女悪徳刑事ポメラ・リー・アンダーソン、連続殺人事件解決へ重い腰を上げる

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 連続殺人犯の容疑者が潜む邸宅に踏み込んだ女刑事パメラ・リー・アンダーソンは真っ暗な家の中に充満する生臭い血の匂いに震撼した。容疑者は誘拐した男性を既に殺してしまったかもしれない。あるいは凄惨な拷問を加えている真っ最中かも。悪い予感しか湧いてこないが、恐ろしい事態に直面しているにもかかわらず恐怖は感じない。犯人を捕らえる。彼女の頭にあるのは、それだけだった。  そんなパメラ・リー・アンダーソンの様子を、物陰から連続殺人犯が窺っていた。犯人は暗闇でも見える暗視装置のゴーグルを使っている。その眼には、拳銃を構えて息を潜める女刑事の姿がはっきりと映っていた。  パメラ・リー・アンダーソンは静かに身をかがめた。誰かが闇の中から自分を見ている気配があった。物音ひとつ聞こえない。それでも、誰かがいるのは確かだ。そのとき、彼女の背筋がびりッと震えた。何者かの息遣いを首元に感じる。次の瞬間、彼女は前に転がった。一回転しながら、背後へ発砲する。暗闇を悲鳴が斬り裂いた。彼女の背後でナイフを構えていた殺人犯は肩を撃ち抜かれて倒れ込む。  テレビ局内にある試写室の椅子にふんぞり返って座っていた女悪徳刑事ポメラ・リー・アンダーソンは、その場面を見て「カット!」と叫んだ。続けてディレクターに言う。 「もっと激しいアクションにしてよ」  注文を受けたディレクターが反論する。 「実際の事件の調書を参考にしたんですけど、いけませんか?」  ポメラ・リー・アンダーソンは人差し指を車のワイパーのように左右へ振りながら言った。 「リアルさより大衆が好む派手なアクションを追求して」  ディレクターはリアルを追求した緊迫の場面を気に入っていたので、その意見に反対だった。だが、このシーンの取り直しを検討せざるを得ない。その理由のひとつは、ポメラ・リー・アンダーソンが女刑事パメラ・リー・アンダーソンのモデルとなった人物だからだ。 「私としてはね、実際の逮捕の場面を再現するより、もっとドラマティックな大捕り物にしたいのよ。私がカッコよく映えるようなやつね。本来の私らしさが表現されているようなものに」  元々のポメラ・リー・アンダーソンらしさとは、どういうものか? ディレクターが彼女に抱いているイメージは、欲深で陰湿で絶対にかかわりたくない人間というネガティブなものしかない。だが、かかわるしかなかった。以前に性犯罪で逮捕されかかったところを見逃してもらっている。その弱みを握られている限り、言いつけに従うのが彼の宿命なのだ。 「考えてみます」 「そうした方がいいわ」  試写室を出たポメラ・リー・アンダーソンは通りがかったテレビ局の重役に話しかけた。 「私のドラマを今さっき視聴したんだけど、少し気になることがあって」  その辺の女優以上に美しいポメラ・リー・アンダーソンに話しかけられて喜ばない男はいない。だが、テレビ局の重役の笑顔は引き攣ったものだった。彼女の言いがかりは時に、大きな損害を出すからだ。 「どういったことがお気に召さなかったのですか?」 「私の上司の警察署長役の俳優だけど、暗黒街の顔役と付き合いがあるわ。組織暴力対策課のファイルに証拠の写真があるの。変装しているからパッと見だと分からないけど、裏を取ったらモロバレよ」  テレビ局の重役は損得を計算した。警察署長役の俳優は売れっ子だ。ドラマや映画それにバラエティー番組にも数多く出演している。裏社会との付き合いが公表されたら、各方面へ多大なダメージとなるのは明らかだ。途轍もない大損となるだろう。 「その情報は、公表されそうですか?」  ポメラ・リー・アンダーソンは首を横に振った。 「気付いているのは私だけ」  溜息を吐いてテレビ局の重役は言った。 「いつもの秘密口座に振り込んでおきますので、どうか話はご内密にお願いします」  用を済ませたポメラ・リー・アンダーソンはテレビ局の重役に手を振って立ち去った。  その姿が消えると同時に、テレビ局の重役は苦虫を嚙み潰した顔で言った。 「悪徳警官め」  小悪党や有名人の犯罪あるいは不祥事を揉み消す副業が大繁盛しているせいで、ポメラ・リー・アンダーソンは同一人物からも好悪という相反する感情の両方で捉えられがちだ。警察内部での評判も似たようなものだった。犯罪者を次々に捕らえる優秀な警官なのだが、その捜査手法は法が定める一線を超えることが多く、上層部から危険視されている。  しかし、そういった強引な捜査こそ、犯人逮捕につながっている一面がある。先程のテレビドラマの題材となった連続殺人犯の逮捕は、そういうケースだった。応援の警官隊の到着を待たずポメラ・リー・アンダーソンが容疑者宅へ忍び込んだことが、結果的に誘拐された男性の命を救ったと判断された。  誘拐された男性が、とある大物政治家のBL相手で、恋人を助けてもらった恩返しとばかりに警察上層部へ圧力をかけ、ポメラ・リー・アンダーソンの様々な嫌疑を不問とするよう求めた……とも噂されているが、本当の話かどうか、誰も知らない。  仕事帰りの小遣い稼ぎを終えたポメラ・リー・アンダーソンがテレビ局を出ようとしたときだ。本業の上司から携帯電話に連絡が入った。 「もしもし」  警察署長はポメラ・リー・アンダーソンに、明日の朝一番にサンテ刑務所女子受刑者収容施設へ向かうように命じた。 「サンテ監獄へ行く用事はありませんけど」  ポメラ・リー・アンダーソンが嫌そうに答えると警察署長は軽口を言った。 「年貢の納め時が来たわけじゃない、安心しろ」  うるせーバカとポメラ・リー・アンダーソンは心の中で罵った。ギッタギタにしてやりたいと、心の底から願う。もっとも、彼女は警察署長が女性秘書と不倫している証拠を握っているので、何かあったら暴露は可能だ。そのことを思い返して怒りを鎮める。冷静さを取り戻した彼女は質問した。 「それじゃ、どうしてサンテ刑務所へ行かないといけないんです?」 「お前が逮捕した死刑囚がなあ、死の寸前に妙なことを言い残したんだ」  くくく、と笑って警察署長は付け加えた。 「憎んでも憎み足りないお前を呪う言葉じゃないぞ。お前が担当していた未解決事件についてだ」 ・刑の執行を言い渡された死刑囚が死の間際、とある未解決事件の手がかりを口にして――?  街の郊外にあるサンテ刑務所までの道のりは遠い。いつもより早めの起床を余儀なくされたポメラ・リー・アンダーソンは不機嫌な顔で自家用車のステアリングを握っている。早起きは嫌いなのだ。ついでに言うと、彼女は刑務所も嫌いだ。強請たかりの常習犯なので、いつなんどき塀の内側へ落っこちてしまいか、知れたものではないからだ。  高い塀に囲まれたサンテ刑務所に到着したポメラ・リー・アンダーソンは門の脇の部屋にいた門番に氏名と来訪の目的を伝えた。 「くたばりかけた死刑囚が妙なことを口走ったって言うから、調べに来たの」  門番は言った。 「みんな、そうさ。そう言うんだよ、死ぬ前に。でも、みんな同じだよ。嘘なんだ」 「私も、そう思う」  やがて巨大な鉄製の門が開いた。