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春待ち月のぬくもり
玄関の上がり框で壁に寄りかかり、携帯でネットニュースを読んでいた阿部冴弦は、耳で捉えたカチャリという音で顔を上げた。それと同時に玄関が開き、携帯をポケットにしまう。やはり、先ほどの音は鍵が開けられた音だった。
(来た)
待ち人が。
「うおっ、そこにいたのか」
ぼそりと小さく言って入ってきたのは西野桜和だ。赤黒のチェック柄のマフラーに、今日は黒いキャスケット――これは冴弦とお揃いの帽子だ――を被っている。冴弦は桜和を見た途端、胸中で桜和への想いが爆発してしまった。が、以前その勢いのまま抱き着いたら桜和が玄関のドアに頭をしこたまぶつけたうえ「怖いんだよっ!」と容赦なく張り倒されたので、桜和がドアを閉め、鍵を施錠してきちんとこちらを向くまで大人しく待とうと思う。そして落ち着いて抱き締める。匂いと感触とぬくもりを味わう。なんせ今夜は一週間ぶりの逢瀬だ。
「お前まさか俺が家出るって連絡した時から玄関にいたんじゃないだろーな。――お」
ようやく桜和が振り向いて。
「すっげ良い匂いする。夕飯、シチューだっけ?」
目を細めて可愛らしく微笑うから。
「桜和さん大好きだよ‼」
冴弦の中で二度目の爆発が起き、思わず飛びつくように抱き締めてしまった。直後、がんっ、という派手な音がした。
「痛っ……!だからやめろっつってるだろ!」
全力で引き剥がされたと思った瞬間、涙目の桜和に頭を殴り倒される。普通に痛い。が、桜和も後頭部をさすりながらこちらを睨んでいるので、また頭をぶつけて痛かったのかもしれない。
「ごめん桜和さん!頭大丈夫っ?またぶつけたんだよね?ヤバいよね、桜和さんの頭!」
「言い方!ヤバさでいったらお前の頭の中身が一番やべえわっ!」
「えええええっ⁉桜和さんの可愛さの方がヤバイんだけど⁉」
「それはそう」
大きく頷きながら桜和がブーツを脱いだので、冴弦は出しておいた桜和専用のスリッパを慌てて桜和の近くに置く。それからキャスケットとマフラーとコートを脱がしてやり――それ以上脱がそうとしたら桜和が拳を振りかぶって待っていたので諦めた――、丁寧にコートハンガーに掛け、桜和が「お邪魔します」と言ってスリッパを履いたところでようやく落ち着いて抱き締めることができた。
「寒かったでしょ」
「あー、まあ。でも車だし」
「だとしても、今夜雪がちらつくかもって言われてたんだよ」
空気はとても冷たかったはずだ。そんな中、桜和は作家業の合間に時間を作って来てくれたのだ。今夜は目一杯甘やかしたい。冴弦は愛しさを籠めて桜和の髪や頬にいくつも口づける。
「桜和さ……あ、リビング行ってからにする?」
〝いらっしゃい〟のキスをしようとしたけれど、玄関にいると寒いだろうとそう聞いた。しかし桜和はむずがる子どものように身動ぎし、そして冴弦から少し身体を離した。冴弦を見つめる瞳が〝早く〟と訴えている。
(可愛いな)
くすりと笑い、冴弦は桜和の両頬を掌で包む。目を瞑って唇を薄く開く桜和。冴弦はそっとその唇に自分のそれを重ねる。
「――……」
触れた唇は冷たかった。それでも甘さは変わらなくて。軽く吸って、味わうように食んでいると、徐々に熱を持ち始めるのが愛おしい。冴弦を抱き締める桜和も、背中に回した片手で冴弦の服をきゅっと握り、唇を食んでくる。
(舌入れたいけど)
そんなことをしたら止まらなくなる。きっと桜和は空腹だろうからと思い、冴弦は名残惜しく感じながらも唇をゆるゆると解いた。
「いらっしゃい」
「うん」
「早くリビング行こ」
頷いた桜和が冴弦の腕の中から離れ、「持ってて」と鞄を冴弦に預ける。それから跳ねるようにして洗面所に行って手を洗う。機嫌よく謎の歌を歌っているので冴弦はくすくす笑ってしまった。
「そういえば冴弦の方、仕事は?締め切りまだ先だっけ」
「今ちょっとやる気がバカンス中」
冴弦も桜和と同じで、本業は作家である。しかしまだお互い売れっ子には程遠く、日々鋭意努力中だ。
「バカンス行って二週間経つな。どこまで行ってるんだろ」
笑いを含んだ声音で言う桜和の言葉に、冴弦は少し考える。
「今回はドイツ、かな」
「ウインナーで一杯やってんのかっ。それ当分帰ってこないぞ」
楽しそうに笑う桜和が蛇口を閉める。そしてタオルで手を拭き、やはり跳ねるように冴弦の隣に戻ってきた。
「シチュー、鶏肉も野菜もごろっごろに入れたからね」
微笑って言った冴弦は、ついでに「鞄、持ってくよ」と桜和に告げる。そして機嫌良く短い廊下をリビングに向かおうとした時、突然、空いている方の手の薬指と小指をまとめてきゅっと握られた。驚いて冴弦は肩越しに桜和を振り返る。
「はる……か、さん……?」
冴弦を見て自分の唇を指差し、破顔する桜和。どきりと心臓が跳ねる。
「あとでさっきの続き希望な♡」
「――」
「あー、腹減った」
ぱっと離れるぬくもり。桜和は冴弦の脇をすり抜けるとパタパタとスリッパを鳴らしてリビングの扉の向こうに消えてしまう。
「――な」
三分後、ようやく冴弦は解凍された。さっきの続き、とはどの続きで、どこまで致していいのか。
「確認した方がいいかな……?」
明日は映画デートだというのに、桜和に無理はさせられない。しかし〝ヨシ〟が出たのに食べないのはもったいない。桜和はこの後すぐに締め切りの修羅場に入るのだから、次に会えるのは早くても半月先だ。
「ひーづるーっ、鍋あっためてるけど、強火で正解ーっ?」
「…っえ…うん、早く食べたいんだねっ?でもその鍋新入りだからちょっと待って!おれやるから桜和さん座ってて!」
扉の向こうからの無邪気な声に、桜和が火傷をするのも心配だが、買って二週間経っていない鍋が焦げつくのも心配で、冴弦は慌てて扉の向こうの対面キッチンへと走ったのだった。
