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今日は健ちゃんが出張だからホテルに泊まる事にしたけれど、今日以降は健ちゃんの家に泊まる予定ではあった。
もうこうなったら、健ちゃんの奥さんには迷惑をかけるけれど、今日から泊まらせてもらおうか。
…とりあえず自分でホテルを探してみて、空いているところがなかった時の最終手段にしよう。
そう自己完結して、健ちゃんにLINEを送る。
【仕事が終わったら電話してほしい】という文章の後に泣いている顔文字をつけて、送信した。
スマホをコートのポケットの中に戻して、はぁ…と、また溜め息を吐き出してから、行き交う人をぼうっと見つめる。
「……」
きっと彼は、この地によく溶け込んでいるのだと思う。
それこそ美沙と同じくらいか、それ以上に。
頭が良いから電車の乗り方なんてすぐに覚えれてしまうはずだし、人目を惹くあのルックスはどこに居ても一際目立っているだろう。
どう見積っても、私みたいにこんなところでしゃがみ込んだりはしないはずだ。
きっと前を向いて、背筋を伸ばして。
迷うことなどなく、彼らしく、生きているのだと思う。
感傷に浸るようにそんな事を思っていると、ふと前を過った人を見て、息が詰まった。
上下黒色のジャージに身を包んだ、長身の男の人。
サラリと揺れる黒髪、耳に嵌められたイヤホン、まぶしいほどに白い首筋。
「……っ」
まさか、と目を見張る。
顔は見えない。でも、シルエットが、彼、そのものだった。
人の波に流れるように歩いていく後ろ姿に、まるで引き寄せられるように腰を上げた。
いつも思っていた。彼には何か、引力のようなものがあるんじゃないかと。
本気でそんなことを考えてしまうくらいには、“近づきたい”という本能に、いつも抗うことが出来なかった。
すれ違う人にぶつかりながらも、それでも駆け出した足は止まらなかった。
めいっぱい伸ばした手で、そのリュックの紐を掴む。
「―――颯くんっ!」
形振りなんて構わずに、今も愛おしくてたまらないその名前を、気づいたら叫んでいた。
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