ポメラ・リー・アンダーソンが車を刑務所の敷地内へ滑り込ませる。サンテ刑務所の構内は高い塀や壁が至る所にあって見通しが悪い。マシンガンを持った看守が、そういった物陰に隠れ、警戒に当たっているのだ。スピード狂の彼女はイライラしたが、徐行運転を強いられた。構内の道路をぶっ飛ばして脱獄囚と誤解されたりでもしたら、短気な看守にマシンガンを撃たれてしまい、その華麗なる人生が終わってしまうからだ。  門番からは、来訪者用の地下駐車場から刑務所内へ入るよう話があった。言われた通り構内を進むと建物の一階に地下駐車場の入り口が見えてきた。その入り口にも見張りがいた。見張りは二人いて、その一人がポメラ・リー・アンダーソンの氏名を確認し、それから地下駐車場へ車を入れるよう伝えた。 「厳重なことねえ」  横柄な態度の看守に嫌味を言ったが、相手は聞こえないふりをした。ポメラ・リー・アンダーソンは地下へ降りるスロープへ車を進めた。一番奥に刑務所の中へ入る通路とエレベーターがある。その前に駐車するつもりだった彼女は、目当ての場所に誰か立っているのを見て怪訝な顔をした。その人物は、車が近づくと手を振って見せた。  相手の正体に気付き、ポメラ・リー・アンダーソンはニヤッと笑った。 「刑務所長のアンヂュー・ケイリー自らお出迎えとは思わなかったわ」  車から降りたポメラ・リー・アンダーソンは旧友のアンヂュー・ケイリーに挨拶した。 「よ、久しぶり」  駐車スペースに斜めに停められたポメラ・リー・アンダーソンの愛車を見て、アンヂュー・ケイリーは驚いた。 「この車、まだ動くの? 学生時代から乗っていたから、もう数十年は乗っているんじゃない?」 「数十年は言いすぎ。十数年に訂正して」 「大して変わらないって。それにしても……この車、元からボロかったけどさ、もっと酷いことになってんねえ」 「ほっといて」  学生時代と変わらない口調で二人は言葉を交わした。彼女たちは同じ法学部の同級生で、親しい間柄だった。共に司法省の高級キャリア試験に合格し、ポメラ・リー・アンダーソンは警察官僚の道を歩み、アンヂュー・ケイリーは法務局の役人として新生活を始めたのだった。それから月日は流れ、どちらも出世コースから外れ、年を取った。二人の友情は変わらない。 「それで、その死刑囚の話なんだけど」  刑務所長の執務室で思い出話に花を咲かせ終えた二人は、問題の一件について話し合いを始めた。 「ガス室に入るところ、そしてガス室で毒ガスを吸ってから、死ぬまでの様子はすべて撮影され、音声は録音されるんだけど、その音声に、こういう話が録音されてね」  アンヂュー・ケイリーはボイスレコーダーの再生スイッチを押した。 ・五股をかけるクズ男の恋人たちが、ある日を境に一人ずつ殺されていき、そして――。 「五股をかけるクズ男の恋人たちが、ある日を境に一人ずつ殺されていき、そして――」  録音された女の声は、そこで途切れた。  ポメラ・リー・アンダーソンは、卓上に置かれたボイスレコーダーから顔を上げ、向かいに座るアンヂュー・ケイリーに尋ねた。 「これで終わり?」  アンヂュー・ケイリーは無煙タバコの吸い口を口元に近づけながら答えた。 「そう、これで終わり」 「二万字に達してないけど、この物語を終わらせていいのね」 「そっちじゃなくて、死刑囚のダイイング・メッセージは、これで終わりってこと」  腕組みをしてソファーにふんぞり返ったポメラ・リー・アンダーソンは右足の踵でリズムを刻んだ。アンヂュー・ケイリーは眉をひそめた。 「貧乏ゆすり、治らないね」 「集中するために魂のビートをハートに刻んでんの。邪魔しないで」  考えに集中するポメラ・リー・アンダーソンを、アンヂュー・ケイリーは無煙タバコを吸いながら眺めた。それからコーヒーを淹れようとソファーから立ち上がった。 「私の分も。ブラックで」  ポメラ・リー・アンダーソンは目を瞑ったままコーヒーを頼んだ。 「集中してんじゃないの?」  アンヂュー・ケイリーから突っ込まれても、基本的に万事において馬耳東風なポメラ・リー・アンダーソンは、まったく気にしない。 「精神を興奮させるためにカフェインが必要なのよ」 「早起きしたから眠くなってきただけでしょ」  濃いブラックコーヒーが効果を発揮し、ポメラ・リー・アンダーソンの灰色の脳細胞が活発な活動を開始した。 「まず、この死刑囚の件だけど、ここから整理してみましょう」  処刑された死刑囚は素晴らしい美貌の持ち主で、その外見を餌に男たちを魅了し、彼らと深い仲になったところで保険金殺人を繰り返していた連続殺人犯だった。なかなか尻尾をつかませない女だったが、ターゲットとなっていた男性をポメラ・リー・アンダーソンが略奪したことで殺人計画が破綻、さらに過去の犯罪まで暴かれて御用となったのである――ちなみに、その男とポメラ・リー・アンダーソンは、すぐに別れた。 「それから、五股をかけるクズ男の件だけど」  このクズ男は外国人を自称する謎めいた人物だった。結婚詐欺あるいはロマンス詐欺の容疑で警察が捜査していたが、結局は立件を断念した。  この男は、自分を某国の情報部に籍を置くスパイであると名乗ることもあれば、ある国の王族の血を引く空軍大佐だと自己紹介することもあり、一切の経歴は不明だが、その正体は胡散臭い詐欺師というよりほかなかった。  この五股をかけるクズ男を、処刑された女死刑囚は自らの保険金殺人のターゲットにしようと企んでいたのだった。だが、彼女はクズ男の身辺を調べ、手を引いたのである。ある日を境に、その恋人たちが一人ずつ殺されていったことに気付いたからだった。保険金殺人をやる前に、自分が毒牙に掛けられては、たまったものではない。妥当な判断だった。  連続保険金殺人犯の女を逮捕したポメラ・リー・アンダーソンは、その捜査の過程で五股をかけるクズ男に関連した殺人事件を知り、こちらのヤマも調べ始めた。だが、捜査は難航した。事故に見せかけた殺人、強盗に見せかけた殺人、毒殺と犯行の手口は様々で、犯人像は浮かび上がってこない。  ポメラ・リー・アンダーソンは、まず事件の重要参考人であるクズ男から事情を聴こうとした。しかし男は既に出国していたので、それは後回しにして、男と関係があった女たちを調べた。五股をかけられていた五人の女のうち、三人は殺されていた。残り二人は行方不明となっていた。クズ男が入国した国の捜査当局に事情を説明し、捜査を依頼したが、当局が男の捜査を始めると、身辺に迫る危機を察したのか、男は行方をくらました。ここで捜査は手詰まりとなり、未解決事件の仲間入りとなったのである。 「死刑囚の書き残したメモがあるんだけど、見てみる? 興味深いことが書いてあるから、読んでみて」 「是非とも、お願い」  アンヂュー・ケイリーは遺品のメモを出して見せた。メモに残されているのは再審請求に関する事柄と、憎んでも憎み足りないポメラ・リー・アンダーソンに対する呪詛がほとんどだったが、それ以外の内容も幾つかあった。五股をかけられていた女たちの氏名が書かれていたのだ。  注目すべきは、行方不明になった女のうち一名の別名が記されていたことだ。その名前は、警察の調査では浮かび上がっていなかった。  