* * *
冴弦が作ったシチューを二人で完食し、別々に風呂に入ってからリビングで他愛もない話をしていた。
ちなみに桜和が風呂に入るにあたり、〝一緒に入ろう!〟と提案したのだが、「断る。お前はロクなことしねえだろ?」とバッサリ斬られたので、桜和の風呂上がりにも〝何故別々に風呂に入らなければならないのか〟と議論を持ちかけたが、またしても「だからお前がロクなことしねーからじゃん」と言われ、冴弦は泣く泣く一人で風呂に入ったのだった。
(あー……でも風呂上がりの桜和さん、いつも思うけどほんとヤバイ……)
リビングのラグの上に座る冴弦の腕の中で、冴弦に寄りかかって携帯の画面を見ている桜和。普段はヘアゴムで一つに結っている肩までの焦げ茶色の髪は、今は下ろしている。自然と会話は明日見る映画の話題に映り、一緒に映画グッズをチェックしているのだ。
「ん?」
桜和の肩に顎を乗せていた冴弦が頬擦りすると、桜和がちらりとこちらを見る。そして少しだけ微笑った。
「冴弦、見えてる?」
「うん。桜和さん、この髪色ほんと似合うよね」
「今見て欲しいのは俺の髪じゃねえから」
「ごめん、ほっぺ?可愛いの知ってるよ?」
「携帯の画面!もっと言えば映画のグッズ!どれ買うかって話だろ!」
「あ」
そういえばそんな話だった。あまりに桜和が可愛らしくて頭のてっぺんからつま先まで全部褒めようとしてしまった。
「映画、午後の時間にして良かったよね」
桜和の腰に回した両腕でさらに桜和を抱き寄せながら言うと、その桜和が不思議そうに冴弦を見て首を傾げた。
「だって桜和さん、明日の朝起きるのきっと辛いよ?」
「いや、別に早起きはそん」
言いかけた桜和の唇を、冴弦は自分の唇で塞いでしまう。ビクリと反応する桜和。その手の中の携帯は、取り上げてローテーブルに滑らせる。解いた唇は、朱に染まる桜和の耳元へ。
「キスの続き、希望だったよね?」
「……そういうことかっ……」
「違った?」
顔を覗き込むように聞いたら軽く睨まれた。睨む、というより照れが最高潮に達して拗ねそうになっているようだった。
「可愛いね、桜和さん」
「うるせえなっ。わかってるなら…っ」
桜和が冴弦の腕を解き、こちらを向いて抱き着いてきた。――と思った瞬間、噛みつくようにキスをされる。口腔に侵入してきた舌に冴弦から自分の舌を絡め、そうしながら桜和をラグに組み敷いた。
(桜和さんの全部が誘ってくれてる)
唇の感触も、肌の匂いも、その熱も。流れ込む『想い』でさえ――。
「大好きだよ、桜和さん――」
冴弦自身もこんなにも桜和を求めている。それはきっと、本能からで。
(きっと、何度生まれ変わっても)
同じように――否、それ以上に求め合うのだろう。
* * *
翌日は案の定、昼近くに起きる羽目になった。半分は冴弦のせいでもあるのだが、もう半分は色香を滲ませて冴弦を欲しがった桜和のせいでもあるだろう。
(一回でやめられなかった……)
出掛ける支度をしながら冴弦はほんの少しだけ反省した。しかし、桜和を前に理性を持ち出そうなど無理な話なのだ。
「冴弦、帽子置いてっていい?」
玄関の上がり框でダッフルコートを着ていた隣の桜和が、昨日冴弦がコートハンガーに掛けたキャスケットをちらりと見て言う。冴弦は「そっか、映画だしね。いいよ」と答えた。そして桜和のマフラーを手に取り、それをくるくると桜和の首に巻いてやる。
「リボンの形にしていい?」
「うん」
冴弦は先日動画で覚えたリボン結びを思い出しながら、マフラーをきゅっと結ぶ。それから桜和の後れ毛を耳にかけてやって。
「苦しくない?」
「おう。あ、可愛いなこれ!」
気に入ってくれたようで何よりである。すると桜和も冴弦のマフラーに手を伸ばしてきた。結び直してくれるのかと思っていたら、そのままぐっと引っ張られてキスされた。一瞬驚いたが、すぐに唇を離した桜和のはにかんだ笑みにきゅうっと胸が甘く締めつけられ、冴弦は愛しさを沸かせる。
「桜和さん、身体大丈夫?辛くなったら言ってね」
「あっ、うんっ……それは、まあ、へーきだからっ……」
頬を染めて視線を泳がせる桜和が可愛くて、冴弦は思わずぎゅうぎゅう抱き締めてしまった。
「じゃ、行こっか」
桜和の額にキスを落としてから言ったら、桜和が腕の中で破顔して大きく頷いた。
当初の予定では電車で目的地へ向かうつもりだったが、桜和の体調を考えて急遽現地まで車で行くことにした。道中の混み具合が心配だったが、思ったよりスムーズに現地に着くことができたので、桜和にそれほど負担はかからなかっただろう。運転もいつも以上に丁寧を心掛けた。
「――おれ飲み物買ってくるから、桜和さんはグッズ見ててね」
映画館のロビーでグッズが並んでいる売店を前に、すでに目をキラキラさせている桜和に言うと桜和は「戦利品を楽しみにしとけっ」と言って足早に売店の奥へ入って行った。冴弦はくすりと笑うとグッズの売店に背を向け、ドリンクのパネルを確認しつつ、ホットコーヒーを二つ買おうと列に並ぶ。
(結構並んでるから桜和さん待たせちゃうかもな)
どこか座れる場所が空いていればいいのだが。そう思い、ポケットから携帯を取り出して〝買い物終わったら、座れる場所見つけて座って待ってて〟とメッセージを送る。少しして既読が付き、コーギーのOKスタンプが送られてきた。
そして三人ほど列から人がはけた頃――。桜和はどうしたろう、とふと背後を振り返り、冴弦は眉をひそめる。
(案の定、というか)
売店を出た所にいた桜和。買い物が終わったのだろう。そこで、桜和は知らない男にまとわりつかれていた。きっと桜和を女性と勘違いして声をかけた輩だろう。――そう、桜和は決して華奢ではないのだが、女性に間違えられやすい外見で、よくナンパされることがある。
