこか人間離れした風情を感じて、涼佑の背中をぞっと怖気が走る。しかし、それも束の間、巫女と涼佑の間に割り込んだ大きな手が遮った。鬼がお茶を持って来たのだ。 「こら、あんまり『客人』を怖がらせるな、主人」  口では主人と呼んでいるのに、口調は保護者のそれで、敬意というよりは父性のようなものを感じる。それに巫女は不満そうに唇を尖らせて、幼い子供のように足を投げ出し、口答えした。 「なんだよぉー。ちょっとかっこつけてみたかっただけじゃんかよぉー」 「先程、一般人には手加減しろと己に言ったのは、主人では?」 「ちぇー」 「けちー」とよく分からない悪態を吐く主人に、鬼は仕方ない奴だと言いたげに溜息を吐いて涼佑に向き直る。正座をしている彼は丁寧に自分の腿に手を乗せて恭しく頭を下げた。 「『客人』、先程の非礼をお詫びする。いきなり、社殿の方から悲鳴が聞こえたもので、敵襲かと勘違いをした。そなたには迷惑を掛けてしまった故、願いは勿論のこと、何か詫びの品を差し上げたい」 「詫びの品って何渡すんだよ、童子。もう死んでる奴に持たせる物なんて、何も無いだろ」 「主人はもう少し柔らかい言い方というものを学んだ方が良い」 「ひっで。私、一応主人なのに」  ムスッとしかめっ面をする巫女に構うことは無く、鬼は涼佑に願いについて、詳しい話をするよう促した。 「して、そなたの願いとは?」 「あ、そうだった。えっと……助けて欲しいんです。あの…………女から」  どこから話そうかと少し悩んだ涼佑は結局、事の起こりから全て話すことにした。彼が一体の悪霊基、一人の女に執着され、悩まされ、追い詰められた挙句、この神社に至るまでに辿った道を。
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