ポメラ・リー・アンダーソンとアンヂュー・ケイリーは首を傾げた。 「これ、本当だと思う?」とポメラ・リー・アンダーソン。 「分からないわ」とアンヂュー・ケイリー。 「データバンクで調べてみたけど、その名前の人物で失踪している女性はいなかった」  検索結果を見せるアンヂュー・ケイリーにポメラ・リー・アンダーソンは頷いて見せた。 「詳しい調査が必要ってことね」  新しい手掛かりは、その名前だけのようだ。それでも、停滞している現状を打開するハンマーになってくれるかもしれない、とポメラ・リー・アンダーソンは考えた。 「それじゃ、そろそろ引き上げるわ。ご協力に感謝します」  そう言ってポメラ・リー・アンダーソンは付け加えた。 「ご主人によろしく」  アンヂュー・ケイリーは小さく頷いた。 「あなたに会ったと言ったら、驚くかも」 「相変わらず、家に引きこもって小説を書いているの?」 「取材に出る以外は、ほとんど家にいるわ」 「変わっていないわね」 「そうね……本当に、そう。困っちゃう」  溜息を吐くアンヂュー・ケイリーに「それでもベストセラー作家なんだからいいんじゃね」とポメラ・リー・アンダーソンは腹の中で言った。  ちなみにアンヂュー・ケイリーの夫は、ポメラ・リー・アンダーソンの元カレだった……誤解がなきよう書いておくが、アンヂュー・ケイリーが親友のポメラ・リー・アンダーソンから彼氏を略奪したわけではない。二人が別れてから交際を始めたのだ。だから、女同士の友情は損なわれることがなかった――と、いうことにしておく。  サンテ刑務所から勤め先の警察署へ戻ったポメラ・リー・アンダーソンは警察署長に呼び出された。数々の悪事が露見したわけではなさそうだったが、何の用事か分からないので、少し警戒しながら彼女は署長室に入った。  高身長で物凄いイケメンの美青年がいた。  その美青年を警察署長が紹介する。 「ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事だ。司法省の高級キャリア試験に合格した、将来の幹部候補生だよ。今回は刑事としての初期研修で当警察署の配属となった。指導役はポメラ・リー・アンダーソン、君だ。今日から二人はバディだ。よろしく頼むよ」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は握手を求めて右手を差し出しながら言った。 「実家は大金持ち、御曹司のエリート官僚です。小説や漫画に登場するハイスペック男子を具現化した存在だと言い切って構わないでしょう。シーンに応じて俺様キャラになったり、甘えん坊の年下キャラを演じ分けます。何よりも相棒として、捜査の役に立つと思いますよ」  ポメラ・リー・アンダーソンはランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事が差し出した右手を左手で振り払った。 「署長、子どもの面倒を見るのはごめんです」  警察署長は面倒臭そうに言った。 「決まったことだ」 「相棒なんて要りません」 「これは命令だ」 「命令を拒否する権利はありますよ」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は言った。 「押し問答のお邪魔をして申し訳ございませんが、一言よろしいでしょうか?」  誰かが何かを言う前に、ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は話を続けた。 「事件は起きています。それを解決する場所は、この警察署長室ではありません。時間は足りませんよ、ここで無意味なやり取りをしている暇は、私たちにはないのです」  小さく息を吐いてからポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「役立たずだと分かったら、相棒失格。足手まといは、お茶汲みと電話番をやって」  ニコッと笑ってランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は頷いた。 「了解です、先輩」  五股をかけられていた挙句に殺された女たちの事件について記した書類を収めたファイルを、ポメラ・リー・アンダーソンはランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事に手渡した。そして自分のデスクの椅子に座る。 「読んでおいて」  分厚いファイルの中の書類を物凄いスピードで読み終えたランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事が言った。 「事前に目を通していた資料と大きな違いはないですね」  それからランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は事件の概要を語った。 「状況を整理しましょう。五股をかけるクズ男こと、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは結婚詐欺師、またはロマンス詐欺師だった。連続保険金殺人の犯人だった女……先日サンテ刑務所で死刑が執行された死刑囚のピーキム・イーライジャズは、このキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータに目を付けた。自分の保険金殺人のターゲットになるかと思ったから。しかし、ある日を境に、五股をかけるクズ男の恋人たちが一人ずつ殺されていることに気付いて、手を引いた。やがて連続保険金殺人犯ピーキム・イーライジャズは、我らがヒロイン、敏腕刑事ポメラ・リー・アンダーソンに逮捕される。ピーキム・イーライジャズの自供によって、五股をかけるクズ男の恋人たちが、ある日を境に一人ずつ殺されている事件を知った警察は、ポメラ・リー・アンダーソンを、この事件の担当に任命した」  ポメラ・リー・アンダーソンのデスクの横に突っ立ったまま、ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、ファイルの中を見ずに一気に話して、ここで一つ間を置いた。 「ここまでは、いいですか?」  ポメラ・リー・アンダーソンは自分の鼻の頭をこすった。 「続けて」 「それでは」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は事件のあらましの説明を再開した。 「ピーキム・イーライジャズの供述と警察の捜査から判明した、結婚詐欺師あるいはロマンス詐欺師のキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータによって五股をかけられていた女たちの氏名は以下の通りです。即ち最初の犠牲者リネット・ド・フリートウッドと次の犠牲者」 「ちょ、ちょっと待って」 「なんでしょう?」 「新しい名前を次から次へと出すと、混乱するでしょう。一人一人、順番に詳しく説明していって」 「差し支えなければ教えてください。