(しかも暇だと相手で遊ぶからなあ)
喋らなければ男とバレない。冬場は特に体型が隠れやすい服装をしている。にっこり笑って何とか桜和を誘おうとねばる相手を翻弄し、最後の最後で「俺、男なんすよ」と低い声――と言っても地声だが――でネタばらしをする。今も目の前の男相手にニコニコ笑っているのでその最中だと思われた。
(やめてって言ってるのに)
何度言ってもやめてくれない。冴弦は苦い思いで列から離れると、大股で桜和のいる売店前に向かった。その勢いのまま、桜和を背後に隠すように男との間に身体ごと割って入る。
「この人おれのです。今すぐどっか行ってもらっていいですか」
男はビクリと怯えた顔を見せ、それから悔しそうに舌打ちした。冴弦が黙って男を見据えていると、男は何か呟いてロビーから出て行ってしまう。その男がエスカレーターで下って行き、完全に姿が見えなくなるのを確認して、冴弦は桜和を振り返る。
「桜和さん」
「……悪かったよ」
「いつも言ってるよね、おれヤキモチ妬くし、それに危ないからやめてって」
「…………」
桜和が何か言いたげに冴弦を見るが、結局、溜め息をついて顔ごと視線を逸らす。そのまま沈黙が続いたので冴弦はもう一度口を開いた。
「トラブルになったら危ないでしょ?」
「でも俺、喧嘩強いし」
「うん、知ってるよ。だけど、ダメ」
「……お前は妬いてる方が大きいじゃん」
「そうだよ。妬いてるよ。本当は桜和さんをどこかに閉じ込めたままでいたいって思ってる。でも」
「だからそれ怖えっつってるだろ。考え改めろよ」
「無理」
「じゃあ俺も無理だな。俺も外見、……変えようって思わねえし」
「ち――っ」
違う、と言いかけた言葉が桜和の涙を溜めた鋭い視線によって遮られる。冴弦は桜和が勘違いしているのだと気づいたけれど、頭が真っ白になってしまった。
(外見の話じゃない)
決して中性的という意味ではなく、男性だけど女性のようにも見えるのが桜和の魅力の一つだから、そのままでいい。
(そうじゃなくて)
桜和のことが心配だから――。
「……お、れは……桜和さんの外見を変えて欲しいわけじゃないよ……」
ようやくそれだけ言えた。そのまま沈黙が続き、冴弦も、桜和も口を開こうとしなかった。周りのざわめきが鼓膜に刺さって痛い。俯いてしまった桜和は泣くことはなかったが、必死に涙を堪えているように見えた。
「――映画」
しばらくして、ひやりとした桜和の声がした。
「今度にしない?」
揺れる声音が左胸に突き刺さる。周りの音よりもよっぽど深く刺さって痛かった。――けれど。
「……うん、そうだね」
頷くことしかできない自分。
悔しさに押し潰された心が立てる、ザラリという不快な音が貼りついて離れなかった。
* * *
十二月にしてはやけに寒い日が続いている。冷え症である冴弦からすれば、体感温度は天気予報で目にする数字よりもはるかに低い。しかし今日は動きやすい服装で腕まくりをしてキッチンに立っていた。
(昨日のうちに買い出しに行っておいて良かった)
対面キッチン内の右方向にある小窓に視線を移し、そこから灰色の空を見た冴弦は心底そう思った。窓の外、先ほどからチラチラと落ちる白い塊は寒々しくて。
(さむっ)
一気に体感が下がった気がして小さく震え、足元の小型ヒーターを〝強〟にしようと手を伸ばす。が、自分の手に海苔の破片が数枚、ぺったりと貼りついていることに気がついた。
「……また海苔切り直しだ」
溜め息混じりに呟いて、ちらりと見た時計が十五時をとうに回っていたので、冴弦は慌てて貼りついた海苔を剥がし手を洗う。
桜和と気まずい雰囲気になった映画デートの日から十日ほど経った。あの日以降、桜和の方からの連絡はない。冴弦は翌日に桜和が置いていった帽子を口実にして二回ほどメッセージを送った。しかし、返事はない。既読はついたけれど返事がないのは、今まで接してきた桜和の言動を鑑みるに、締め切りに向けて仕事モードに入ったからだろう。
(でも桜和さんって執筆に夢中になると食事抜くんだよな)
下手をすると一日何も食べないこともあるようだ。それならば、陣中見舞いついでに先日の話はできないだろうか。そう思い立ち、おにぎりを差し入れることにした。
「えーと……」
冴弦は洗った手をタオルで拭きながらタブレット画面に表示されたレシピを覗き込み、そこにある海苔の形をもう一度確認し、キッチンバサミを手に取った。
桜和と仲直りできるよう、そして桜和の執筆を応援する意味も込め、厳選したレシピである。大根と油揚げの味噌汁も作った。海苔も丁寧に切り、ご飯もレシピの通りの形に整え、一つ一つ愛情を籠めて握っていく。――桜和に気持ちは届くだろうか。
(ちゃんと謝って、誤解があるならそれ解いて、それで桜和さんの話も聞いて)
ラップに包んだご飯を丸型に握りながら、あとは、とさらに冴弦は考える。
(改めて映画に誘って、行く日を決めて、それから桜和さんにいっぱい大好きって伝えたい。伝えたいけどもし許してくれなかったらおれは……おれは桜和さんに)
「さらに好きだって伝えてくれんだろ?」
突然耳に入ってきた音は馴染み過ぎていて心地良く、うっかりそのまま流してしまうところだった。むしろ会いたい気持ちが先行し過ぎた幻聴かと一瞬疑った。しかし辛うじて捕まえることができたのは、その言葉がかなり乱暴な響きを持っていたからで。
「え……?」
冴弦はそのまま声がした方――小窓とは反対側の、廊下へ繋がるドアの方だ――に視線を向ける。
「っえええぇっ⁉」
桜和だ。
ドアの前、何か言いたそうな表情をし、うっすら頬を染め上目にこちらを睨みながら立っていたのは、紛れもなく桜和である。
「……今日も頭のネジ全部外れてるん?」
