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こぎつねとおおかみ
秋になると思い出すのだ。天満宮に参拝して稲荷神社に落ち着く日々、そして緑の草むらに横たわった時間を。
その夏は例年どおり、太陽に晒される猛暑に見舞われた。作物の出来は悪く、魚を口にすることもままならない。
涼しい風鈴の音色や虫たちの鳴き声に耳を傾け、数々の神社を駆け巡る。時には海辺にたたずみ、時には時を読み、時には調べを聞く。
一匹のこぎつねが事もあろうか、おおかみになろうと化けたのだ。その一部始終をここに記そう。
何者かに依頼された訳ではない。私たち一族は1200年の歴史を持つ稲荷神の時代から、この一体を統べる狐として道案内を生業にしている一族である。
「久美よ、私の姿を観たからには後戻りはできぬぞ。」オオカミはそう私に告げると森の中へ姿を消した。
途方にくれた私は、山を下り閑散とした山里まで下った。地蔵たちに見送られながら夜の闇に紛れ気がつけば、木漏れ日の林の中にいた。喉を潤すため、水場に立ち寄ると一匹のイモリと出会う。
「なあ、きつね。お前は一匹のこぎつねなのだから、私のように素早く動こうとするな。命あっての勤めであるからな。」
「ありがとう。肝に命じておくよ。」
私は湧き水で喉を潤して、横たわる。
「お前が、肉を喰らうと腹を壊すきつねでよかった。色々と教えてやろう。ここの虫はな…。」
またかよ。もう聞き飽きたって、食わないって!静かに寝かせてくれ。仲間外れのイモリの話など聞きたくない。
辺りの滝の音を遠くに聞きながら、眠りに落ちた。
「おい、起きんか!稲荷のきつねよ。」
天から声がした。
「我は水を司る神である。」
「ああ、龍神様ですね。」
「ちゃうわ。わしは天水分神と云う。あんな乱暴な龍神と一緒にするな!」
別にどうでもいいけど何故関西弁なのだろう。
「はいはい。なんのご用でございましょう。」
「名をなんと云う。」
「にしのぎんぎつねと申します。あなた様は何とお呼びすれば良いでしょうか?」
「わしは、ひがしのしらいしである。お前に話すべき事がある。先ずこの水質についてじゃが、良質な…」
また、始まったか…。まぁ良い。ここで文句を云うものなら折角乾いた毛もずぶ濡れになりかねない。
「では、二つ目じゃが、二里程先まで人が来ておるんじゃ。気をつけよ。」
!一気に毛が逆立った。それ先だろ。急ぎ泥で身を汚し、茂みの中に分け入った。人はきつねを喰わぬが、毛皮を剥ぎ越冬をするのだ。
「肝心な事は、先に言って下さい!」
戦慄が走り、人が過ぎ去るのを待った。言いたい事を言って満足した神は既に去っていた。
人が来る。しかも大勢で。
もはや、神の力を借りずとも私の嗅覚で察知する事ができる。何ゆえこの獣道を通るのであろう。
そう不可思議に思い、首を傾けると、小さな太鼓の音が響き渡った。この地の神のしもべ、それは小さき者たちの宴であった。
この者たちなら、心配はない。ほっと胸を撫で下ろし、草むらからその様子を観ることにした。これが猟師であらば、九つの尾を広げ時空を飛翔していたであろう。
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