どなたが混乱するのでしょうか?」  読者に決まっているだろう! とは言えない。ポメラ・リー・アンダーソンは代わりに言った。 「捜査会議ではね、事件について何も知らない警察官に一から説明しないといけないの。自分のペースで喋るのではなく、相手の理解度を考えて話さないと」  その教示に納得したランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、最初の犠牲者であるリネット・ド・フリートウッドの人物像から語り始めた。 「リネット・ド・フリートウッドはテレビや映画そして舞台で活躍する若手女優でした。それは、その優れた才能の故……ではありません。自分をプロデュースしてくれる優れた才能のあるパトロンを探し出す能力に優れていたためです」 「ちょ、ちょっとっとっと、分かりにくい表現ね」 「つまりリネット・ド・フリートウッドは、色々な有力者の愛人となることで、様々なシーンに躍り出ることができた、ということです」 「まあ、そんな感じでいいわ。そのリネット・ド・フリートウッドは、結婚詐欺師あるいはロマンス詐欺師のキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータと、どういった縁で交際するようになったのかしら?」 「それは分かりません。どちらからのアプローチなのか。いずれにせよ、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータはリネット・ド・フリートウッドから金を騙し取ろうとしたでしょうし、リネット・ド・フリートウッドの方は、あることないこと言うだけ言って実は嘘だらけのキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータの力で、芸能界でのし上がろうとしたのだと思います」  それからランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、リネット・ド・フリートウッド殺害の状況を話し始めた。 「舞台からの転落事故でリネット・ド・フリートウッドは亡くなりました。事故であることは間違いないと警察は判断しましたが、事故の真相をピーキム・イーライジャズは知っていました。リネット・ド・フリートウッドは、ある人物の指示で暗闇の中を移動し、舞台に開いていた奈落の落とし穴に落ちたのです」  ポメラ・リー・アンダーソンは尋ねた。 「奈落の穴の方へ向かうよう指示した人物は分かっているの?」 「分かっていません。ですが舞台の関係者の振りをしてリネット・ド・フリートウッドに近づき、指示したのは確かです」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事の説明を聞きポメラ・リー・アンダーソンは頷いた。 「脚本が一部変更になりました。セリフの合間に、こちらの方へ歩いてください。そこでセリフを言ってくださいね。いいですか、新しい台本の通りに動いてくださいよ……みたいなことを急に言ったのでしょうね」 「次の犠牲者の話をしてもよろしいでしょうか?」  ポメラ・リー・アンダーソンがゴーサインを出す。 「二番目の犠牲者デニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスは女性銀行員でした。多額の預金を着服していたことが判明しています」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事はデニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスが横領していた金額を言った。ポメラ・リー・アンダーソンは「ひゅ~」と口笛を吹いた。 「何度聞いてもビックリの額だわ。でも、謎は残るんだよね」 「そうなんです。デニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスは銀行の金をキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータに全額貢いだと思われましたが、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータの生活は、それに見合うほどリッチなものではなかったのです」 「一銭も貢いでいなかったんじゃないかしら?」 「そう考えてもおかしくないくらい、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは質素な生活をしていました」 「そうは言っても、立派なご身分を偽装するために金は十分に浪費していたんだけどね」 「必要経費だと税務署に申告していたかもしれません」  そんな軽口を叩いてからランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事はデニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスの死について語った。 「彼女の勤める銀行が襲撃されました。犯人は現金を要求し、支店長に拒まれると窓口にいた女性行員を射殺し、逃亡しました。殺されたのがデニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスです。彼女を射殺した銀行強盗は逮捕されていません」 「未遂に終わった銀行強盗が犯行の目的ではなく、デニールデニーロ・ユリアンナ・ブロスを強盗に殺されたと見せかけて殺害することが犯人の狙いだったと、ピーキム・イーライジャズは考え、私たちに供述した」  連続保険金殺人犯ピーキム・イーライジャズの供述を思い出しながら、ポメラ・リー・アンダーソンは卓上の電話の位置を直した。 「銀行強盗に見せかけて殺すくらいなら、路上強盗でも良さそうに思えるけどね」  その意見に耳を傾けつつ、ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は第三の殺人被害者について語り始めた。 「五股をかけられていた第三の女イールネヴィア・アスクラスアンは、猛毒の化学兵器を製造する会社の最高経営責任者でした」 「今までの二人と比べたら、社会的な身分は一番高い女ね」 「若い男性を何人も愛人にしていたようです」 「羨ましい~って嫉妬する女が、いっぱいいそう」 「その線で毒殺されたとの可能性も警察は想定し、捜査していました」  化学兵器製造会社の女性社長イールネヴィア・アスクラスアンは、自社の開発した最新の大量破壊兵器の完成披露パーティーで、毒入りのカクテルを飲んで殺された。 「大量破壊兵器製造に反対する平和主義者のテロを公安警察は第一に考えているわ」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、ポメラ・リー・アンダーソンの含み笑いを見て言った。 「そういう笑顔もキュートですね」 「そういう揶揄いはハラスメントだから。