桜和への気持ちが溢れ出して作った幻覚だろうか、となおも疑っていたが、目の前の桜和が放った一言が豪速球で直撃したため、冴弦は瞬時に現実だと悟った。
「はっ外れてないっ」
「正常?」
「正常!」
「それなら帽子だけ返してもらって帰るわ」
「ひどくない⁉…あっ、待って!」
踵を返す桜和を止めるべく、冴弦は握っていたご飯をそのままラップで包むと皿の上に置き、手を洗う。そしておざなりにタオルで手を拭いたのだが、桜和はいつの間にかすぐ隣に立っていた。
「お前さあ、心の声全部口からダダ洩れるのどうにかしろよ」
睨まれ、呆れたように言われたが、桜和がここにいるという事実が嬉しい。多少困惑しながらも、冴弦は桜和に微笑いかけた。
「帽子、取りにきたの?」
「うん、まあ、あれ、気に入ってるし……」
「いらっしゃい、桜和さん」
「ん。あ、えっと、合鍵で……」
「使ってくれてありがとう」
視線を逸らし、後れ毛を耳にかける桜和。――きっと帽子は口実だ。けれど口実を作ってまで会いに来てくれたことが嬉しくて、思わずぎゅっと抱き締めた。――と、胸板に当たる柔らかい感触。
「桜和さんに胸がある‼しかもホカホカだよ⁉」
「なわけあるかっ‼」
声と同時に、どんっ、と胸板に押し付けられる〝柔らかいもの〟。
「……あ、これ」
冴弦はいったん桜和を抱き締める腕を解いて押し付けられたビニール袋を受け取った。中を覗くと紙袋が入っていて、ビニールの外側同様、見慣れたロゴが描いてある。
「駅前で売ってる中華まんだ」
「あんまん二個買ってきた。肉まんも一個入ってるけど、店のサービスだって」
「それ絶対桜和さんが可愛かったからだよね。桜和さんの全部に感謝しなきゃ。ありがとう」
「何言ってんの?」
桜和と言葉を交わしながら紙袋の中を確認した冴弦は、ビニール袋をキッチンのカウンターの上に、そして桜和が持っていた鞄はその手から預かり、キッチンを出てリビングのソファに置く。――瞬間、はっとして桜和を振り返った。
「桜和さん締め切りは⁉」
「めちゃくちゃ頑張って終わらせた」
「ええっ⁉すごい‼お疲れさま!――え、それでもしかして電車で来たの⁉」
「うん」
「連絡くれたら駅まで迎えに行ったのに!」
リビングまでぽてぽて歩いて来た桜和に言ったら、桜和が視線を下げて言いにくそうに口を開いた。
「あー……まあ、そこはサプライズにしたかったっつか……でも改札出たら何より中華まんの匂いにつられてそれ買い…っのわッ!」
冴弦は桜和の腕を引っ張り先ほどより強く抱き締める。桜和は驚いたようで一瞬身体を強張らせたが、おずおずと背中に腕を回してきた。やがて、ほう、と桜和が息を吐く。その身体は冴弦の想像以上に冷たくて。
「桜和さん、来てくれて嬉しい。ほんとにありがとう」
「……うん」
「身体冷えちゃってるね。一緒に風呂入ろっか」
「なんで一緒なんだよっ」
「嫌なの?」
「嫌だけど?」
「…………」
「……」
真顔で答えられて思わず冴弦も真顔になった。本当に桜和は照れ屋である。また以前した議論を出そうかと思ったが、桜和がいるのなら、したい話はそのことではない。
「なあ、冴弦、どっか行く予定だったん?」
「え?」
唐突な言葉に少し腕を緩めたら、桜和が肩越しにキッチンを振り向いた。その少し遠慮がちな視線が、ちらりとカウンターの上にある四つ並んだおにぎりに向けられる。そう、冴弦が握っていたあのおにぎりだ。冴弦は桜和の腰に腕を回して抱き寄せると、そのままカウンターまで誘導した。
「なかなかよく出来てるでしょ」
「これコーギーの顔?耳ちゃんと立ってる!くりくりの目めっちゃ可愛い!ここ海苔?」
「そう。鼻とか口も海苔。あ、こっちは作りかけだけど」
「企画及び作製、阿部冴弦?」
「レシピは検索したやつ」
「すげえいい。どこのお子さま用?」
「寒い中あんまん買って来てくれた可愛いお子さま♡」
「……俺か!」
一瞬考えたようだが伝わったらしい。それから桜和が遠慮がちにこちらを見た。
「もしかして、俺んちに来ようとしてたん?」
その言葉に笑んで、大きく頷く。すると桜和はもだもだと俯いてしまったけれど。そんな桜和の様子に胸がきゅうっと締めつけられ、冴弦は壁のパネルに手を伸ばしてスイッチを押し、風呂を沸かす。
「桜和さん、風呂入って温まっておいで。おれ、待ってるから。それからおにぎり食べながら話そう」
俯いたまま頷く桜和の頭を撫で、その髪を柔らかく梳いて、冴弦は桜和のルームウェア――冴弦宅に置いてある桜和専用のものだ――を持って来て手渡す。そして脱衣所に入る桜和の背中を見送り、おにぎり作製へと戻ったのであった。
* * *
それから四十分が経った頃――。
廊下の向こう――洗面所だ――からドライヤーの音がした。おにぎりを作り終え、ソファに座って文庫本を読んでいた冴弦は本に栞を挟む。そして立ち上がると最終的な準備を始める。そうこうしているうちに、ぱたぱたとスリッパを鳴らして桜和が戻ってきた。
「おかえり、桜和さん」
「んー、ただいま。……あれ?コギにぎりとか並べてくれたん?味噌汁もある!」
リビングのローテーブルを見て言いながら、キッチンの冷蔵庫を経由し、リビングに入って来た桜和。最終的な準備――タイミングを見計らい完成したおにぎりや盛り付けた味噌汁を並べ、いつでも食べられる状態にしておいたのだ――を済ませ、再びソファで本を読んでいた冴弦の目の前で立ち止まるので、冴弦はローテーブルに本を置くと桜和を見上げ〝隣に座って〟という意味も込めて片手を伸ばす。桜和はその手を見て少し考えるようにしてから、持っていたペットボトルをひょいっと自分の目の高さまで上げた。
「スポドリ、貰った」
「どうぞ」
桜和の照れ隠しにくすりと笑い、冴弦は頷いてから自分の隣の座面をポンポンと軽く叩く。
「……んーと、今日はそこじゃなくてぇ……」
