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朔夜は、自分の名前が書かれている部分を、そっと指先で撫でた。
『さくちゃん──……』
爽やかで、どこか甘さを含んだテノールボイスで愛称を呼ばれる。「さくちゃん」、その愛称を使う人間はこの世で、たったひとりしかいない。
愛する人に名前を呼ばれた気がした朔夜は、弾かれたように顔を上げ、思い人の名前を口にする。
「日向……」
そうして室内を見回したが、日向の姿はどこにもない。
自嘲気味な笑みを浮かべて「なんだ空耳か」と朔夜は独り言を口にする。手紙を手にしたままの状態でベッドから下りた。豪華な洋室には、どこか不釣り合いな安っぽい水色のサンダルをつっかけ、障子二枚分はありそうな大きな窓の前に立つ。
ガラス一枚で隔てられた世界。そこには雲ひとつない空が地平線の彼方まで広がっていた。
じかにその光景を目にしたいと衝動的に思い立った朔夜は部屋を出た。あえてエレベーターを使わずに足を使って階段を上り、屋上庭園へと向かう。
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