今の時代、そういうのが命取りになりかねないから、注意しときな」 「心得ておきます」  そう言ってランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、五股をかけられていた第四の女について話し始めた。 「その女の名はダリア。ホワイトダーク・ダリアという名前だとピーキム・イーライジャズは供述しました。そして、こうも言いました。この女は、三番目の女イールネヴィア・アスクラスアンが毒で殺害された直後、行方をくらました、と」 「警察は、この四番目の女ホワイトダーク・ダリアの足取りをつかめていない。今のところは、ね」  ホワイトダーク・ダリアという女は幼稚園の先生だった。同時に、夜の保母さんでもあった。そういった風俗店に勤めていたのだ。 「昼の勤め先である幼稚園にも、夜の幼稚園にも出勤していません。彼女の姿は消えました、完全に」  そう言うランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事に、ポメラ・リー・アンダーソンは最新の情報を提供した。 「サンテ刑務所で処刑されたピーキム・イーライジャズ死刑囚が、ホワイトダーク・ダリアの別名を記したメモを残してくれたの。最初に供述したときに、それも教えてくれたら面倒がなくて良かったのに」 「後から思い出したのでしょう。それで、その別名というのは、どんなものなのです?」 「ダリア・ホワイトダークだって。ふざけるのもいいかげんにしろってんだよ」 「ピーキム・イーライジャズは最初から、ダリアとホワイトダークの、どちらが先だったのか分からなかったのかもしれませんね」 「いずれにせよ、データバンクで調べてみても、失踪者名簿の中にダリア・ホワイトダークの名前はなかった」 「勤め先だった幼稚園に出した履歴書も嘘っぱちでしたからね。出身地も家族の住所も学歴も、何もかもが架空のものでした。その名前も本当のものか、分かりませんよ。過去を消した女なんです。そんな女が、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータと関係したのは、一体どんな心境だったのか……男の僕には、理解できません」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事がそう言った後、二人はしばし黙り込み、物思いに耽った。やがて女刑事が口を開いた。 「五股をかけられていた第五の女のことを、自分が捜査会議の全員に話していることを想定して話しなさい」  目で頷いてランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は言った。 「五股をかけられていた第五の女は一切が不明です。連続保険金殺人犯の死刑囚ピーキム・イーライジャズは、この女をメリージェーン・ドゥー・オンマイマインドと呼んでいました。意味は分かりません。おそらく身元不明の女につけられるジェーン・ドゥーから付けた名称でしょう。そしてピーキム・イーライジャズは、このメリージェーン・ドゥー・オンマイマインドという女が三人の女を殺害した犯人だと考えていました」 「証拠はないけど、同じ連続殺人犯だから分かるって自信満々で言っていたわ。女の勘だともね」  懐かしくもなさそうにポメラ・リー・アンダーソンは言った。それから今後の方針について、自分の考えを述べた。 「身元が判明している三人の女については、十分に調べた。ホワイトダーク・ダリアについても。でも、新たに判明した名前のダリア・ホワイトダークに関しては、これから調査しないといけない。その名前の人間を全員データバンクで調べてみる。法務省のデータバンクだけじゃなく、健康福祉省や大蔵省も何もかもチェックする。そうすれば、何か浮かび上がってくると思う」 「大変な手間がかかりますよ」  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事は、そう言った。しかしポメラ・リー・アンダーソンの考えは変わらなかった。 「コンピュータでのデータチェックが終わったら、全国のダリア・ホワイトダークさんのところに、足で歩いてお宅訪問だから、もっと大変よ」 「僕から提案があります。聞いてください」  生意気なことは言うなよ……と無言で圧力を加えるポメラ・リー・アンダーソンの硬い表情が、ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事の言葉を聞いて驚きに変わる。 「データチェックは僕の雇っているデータマンたちにやらせます。全国のダリア・ホワイトダークさんのところへの訪問は、僕の家の私設警備員たちにやらせます。僕は大金持ちの御曹司なので、そういったことが可能なのです」  ランスロット・アーサー・エクスカリバーは富豪刑事いや、大富豪刑事なので、そういった大掛かりな捜査を個人で実行できるのだ。 「ダリア・ホワイトダークさんに関する地道な調査と並行して、先輩と僕は別の角度から事件を追いましょう。海外へ逃亡して消息不明となったキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータを見つけ出し、尋問するのです」  自分に捜査の手が伸びていることを知り、クズ男のキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは逃亡先の海外で姿を消していた。大富豪刑事ランスロット・アーサー・エクスカリバーは、そのクズ男から直接話を聞こうとしているのだった。 「でも、現地の警察も所在をつかめていないのよ。どうやって話を聞くってのさ?」 「実は、現地駐在のエージェントに調査を依頼していたのです。それで、ちょっと耳寄りな情報を入手しまして」  キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは現地警察と癒着した秘密犯罪組織の準構成員であり、警察は捜査に手心を加えている可能性がある、とランスロット・アーサー・エクスカリバーは言った。 「酷い話ねえ」  汚職警官であるポメラ・リー・アンダーソンは、他人事のように言った。何か言いたい様子のランスロット・アーサー・エクスカリバーだったが、余計なことは言わず本題について語った。 「ですから、現地警察の力を借りず、自分たちだけでキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータを見つけ出さないといけません。難しいですが、秘密裏に。さもないと、現地警察が私たちの動きを妨害してくるかもしれませんので」 「それができるのなら一番良いけれど、そんなことが本当にできるの?」  ポメラ・リー・アンダーソンの問いかけに、ランスロット・アーサー・エクスカリバーは力強く頷いた。 「国外逃亡の恐れなしと先輩が警察上層部に判断されたら、渡航許可が下りると思いますよ」  グスッと笑ってポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「そうだとしても海外出張の旅費は出してくれないと思う。