そう言いながら桜和が冴弦のすぐ目の前で背を向けたと思うと、そのまま何の躊躇いもなく冴弦の両脚の間に座ってきた。冴弦は嬉しくなり、桜和を背後から抱き締め――ようとして、やめる。やはりまだ、躊躇いも、申し訳なさも、桜和の今の気持ちを聞きたいという思いもあったから。
「……今日、寒いのに来てくれて嬉しいな」
ぽつりとそれだけ伝えた。すると桜和はこちらを振り返らずに小さくくすりと笑い、
「お前だって来てくれようとしてたんだろ?」
「うん」
そのまま下りた沈黙の中、どう話を切り出そうかと冴弦は考える。
(けど)
どう切り出しても話したいことは〝あの日〟のことだから。
「桜和さん、この前の映画デートの日のこと、話したいんだけど」
桜和の頭が少し揺れ、それからペットボトルに口をつけた。
「うん。俺もその話しようと思ってた。……俺から、いい?」
冴弦は答える代わりに桜和の頭を撫でる。それから項垂れる桜和が口を開くのを待った。――しばらくして、深く息を吐いた桜和が言葉を紡ぎ始める。下ろした自分の髪をひと房つまんで。
「……俺、こんな見た目してんじゃん。けどさ、自分なりに楽しんでるし。見た目で言えば、俺は俺のこと嫌いじゃなくてさ。むしろ気に入ってる。だから外見は変えようって気もないし、そこは我慢してもらうしかない。この外見でナンパされるならそれはもう仕方ないことでさ。悪ノリしてんのはやり過ぎなのかなって冴弦に叱られる度にちょっと思うけど。でももし、どうしても冴弦が、こんな見た目でナンパされる俺が嫌でやめ」
「全然そんなことないけど⁉」
驚いて思わず言葉を遮った挙句大声を出してしまったら、桜和がビクリと首を竦めた。慌てて「ごめん」と謝る。
「ごめんね、びっくりしたよね。……あ、それで話戻すけど、それは誤解なんだよ。おれは桜和さんの外見、嫌じゃないよ。桜和さんのことどれだけ好きだと思ってるの。外見、そのままでいいよ。すごく可愛いし、めちゃくちゃかっこいい。桜和さん自身が好きだって言うその外見も、おれは大好きだよ」
堪えきれずに冴弦は桜和をぎゅうっと抱き締める。そして桜和の首筋に顔を埋めるようにして口を開いた。
「ただ、ナンパに関しては、確かに、おれは桜和さんが他の奴に声掛けられてるのがすごく嫌だ。そいつは桜和さんの可愛さなりかっこよさに惹かれて声掛けたってことでしょ?桜和さんの魅力は桜和さんのものっていうのは大前提の話だけど、おれが知ってる桜和さんの魅力はおれだけのものにしたいから。他の奴に少しも見せたくない」
冴弦はそこで言葉を切る。桜和のぬくもりをもっと感じたくて抱き締める腕を少しだけ強くしたら、冴弦の手の甲に熱い雫がぽたりと当たった。続けて、二つ、三つ。桜和の涙だ。冴弦は言葉を続けた。
「おれの我儘だってわかってるけど、嫌だよ。それと、ナンパしてきた奴が桜和さんが男って知った時に激昂して、万が一殴られたり最低な言葉で罵られたりって思うとすごく苦しいし心配なんだよ。桜和さんが喧嘩強いって知ってるよ?けど痛い思いしてほしくないし、嫌な思いもしてほしくないから。――でも」
冴弦はそこで大きく息を吐く。それから覚悟を決めて吸った。
「でも、桜和さんの外見とか、その奔放な性格とか、枠に嵌めこんだらそれは〝桜和さん〟じゃなくなっちゃうんだよね。突き放すつもりはないし、おれも我慢しない。だからこれからもこの話でぶつかると思う。だけど、そのままでいてほしい。桜和さんらしさを殺したくはないから」
桜和が鼻を啜り、手の甲で涙を拭く仕草を見せる。冴弦は桜和を抱き締めたままその頬に口づけた。
「冴弦」
「ん?」
「俺は外見変えるつもりはない。……けど、極力悪ノリはしないようにする」
「桜和さんの極力はどこからが極力なの?」
「まあまあ。そこはぬるっとした目で見守ってください」
そう言われてしまうと冴弦もこれ以上強く出られない。桜和も猛省したようなので、ここら辺で手打ちにしようと思う。冴弦は桜和の耳元に唇を寄せると、囁くように問いかけた。
「じゃあ〝極力〟ってことで約束してくれる?」
「する」
「うん、了解。じゃ、約束と仲直りのキスしよ」
冴弦が桜和の腰に両腕を回すと、桜和が首を回らせこちらを見た。桜和の頬に残る涙を唇で拭ってから、冴弦は桜和の唇に自分の唇を重ねた。じわりと温かくなる心。軽く吸ってから唇を離すと、桜和がぱっと前を向いて髪を耳に掛けた。きっと照れているのだろう。
「ねえ桜和さん、本当は、どうして今日うちに来てくれたの?」
雪なのに、と桜和の肩に顎を乗せ、その頬に自分の頬をくっつけて冴弦は囁く。桜和が冴弦に寄りかかり体重を預けてきて、腰に回した冴弦の手に自分の両手を重ねた。きゅっと握られる左手の薬指と小指。甘えてくれてる、と思って心がくすぐったくなった。
「冴弦だって来てくれようとしてたろ」
「うん。でもさ」
「まあ……雪?が降ってきたからかな」
「雪……えーと……?」
意味がわからなくて冴弦は首を傾げるように聞き返す。すると桜和はくすりと笑い、
「昨日脱稿して、寝て起きたら雪降っててさ。ぼーっと窓の外見て、雪降ってんなー、さみーよなー、って思ってて、寒いといえば冴弦どうしてるだろって。やる気がドイツから戻ってきて原稿書き進めてんのかなとか、こんな寒いんじゃ本でも読んでるかなとか、それとも新しい料理のヒント探しにネットの海を彷徨ってるかなとか、いろいろ考えてて。何か、雪見てるとやたらお前のことばっか浮かぶから電話しようかなって思ったけど……あの日の話、ちゃんと目ぇ見てしたかったから、ちょうどいいし行くしかないじゃん?って……」
桜和が話している間、くっつけていた桜和の頬がじりじりと熱くなっていくのが可笑しくて、冴弦は笑いを噛み殺す。
「つまり、桜和さんはおれに会いたかったってことでいーの?」
