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 年端も行かないガキの頃から「予知書」は俺の手元にあった。  一(つづ)りであるのにかかわらず辞書を何冊も重ねたような分厚さを誇るその書物は、俺の人生の日数分のページで構成されている。そこには、人生で起こるありとあらゆる出来事の全てが書かれている。ゆえに予知書。  静岡にある「星ノ浦神宮」という神社では、八百万の神の一つである「真眼見神(まがみのかみ)」という神様が祀られている。真眼見神は全知全能の神と言われ、この先に起こる未来を完璧に見通す能力を有するらしい。  予知書はこの真眼見神から授けられたものだ。  母が俺を妊娠している時、星ノ浦神宮の本殿に御饌(みけ)(神様のための食事)を捧げ、そのおこぼれを頂戴したことで、俺が生まれた時、俺の運命が記載された予知書を宮司から受け取った。  要するに、全知全能のおこぼれを授かったというわけだ。  予知書を欲しがり、真眼見神に御饌を捧げる人間はたくさんいる。皆、自分の運命が知りたいのだ。  人生の不安の大半は先が分からないことから生じる。逆に言えば、先が分かっていれば不安などない。自分が幸せになれることを知っていれば何があっても安心して生きていけるし、不幸が降りかかることを知っていれば心の準備ができる。  現に俺もそうだ。俺は自分が明日死ぬことを知っている。三一歳。若すぎる死と人から哀れまれようが、俺自身に不安はない。  なぜなら、早死にすることを知っていたからこそ悔いのないよう全力で生きてこられたし、死んだ後の準備をすることもできた。俺は自分の人生に十分満足している。  そう、不安などない——ただ一つ気になることがあるとすれば、死に方が分からないことだけだ。  俺の予知書には最後の一ページが無い。正確に言えば、
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