とにかく経理部はケチだから」 「先輩の分の旅費は僕が出します。金持ちですから」  持つべきものは大富豪の後輩だとポメラ・リー・アンダーソンは思った。  ランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事が私費で雇っているデータマンと、元警察官で構成された私設警察いや、私設警備員の面々にダリア・ホワイトダークに関する国内での捜査を任せることに決めたポメラ・リー・アンダーソンは、事件の中心人物である結婚詐欺師あるいはロマンス詐欺師疑惑の容疑者キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータが潜伏する外国へ出張することにした。  出張とはいえ海外への旅行なんか久しぶりなので、ポメラ・リー・アンダーソンの心は弾んだ。後輩のランスロット・アーサー・エクスカリバーに旅客機の切符を取らせようとしたら搭乗券の心配は不要だと言われた。彼のプライベートジェットで行くとのことだった。レシプロの軽飛行機ではなく自家用のジェット旅客機を持っている刑事を見るのは、彼女は今回が初めてだった。一体どれくらいの金持ちなのだろう? と後輩刑事の個人情報を調べてみた。 「聞きたいことがあるんだけど」  キャビンアテンダントに渡されたワインのグラスを掲げて一口飲んでからポメラ・リー・アンダーソンは後輩のランスロット・アーサー・エクスカリバー刑事に尋ねた。 「なんです?」 「あンたの家、幾つもの事業をやっている資産家でしょ? どうして刑事なんかになったの?」  馥郁として葡萄酒の香りを漂わせ、ランスロット・アーサー・エクスカリバーは答えた。 「警察官僚となって出世し、政界入りしようと考えたんです」 「それは簡単な話じゃないから、できるかどうか知らないけど、こんだけ金があるのなら選挙資金で苦労はしないでしょうね」  ワインのお代わりをキャビンアテンダントに頼んだポメラ・リー・アンダーソンは、酒のつまみのチーズを食べながら質問を続けた。 「それにしたって、下っ端の刑事から研修を始めなくたっていいんじゃないの? 省庁統一共通上級職試験の合格者だから、もっと楽なところから始めたっていいと思うんだけど」 「刑事に憧れていたんです、子供の頃から」  自分にも、そんな頃があったとポメラ・リー・アンダーソンは思った。 「憧れていたのは、刑事という職業だけではないんですよ」  そう言ってランスロット・アーサー・エクスカリバーは、情熱的な目でポメラ・リー・アンダーソンを見つめた。 「先輩、あなたのことが、ずっと気になっていたんです」 「は?」 「省庁統一共通上級職試験の前身、司法省の高級キャリア試験にトップで合格し警察官僚への道が開かれていたのにもかかわらず、普通の刑事の道に転身し、そこで大活躍している伝説の女刑事ポメラ・リー・アンダーソンに憧れて、僕は刑事になったんです」  超大金持ちの御曹司で絶世の長身美男子であるランスロット・アーサー・エクスカリバーから、そんな風に囁かれたら――正確には、面と向かって言われたのだが、まずはこれで良しとしよう――大抵の女なら発情する。小娘なら心臓がドキンドキンとして動けなくなるだろう。しかし百戦錬磨の美女ポメラ・リー・アンダーソンは、そうはならなかった。 「悪いけど、あンたに下りた内部監査部からの極秘命令書を読ませてもらったよ。女悪徳刑事ポメラ・リー・アンダーソンの汚職の証拠を握ったら、いきなり二階級特進だって? 凄い栄誉じゃない。でも、報酬が高いってことは、それだけ危険だってこと、分かっているでしょ。その覚悟、できてる?」  葡萄酒を飲み干し動揺を隠したランスロット・アーサー・エクスカリバーが言った。 「内部監査部が、表立って調査せず、こうやって陰でコソコソ内偵を進めることしかできない理由、噂でしか知らないんですけど、あれって本当なんですか?」  ポメラ・リー・アンダーソンは、しらばっくれた。 「何の話?」 「警察上層部はおろか、政権中枢まで揺るがす、大変な秘密を知っているという噂です――」  何も答えずポメラ・リー・アンダーソンはワイングラスを重ねた。ランスロット・アーサー・エクスカリバーも、それ以上は質問しなかった。やがて飛行機は目的地の空港の滑走路に着陸した。空港のターミナルビルで二人を出迎える男がいた。現地の人間に溶け込んだ格好だが実は富豪刑事が送り込んだ私設秘密捜査員だった。先乗りしていた彼らは現地の人間あるいは観光客の振りをして、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータの行方を追っていた。  その結果報告を聞いたランスロット・アーサー・エクスカリバーは表情を曇らせた。 「参りましたよ。キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは、やはり秘密犯罪組織の一員でした。そして現在、その秘密犯罪組織にかくまわれているようです」  その報告を隣で聞いていたポメラ・リー・アンダーソンはフライトの疲労が出たのか、ちょっと肌に疲れたところがなくもない右の顎を撫でながら言った。 「キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータをかくまっている秘密犯罪組織って、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会? それなら、私に考えがあるんだけど」  キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータはンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の準構成員で、その庇護下にある――と私設秘密捜査員は答えた。 「それじゃ、私をンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の組事務所へ連れて行って。そこで話をつけるから」  私設秘密捜査員も、その雇い主のランスロット・アーサー・エクスカリバーも驚いた。 「先輩、正気ですか? ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会は、自分たちを壊滅させようとした検察官を検事局ごと爆弾で吹き飛ばした極道ですよ。そんな奴らの組事務所へ乗り込むなんて、命が幾つあっても足りません」 「怖いんなら刑事を辞めて実家の後を継ぎなさいよ」 「実家の家業は弟が継ぐことになっています」 「じゃ無職になりなさい」 「それもごめんです。一緒に行きます」  秘密犯罪組織ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の組事務所は切り立った断崖絶壁の硬い岩盤を穿った巨大な横穴の内部にある。その前身である隠者の瞑想集団時代からの歴史的な建造物で、文化財として保護されてもおかしくないほど華麗な装飾に彩られた空間だが、恐るべき殺人鬼たちの巣なので、学術調査は行われたことは一度もない。