「かもしれないですっ」
「確定じゃないの?」
「かもしれないですねっ」
「ねえええっ、はっきりしてよっ!おれは会いたかったよ、桜和さんに!」
「揺らすな揺らすな!」
抱き締めている桜和の身体をぶんぶんと前後左右に振ったら「酔う!酔うからヤメロ!」と怒られてしまった。けれど桜和の手は冴弦の手を握ったまま放そうとしないので、このまま抱き締めていても怒られないだろう。
「じゃあ桜和さんはおれにもの凄く会いたかったってことにするよ」
「していいからこのコギにぎり食っていい?」
下ろしたままの髪を耳に掛けた桜和が言い、それからローテーブルの上の犬型おにぎりを指差す。
「もちろん」
冴弦は頷いて、桜和の耳にちゅっとキスをする。照れたように小さく笑った桜和が身体を前屈みにして。そして取り皿を取り、その上に犬型おにぎりを二つ置くと、再び冴弦に体重を預けてくる。冴弦もまた桜和をそっと抱き締めた。
「これ、中身は?何か入ってんの?」
「秘密だよ」
「ちゃんと食えるもんなんだろうな?」
桜和が声を上げて笑いながら言って、取り皿からおにぎりを一つ持ち上げ「いただきます」と挨拶をした。そして大きく口を開け、立っている両耳の間の部分に齧りついた。
(あっ)
ぽんっ、と音がして。
桜和の周りに華が咲く。
いつも桜和が冴弦の手料理を食べる時、冴弦には桜和の周りに色とりどりの華が咲くように見えるのだ。
「んまっ。これ昆布だっ。周りのおかかご飯と合うっ」
もきゅもきゅと咀嚼をしながら桜和が肩越しにこちらを向き、嬉しそうに目を細めて笑う。その笑顔に冴弦も嬉しくなってしまい、愛情を籠めて桜和のこめかみ、そして髪に口づけた。すると桜和は首を竦めてくすぐったそうに笑う。その笑顔が可愛らしくて、思わず桜和をぎゅうぎゅう抱き締めた。
「くーるーしーいーっ」
「かーわーいーいーっ」
「あはっ。……あー、あったかい。来て良かった」
冴弦の腕の中、小さな呟きから幸せが溢れていて。またおにぎりにかぶりつく桜和。
「そんなにおにぎりうまい?」
「それもあるけど他にもある」
「?」
桜和が冴弦の肩口に頭をこてりと預け、そこで落ち着いたように安堵した息を吐くと、おにぎりに齧りつく。ぽぽんっ、と大小の華が咲き、花びらが舞った。よっぽど美味しいのかもしれない。――ということは。やはり。
「桜和さん、執筆中ご飯抜いてたでしょ。自炊は無理でも、おれがこの前作ったデリバリーのチラシ類まとめたファイル、ちゃんと活用」
「したしたっ。昨日釜めし頼んで食ったよっ。今日の午前中だって活用したし」
「……そっか」
おにぎりの最後のひと口に齧りつき、ぽん、と華を咲かせる桜和。実に嬉しそうである。
(もしかして)
相当良い物語が書けたのだろうか。――それはそれで、同じ作家として羨ましさ、悔しさもあるけれど。
「桜和さんが書いた新作、楽しみだな」
「おう」
「おれも頑張るね」
「めちゃくちゃ応援してるからな」
ローテーブルの上のティッシュで手を拭いた桜和が親指を立てて応える。それからおにぎりの隣にあるあんまんを手にすると、冴弦に差し出してきた。
「まあ食え」
「ありがと。いただきます」
冴弦はあんまんを受け取って齧りつく。ここの店の中華まんは饅頭がもちもちしているし、中の具はボリュームもあって本当に美味しいのである。
(…………)
――もちもちと言えば。
「えいっ」
元祖はこれだろう、と桜和の頬を人差し指でつついてみる。
「ぅえ?」
味噌汁を飲んでいた桜和がきょとんとした顔でこちらを振り返った。可愛い。
「ふふ、何でもない」
「……だったら指どけてくれます?」
食べづらいんで、と言われたので、一瞬頬から指を離す。が、すぐにまたその感触を確かめるべく指を突進させた。
「うん、やっぱりこれ」
「なんの話だよっ」
「もちもち部門、ぶっちぎりで優勝。おれの桜和さんが一番」
「それは誰も文句言えないな」
そう言って納得した桜和は、その後、ビールとともに皿の上のおにぎりと味噌汁、ホカホカのあんまん、そして冴弦と半分ずつにした肉まんを完食した。
冴弦はその間ずっと、腕の中で幸せそうに微笑う桜和とそのぬくもりを堪能していたのだった。
* * *
部屋の明かりを消したのは、日付が変わる少し前。ナイトテーブルの上にあるナイトライトだけを灯し、ベッドの中でキスをおくり合いながら、もう一度映画に行く日を決めた。前回売り切れで買えなかったグッズも、再販していればお揃いで買うことを約束した。
――そうしておくり合っていたキスが淫情を帯びていくのは必然のことで、舌を絡ませ合いながら暗黙の了解のように互いの服を脱がし合った。素肌同士が擦れ、昂奮して勃ち上がった互いの昂ぶり同士が擦れる度に欲情を煽られ、桜和への愛しさが溢れて堪らない気持ちになっていく。それは桜和も同じなようで。肌に紅い痕を残すだけでも、肌に歯を立てるだけでも、艶めいた声を小さく漏らしていた。
「……アッ…、んっん……ンあっ……」
首筋、胸板に痕をつけ、桜和の昂ぶりを片手で擦りながら胸の尖りを口で愛撫する。舌先で転がし、時に吸い、そして甘噛んで。その刺激がダイレクトに手の中のモノへと伝わり、昂ぶりの小穴からは先ほどから淫液が垂れていた。冴弦はその淫液をも使って、桜和の先端を親指の腹でぬるぬると刺激する。
「乳首食べるとココが〝気持ち良い〟って反応して、ココを擦ってあげると乳首が〝もっと〟って硬くなるね」
冴弦はコリコリとした乳首を解すように舌先でねぶる。そんなふうにすれば桜和がさらに悦よくなり、乳首も性器も今以上に硬くなるのは知っているけれど。
「ずっとココ擦りながら食べてたいな、桜和さんの乳首」
「や、ぁッ…あっ、あっ……ん、ンンッ……」
「あ、どっちも硬くなった。ずっと気持ち良いの、想像しちゃった?」
「ああッ…やっ、あっ、……も、イク……からっ……」
桜和の腰がいやらしくくねる。冴弦は再び幹を握って全体を擦った。
「うん、腰がえっちな動き方してるもんね。いいよ、イクところ見ててあげる」
「んうっ…アッ…ああっ……ひづ、るッ……冴弦…っ…!」
ぎゅっとシーツを握り締める桜和の性器から、白濁した熱い液体が吐き出された。瞬間の、桜和の顔を眺めていた冴弦はぞくりと背筋に走る甘い痺れに下半身をさらに熱くさせる。
「イキ顔、かわい」
桜和が息を整えている間、手に絡みついた桜和の白濁液を全て舐めとる。それから冴弦は枕元の引き出しに入れてあるローションを取り出した。
「冴弦、キスして」
甘えるような桜和の声に気を良くして、そっとその唇に口づけた。舌を絡め、唾液を交換して飲ませる。冴弦も桜和の舌ごと啜った唾液を飲み込み、そして唇を離した。
(早く桜和さんの中に入りたい)
ローションを温め指に絡めて桜和の秘部を解す。指を挿れ、浅い部分の弱みを責めると桜和は何度もイキそうになり、その度に我慢をさせた。そうして桜和が「もう無理、挿れて」と泣きそうな声で懇願してくる頃、後孔も良い具合に柔らかく解れたので、冴弦はゆっくりと指を抜き、代わりに自分の滾るモノをあてがう。
「挿れるよ」
「ん……早くっ……」
急かされて官能が刺激される。冴弦は一度大きく息を吐いてから、ぐうっと腰を押し進めた。
「アアッ……ん、ぅ……っ」
出来る限り身体の力を抜き、冴弦を受け入れようとしてくれている桜和。包まれるナカは熱く、柔らかい。
「桜和さん…っ…」
見下ろす桜和の瞳から、雫が溢れて落ちた。
(知ってる)
それは桜和の想いの雫。冴弦に対する想いが溢れたのだ。
「冴弦っ……」
どちらからともなく口づける。
(こんなにも)
桜和が愛おしい。
「――……っ、桜和さん、全部入ったよ。大丈夫……?」
囁き、冴弦は桜和の髪や額、瞼、耳、首筋、唇にもキスをする。そうして桜和のナカに冴弦の昂ぶりが馴染むのを待つ。
「ん……んぁっ……」
しばらくキスを落としていると、桜和のナカが冴弦の昂ぶりに絡みつき、腰が欲望の熾火を大きくするかのように小さく揺れ始める。ローションでぬめるナカは冴弦の陰茎に愉悦を与え、快楽をねだってきた。
「…っ…動いても大丈夫?」
「大丈夫、だけど」
「ん?」
「いっぱいキスして」
珍しいおねだりに嬉しくなって、冴弦はさっそくその唇にちゅっとキスをした。これは、よほど寂しい思いをさせてしまったのだろう。
「もちろんだよ」
答えたら、桜和の両腕が冴弦の首に回ってぐっと引っ張られた。そして、桜和からのキス。ゾクゾクと全身に回ったのは中毒性の高い甘い痺れ。――それが、始まりの合図。
「んッあ…っ」
冴弦は腰を引き、次いで打ちつける。抜き差しを繰り返すと桜和は身悶えて喘ぎ、冴弦の陰茎を引き絞ってきた。無意識であろうこの行為が堪らなくいやらしい。ともすれば絡みついてうねるナカの動きに持っていかれそうだ。
「あっぁ、あッ、ンッ…ア、ああっ」
桜和の弱みは全部覚えている。冴弦が探してそこで悦くなるよう教え込んだのだ。桜和に覆い被さる冴弦は浅い弱みを擦りながら、桜和に口づけ、だんだんと動きを速くしていく。
「桜和さっ……ここ、擦られるの好きっ……?」
「んっ……ああぅっ…、すき、すきッ……ああ、あっ…」
「は、っ……かっわい……」
「あっ、ああ……ッ、ひづ、る…っ…!」
ビクビクと桜和の腰が痙攣する。同時にナカも痙攣しながら冴弦の欲望を締めつけてきた。冴弦はく、と息を詰めて動きを止める。果てることはなかったが、二度目の絶頂に達した桜和の壮絶な色香にコクリと喉を鳴らした。
「やば……」
桜和の陰茎から吐き出されたものが、ほのかに桜色に染まった肌に飛び散っている。冴弦はそれを指で掬えるだけ掬い、ぺろりと舐めた。と、桜和に軽く前髪を引っ張られる。
「それ、っ……や、めろ、っつってん、だろっ……」
まだ息も整っていない桜和に叱られてしまった。けれど仕方のないことで。桜和が色っぽいのがいけないのだ。
(それに桜和さんの全部はおれのなんだから)
髪の毛の一本も、涙のひと粒でさえ誰にも渡すつもりはない。
「おれだけのものだよ、桜和さん…っ」
冴弦は桜和に口づけ、律動を再開する。桜和の性感帯の一つでもある耳を舐めるとナカがきゅっと締まった。
「おれの、だって……く、ッ…自覚、ある…っ…?」
「んぅ…ッ…あ、るっ……ある、からっ……んぁ、アッ……あ、んっ…」
顔を覗き込むようにすると、涙を溜めた瞳で冴弦の瞳を真っ直ぐ見つめ、頷く桜和。冴弦はその喉元に口づけ、紅い痕を濃くつけた。
(想いが細胞にまで届いて刻まれればいい)
抱き締めているぬくもりも、見つめている瞳の彩も。全部冴弦だけのものであってほしい。現実問題として、総て独り占めは難しいかもしれないが、今、この時だけは――。
「愛してるよ……っ、桜和さんっ……」
「んんっ、あっあっ、冴弦…っ…んぁっ……冴弦……っ」
桜和の瞳にねだられ、キスをして舌を絡め合う。途端にナカがうねり、細かく痙攣した。桜和がドライで達したのだ。
(もっと奥で繋がりたい)
もっと感じて乱れる桜和が見たい。
(気持ち良くしてあげたい)
冴弦は桜和の首筋に歯を立て、最奥を狙って腰を打ちつける。ナカがぎゅうぎゅう締まり、冴弦の欲望をやらしく撫でる動きになったので、冴弦はぐっと歯を食いしばる。
「ひっア、アアッ、あっ、んっん、あんんっ」
最奥を的にした律動を繰り返すと桜和の全身がビクビクとわななき、ナカもずっと痙攣している。敏感な身体は乳首を捏ねると簡単に達し、滾るモノから白濁した熱い液体を爆ぜさせる。そして冴弦の陰茎に絡みついた肉壁はさらに昂ぶりを奥へと誘うよう動く。