ポメラ・リー・アンダーソンとランスロット・アーサー・エクスカリバーは、その入り口の横に寝そべっていた老人に訪問の目的を告げた。すると老人は、二人に中へ入るよう言った。言われるがまま、二人は大きな横穴の内部に入った。中は天井が高く、その天井一面に光る物質が貼られていて、内部を明るくしていることが分かった。その光の下で老人は、変装を解いた。中から現れたのは、若い美女だった。 「外国の警察に追われているって言って、クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは逃げ帰ってきたけど、あいつを追っかけていたってのは、あンタたちなの?」  ポメラ・リー・アンダーソンは頷いて見せた。 「キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは、ある連続殺人事件の容疑者なの。捜査のために、是非とも話を聞かせてもらいたいわ」  若い美女はせせら笑った。 「どうして、うちらが、外国人の警察官に協力しなきゃならないってのさ」  右の顎を撫でながらポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の同胞、黒バラ女子修道会の在家騎士の頼みでも駄目なのかしら?」  そう言ってポメラ・リー・アンダーソンは右の奥歯を噛んだ。次の瞬間、彼女の右頬に黒いバラの文様が浮かび上がった。その黒バラの印を見て、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女はカッと目を見開いた。 「信じられない……伝説の黒バラの女騎士が、現在もいたなんて!」 「秘密の伝承者になるのは、楽じゃなかったわよ」  苦く笑ったポメラ・リー・アンダーソンに、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女は深々と頭を下げた。 「ご無礼の数々お許しください」  何もかもを水に流すというポメラ・リー・アンダーソンに、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女はクーヒーオゥ・カエメリハザメベハータが死んだことを告げた。 「ここに来て間もなくのことでした。来た時には、もう手の施しようがなかったのです」  ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会は貧民のために病院を運営している。キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは、そこに担ぎ込まれたが、手遅れだった。 「念のため、医師が検死を行いました。体内から毒が発見されました。それが死因のようです」  毒の種類をポメラ・リー・アンダーソンは尋ねた。その答えを聞いたランスロット・アーサー・エクスカリバーは、それだ第三の事件で使われた毒物と同じだと思った。 「キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは、何か言い残しませんでしたか?」 「あの男に一服盛られた、とだけ」 「その男の名前を、死者は告げませんでしたか?」 「ダリア……確か、ダリア何とかと言っていました」  ポメラ・リー・アンダーソンとランスロット・アーサー・エクスカリバーは顔を見合わせた。ホワイトダーク・ダリアまたはダリア・ホワイトダークという名の人物は、女ではなく男性だったのだ。  ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女にポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「申し訳ないけどキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータの部屋を見せていただけるかしら? 遺品でもあれば、証拠として持ち帰りたいんだけど」  伝説の黒バラの女騎士の頼みをンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女は聞き入れ、黒バラ女子修道会とは無関係のランスロット・アーサー・エクスカリバーもンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の一時会員として建物内に入ることを許可した。事情がよく分からなかったランスロット・アーサー・エクスカリバーだが、それは非常に珍しい特例中の特例であることは場の空気を読んで理解できたので、厚く御礼申し上げた。  キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータの部屋は、部屋というほどのものではなかった。かつて宗教的な像が安置されていた部屋の壁の狭い穴が、彼に与えられた居住スペースだった。 「組織のルールを破り、逃げ出した者ですから、こういう扱いとなりました」  ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女は言い訳じみた口調で言った。ポメラ・リー・アンダーソンとランスロット・アーサー・エクスカリバーは、キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータが持参したトランクを調べた。身の回りのものなど、品物らしきものは何も入っていなかった。 「手掛かりになりそうなものはありませんね」  それらしいものを何一つ見つけ出せなかったランスロット・アーサー・エクスカリバーは悔しそうに言った。ポメラ・リー・アンダーソンは、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女に証拠品としてトランクを預からせてくれるように頼んだ。 「事件が解決したら、お返しするから」  それは不要な気遣いだとンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の女は言った。 「あの男は本来、この聖なる場所を訪れる資格がなかったのです。多額の現金を持ってきたから入れたのですが、それを全部寄進したら、それで縁が切れる。それだけです」  トランクの中には、女たちからかき集めた金が入っていたようだ。キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータは、その金でンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会の許しを得たのだろう……とランスロット・アーサー・エクスカリバーは思った。  空港へ向かう車を運転するのは、ランスロット・アーサー・エクスカリバーの役割だった。ポメラ・リー・アンダーソンは、右頬に浮かび上がった黒いバラの文様を少しでも薄めようとファンデーションを塗りたくることで大忙しだったからだ。  