「すご、い……えっちな身体だね、桜和さん」
「アアッ、ひ、づ…ッ…冴弦っ……冴弦……!」
「ああ、またイッた。もっと、欲しいよね?」
「んうっ……ほし、ぃ…っ…もっと……もっ…、と……っ!」
誘う腰、求めるようしがみついてくる両腕、想いを伝える涙は先ほどからとめどなく溢れている。――好きで、大好きで、愛おしくて。
「愛してる…っ、桜和さん」
「冴弦っ……愛して…っる、……んんぅっ……」
想いが寄り添い重なる。冴弦は桜和の言葉にしっとりとキスで応えた。
そして冴弦はさらに奥の奥を突き、桜和を乱れさせる。腰を打ちつける度に艶やかな声が漏れ、それが冴弦の欲情を煽った。同時に桜和の昂ぶりも擦ると、嬌声を上げた桜和が頭を振り、そして全身を痙攣させたかと思うと背を弓なりにさせ――。
「冴弦っ…ああっ、イク…っ…ン、う…冴弦…ッイ、んんっ……アアッ……!」
「は、るか、さん…っ…!」
桜和が達した直後、冴弦の陰茎は桜和のナカでぬるぬると扱いて引き絞られ、一番奥へと想いを放ったのだった。
「桜和さんっ……」
「……ん、ぅ……」
呼吸を整えながらなおも口づけて。舌を絡めて吸い合い、そして呼吸が整ってから顔を上げると、照れたように、けれど幸せそうに微笑う桜和が「……もう一回しよ?」と囁いてくれたのだった。
* * *
二回愛し合った後、一緒に風呂に入り思う存分イチャついた。それから桜和に新しく買ったうさぎ耳の付いたルームウェアを着せた。昨日食材を買いに出た時に見つけ、桜和に似合うと思って買ったものだ。実際にルームウェアを着た桜和は「可愛いし肌触りが良い!」と喜んでくれたので、脊髄反射で押し倒しそうになった。桜和の笑顔の破壊力はそれくらい凄まじいのだ。そして桜和と色違いのうさ耳ルームウェアを冴弦が着た途端、急に黙り込む桜和。不思議に思っていたら、髪の隙間から覗く耳が真っ赤だった。お揃いが嬉しいけれど口に出せずにそれを噛み締めているのだと気づく。冴弦もそうだが、桜和は何気に冴弦とお揃いものが好きなのだ。
「――ねえ、桜和さん」
ベッドに戻ってからも散々キスをして、嬉しそうにハシャぐ桜和をようやく腕の中に閉じ込めた。掛布団を引き上げ、冴弦の肩口に頬をくっつける桜和の髪を柔らかく撫でてやる。
「んー?」
よほどルームウェアの感触が気に入ったのか、桜和は冴弦の胸板あたりの生地を撫でたり摘まんだりしていた。
「桜和さんは、……おれでいいの?」
「え?」
「や、おれ平凡だし桜和さんみたいに社交的でもないしそれに」
「あ?」
「えええっ⁉なんで凄むの⁉」
むくりと頭を上げてこちらを睨んでくる桜和。さっきまではそのまま寝そうな雰囲気だったのに、ぎりぎりと上目に睨まれ、冴弦は怯む。
「冴弦、いい加減自分がイケメンの部類に入るの自覚しろ?それだけでもう社交的云々も平凡云々もクリアだぞ。それに知ってるか?出版社のパーティーとかでお前が外向きの笑顔でいるってだけで周りが騙されて和んでるんだからな?」
「騙されてってひどくない⁉外ではおれなりに一生懸命やってるけど!」
「出版社の件は周りから聞いた話ですけどー。〝銀鉤先生の笑顔ってなんかいいですよね、ほわほわってしてて〟って聞いて、〝それ死ぬほど無理してるんですぅ、だって銀鉤せんせったら人見知りだし?〟って言わず、さらに爆笑を堪えた俺は褒められていいと思うぞ」
そう言った桜和が再び冴弦の胸板にぽすんと頬をくっつけた。銀鉤とは冴弦の執筆時のペンネームである。むっとした冴弦だが、桜和のことを抱き締め返す。人から聞いた話だとしても、言い様があるではないか。そう思いながらも桜和の髪を梳き、時々指先に絡めていたら、桜和が小さく笑って口を開いた。
「冴弦はさ、料理が上手くて、笑顔と寝顔が可愛くて、引くほど人見知りするけど、優しくもあるし、厳しい時もあるし、小説は冴弦の世界観がしっかり出てる唯一無二のものを書けてると思うし、そのくせ向上心は誰よりもあって、一途で、どんなことにも一生懸命で、負けず嫌いで、クラリネットの自主練だって手ぇ抜かないし、たまに正論で殴られんの痛いけど、その後絶対に甘やかしてくれるし、独占欲強いのも実はちょっと嬉し」
「ね、ねえ、待って、待ってよ……それ、誰からの評価?」
「…………」
「ちょっと、桜和さん?」
「………………ぐぅ」
「寝たふりだめっ」
桜和が吹き出す。そして顔を上げ、冴弦の瞳を覗き込むようにしてふわりと微笑った。
「もちろん、桜和さんからの評価に決まってんだろ」
そう言った桜和が冴弦の唇をちゅうっと長めに吸ってくる。呆然として目を瞑ることすら忘れてしまったが、唇を離した桜和は冴弦によりくっつきぐふぐふ笑っている。
「俺を見つけてくれた時から変わらないよな、冴弦のぬくもり」
ほう、と息を吐いた桜和がもそもそと冴弦の腕の中で動き、寝床を探し出す。どうやら眠気の尻尾を掴んだようだ。冴弦はようやく我に返って桜和の頭を優しく撫でた。
「桜和さんの心だってずっとあったかいよ」
「そ?」
「うん」
もそ、と動きを止めた桜和が、冴弦のルームウェアのちょうど左胸あたりをきゅっと握る。
「今日はその場所でいいの?」
「うん。おやすみ」
欠伸をする桜和の瞬きが、徐々にゆっくりになり、やがて完全に目を閉じた。冴弦はその額に唇をそっと触れさせる。そして、冴弦も目を瞑った。
「おやすみ、桜和さん」
共に眠りに就く時、いつも願う。二人のぬくもりが混ざり合えばいいのに、と。欲と熱を混ぜ合わせ、快楽を求め合う時間も大切だけれど、きっとこのぬくもりには敵わない。
そしていつの時も、ぬくもりをわけてくれる桜和を大切に愛していたい。
叶うならば、どうかこの先の未来も――。
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