ランスロット・アーサー・エクスカリバーは、私設秘密捜査員には同乗を遠慮してもらっていた。ポメラ・リー・アンダーソンが話しやすいように、との気遣いからだった。  ポメラ・リー・アンダーソンに聞かねばならないことが、ランスロット・アーサー・エクスカリバーにはあったのだ。 「先輩」 「なに」 「聞いてもいいですか?」 「何を」 「その黒いバラの痣、何なんです?」 「黒バラ女子修道会の在家騎士の証明」 「その黒バラ女子修道会の在家騎士って、何です?」 「あンたの知ったっこっちゃないでしょ」  そう言われたら返す言葉がない。いや、違う。それは絶対に違う! とランスロット・アーサー・エクスカリバーは思った。 「先輩、僕たちはバディですよね。相棒同士ですよね。相手のことは、できる限り知っておきたいです。その……もしよろしければ、ですけど」  ポメラ・リー・アンダーソンはコンパクトの中の自分の頬を睨みつけながら言った。 「まあ、いいわ。私、飛行機の燃料代と飲食代を払ってないからね。それをチャラにしてもらう代わりに、話してあげる」 ・母の遺言で、かつてはいわゆる“因習村”だった廃村を訪ねた。そこで見つけたのは――。  母と私は、仲が良いとは言えなかった……とポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「躾の度を超えた、まるで折檻みたいなことを小さな子供の頃から受けてきて。本当に嫌だった。ずっと逃げ出したかった」  毒親というほどでもないんだけれど、相性が悪かった、とも言った。その口調には愛憎半ばする気持ちが感じられた。  それでも母の遺言は守ってやろうと。かつてはいわゆる“因習村”だった廃村を訪ねた。そこで見つけたのは――。 「何だったのです?」  そう尋ねるランスロット・アーサー・エクスカリバーにポメラ・リー・アンダーソンは答えた。 「私の生家に古い祭壇があって、そこに謎のマニュアル本が隠されていたの。母の遺言の通りだった。そのマニュアル本には、黒バラ女子修道会在家騎士になるための厳しい修行法が書かれていたわ」  その修行法というのが、母からの躾あるいは躾の度を越えた折檻みたいなこと、そのままだった。マニュアルの最後に、奥歯を噛むと不思議な黒バラの文様が右頬に浮かび上がる、と書かれていた。 「それが黒バラ女子修道会在家騎士になった証明なの」 「すみません。黒バラ女子修道会とか、その在家騎士とかって、何ですか?」 「昔この星に現生人類の祖先が乗った宇宙船が漂着したんだけど、その宇宙船を運航していた組織が黒バラ女子修道会で、その在家騎士というのが治安を守る警察官みたいな役目をしていたの。ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会も、同じように宇宙移民船に乗って、この星へやってきた連中。それで、私たち黒バラ女子修道会との間に、一種の同盟を結んだの。その名残が、あれ。お互いに古い組織だから、昔の慣習は忠実に守られているのね」  唐突な話に驚くランスロット・アーサー・エクスカリバーだったが、もっと驚くことが起きた。母国の空港へ戻ったポメラ・リー・アンダーソンはランスロット・アーサー・エクスカリバーの車の助手席に座ると、五股をかけるクズ男の恋人たちが殺害された事件の重要参考人のところへ、この足で向かおうと言い出したのである。 「誰です!?」 「行けば分かる……いや、あンたは知らないか。捜査線上に浮かんでない人間だから」  旧友であるサンテ刑務所長アンヂュー・ケイリーの自宅を訪れたポメラ・リー・アンダーソンは、留守を預かる彼女の夫でベストセラー作家の男性に、ンドラカモッラコーサウニータ・ノストラ会から持ち帰ったキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータのトランクを突き付けた。 「これ、私が昔あなたにプレゼントした一点物のトランクなんだけど、五股をかけるクズ男から取り返してきてやったわ」  トランクを凝視したきり動かなくなった男の足元に問題のトランクを置くと、ポメラ・リー・アンダーソンは携帯通信記録端末機器をポケットから取り出した。その画面を操作する。 「私、人にあげた物と貰い物は写真に撮って保存しておくの。買ったら領収書も写しとく。これ見て。十数年前に、このトランクを買って、あなたへプレゼントしたときの写真。別れた時は消去しようと思ったけど、消さなくて良かった」  笑顔を浮かべたポメラ・リー・アンダーソンは、それからネチネチと粘っこい口調で言った。 「捜査の輪が絞られるとね、調べが進むのは早いよ。ホシが割れてんだから、その線で事実を掘り起こしていくだけ。すぐに何もかもバレる。観念しなよ……今のうちなら、私が何とかしてあげられるからさあ。全部、言ってみな」  小説のネタになるかと思い、女装して昼間は幼稚園そして夜の幼稚園に勤め出したのが、そもそもの発端だったと男が言った。 「その店に、結婚詐欺師っぽい客が来た。キャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータだった。俺を引っかけようとしてきた。面白かったので、わざと近づいた。三股掛けているようだった。女装した俺で、四人目だ。バカバカしい話だけど、エブリスタに投稿する小説に良さそうだ……なんて思っていたら、五股目の女が現れた。いや、実は違った。その女は、俺がキャプテン・クーヒーオゥ・カエメリハザメベハータとその三人の女たちと複数プレイをしていると誤解した。そして、俺が浮気している相手の女と男を消そうと決意した。そのために近づいてきたんだ、五股目の女として! それが彼女の復讐の始まりだったんだ。そして犯行を始めた。一人一人、順番に。その相手に相応しい方法で。そして彼女は――」  言いかけた男を制して、ポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「二万字を超えたから、もうね、その辺でいいわ」  そして付け加える。 「この件をバラされたくなかったら、私が主人公のサスペンスミステリーを書いて。ベストセラーにするだけじゃ物足りないからね。大ベストセラーにして。その印税の五割をちょうだい。いいこと? それが何もかもを黙っている条件だからね」  そう言ってポメラ・リー・アンダーソンはアンヂュー・ケイリーの自宅を後にした。その背中を追いかけて、ランスロット・アーサー・エクスカリバーは言った。 「ちょ、ちょっと待ってください! それでいいんですか? 犯人を見逃すんですか?」  立ち止まりもせずにポメラ・リー・アンダーソンは言った。 「歩合制じゃないから犯人を逮捕してもしなくても給料は変わらない。起訴したら証拠をまとめて調書を作る分、面倒な仕事が増えるから、これでいい」  女悪徳刑事ポメラ・リー・アンダーソンは後輩の車の助手席にふんぞり返って座り、早く車を出すよう偉そうに命じた。
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