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君の一部になれるなら
ユーゴはもう一度ふうと息をついて、それからレイを見た。叱られた犬みたいにシュンとしてしまっていて、やっぱりちょっと可哀想だなと思う。
別に、そんな顔をさせたいわけではないのだ。
「どうして黙ってたの?」
ベッドの前に立って訊ねると、レイがそろりと顔を上げた。
「うーん。いちばんは、びっくりさせたかったからかなぁ?」
正直、こんな話いつ聞いたってびっくりする。そうは思ったけれどレイの邪魔をしないようにユーゴは黙って話の先を促した。
「最初は、ゆーちゃんが何者かもわからんかったから、黙ってた。しばらくしたら本当に普通の悪魔やってわかったけど、何度か出ていこうとする素振りが見えたから、やっぱり言わんかった」
ドキリとした。
ユーゴがあの家から出て行こうとしていたのに、レイが気付いていたとは思わなかったのだ。
「それでその後、ゆーちゃんがおれの恋人になって、いつ言おうかなってずっと思ってはいたんやけど。少し前に、すごくいい情報聞いて」
「いい情報?」
「うん。それで、それが手に入ったら言おうって思った。絶対めちゃめちゃ、びっくりすると思ったから」
そう言うとレイはもそもそと動き出して、ベッドを降りた。それから持参していた旅行用のトランクをポンとベッドの上に置き、パカッと開ける。
不思議に思って首を傾げるユーゴに、レイはレンガひとつ分くらいの黒い箱を大事そうに両手で持って差し出した。
「……何が、入ってるの?」
「開けてみて」
言われるまま、ユーゴはその箱をレイから受け取った。予想よりもずっと軽い。蓋を上に押し上げて、そろりと持ち上げる。
「え……」
中は赤い天鵞絨張りになっていて、そこに黒くて細長い石のようなものが入っていた。ひどく懐かしいような恐ろしいような、身体じゅうの毛穴が開く感じがする。ユーゴはあわてて蓋を閉めた。
「こ、これって」
「うん。ゆーちゃんの角だよ」
思った通りの答えが返ってきて、逆に緊張する。もう二度と手元に戻ることはないと思っていたものだ。
それにしても一体何処で手に入れたんだろう。疑問に思ってレイを見ると、彼はふにゃりと笑ってユーゴの肩をポンと叩いた。
「オークションに出品されとったんよ。それ」
「は?」
「さっきセオドアも言ってたけど、闇オークションて催し物が、まあ結構あちこちで開かれてとるんよ。わりと何年も前から情報集めたり潜入したりしてて、色々とツテがあるんよね」
はあ、とユーゴは間抜けな声を漏らした。
自分の暮らしていた世界とは違いすぎて、なんだかおとぎ話を聞いているみたいだ。
「でね、少し前に悪魔の角が出品されるって聞いて、無理を言って出品される前に現物を確認させてもらったんよね。で、ちゃんとゆーちゃんのやなあってわかったから、買ってきた」
「買って……」
一体いくらしたんだろうとか、そんな危ないところに出入りして大丈夫だったのかとか。思ってることも言いたいこともあるけれど、上手く口から言葉が出てこない。
「付けてみよ?」
弾んだ声で提案されて、頭痛がした。
ユーゴが角を失ってから、もう数百年は経っている。先ほど見たアレは確かに自分のものだろう。けれど角を折られたのは幼年の頃だ。箱の中の角は小さかったし、今のユーゴに付けて付くようなものなのか、正直疑問だった。
「大丈夫! ちゃんと付け方も習ってきたから!」
いつものことだけれど、レイは謎の自信に満ち溢れている。それにこういう時のレイに、ユーゴは抵抗できた試しがない。わかったと小さな声で応じると、レイは嬉しそうに何やら準備を始めた。
黄色い液体の入った瓶。陶器の小皿。指一本分くらいの長さの木のヘラ。それから金属で出来た棒状のヤスリ。それらをトランクから取り出してベッド脇のナイトテーブルに並べていく。
それから。
「え…?」
レイはまたベッドから降りると、着ていた上着を脱ぎタイも解いた。更にシャツのボタンを外し、全部纏めて近くの長椅子に放ってしまう。
上半身に身につけるものが何もなくなったレイをぼんやりと見上げていると、彼がチラとユーゴを見て笑んだ。次の瞬間。
バサッ! と音がした。
瞬きのうちにレイの肩甲骨から漆黒の翼が生え、プラチナブロンドだった髪も同じ色に染まっていく。更に耳が尖りその上から羊のような巻き角がしゅるりと生えていく。
初めて見るレイの本当の姿に、ユーゴは呆然とした。
綺麗だなと素直に思うし、彼が本物の自分を見せてくれたことも嬉しいと思う。思う、けれど。
今、何故彼が擬態を解いて姿を見せたのか、その意図がわからない。
意味を測りかねてパチパチと瞬きを繰り返すユーゴに、レイは機嫌良さそうにニコニコと笑って見せた。サッと背筋が冷たくなる。レイの機嫌が無駄にいいときは、彼がユーゴに無理難題を言ってくる合図だ。
嫌な予感しかしなくてベッドの上を後ずさったけれど、すぐに背がふかふかの枕に埋もれてしまう。そんなユーゴを相変わらず楽しげに見ながら、レイはナイトテーブルに手を伸ばした。そこから陶器の小皿と鉄製のやすりを取って、はいとユーゴに差し出してくる。
「これでおれの角、ちょっと削って」
「……え。削るって……む、無理っ! 出来ないよ! そんなこと!!」
悪魔の角というのは、なかなか敏感な器官だ。硬くて骨のようだが先までちゃんと神経が通っていて、ぶつけたりしたら普通に痛い。
そこをヤスリで削るなんて、想像しただけで震える。
「だってゆーちゃんの角、折れてから時間が経ちすぎててそのままじゃ付かないんやもん。おれの角ちょっと削ってその接着剤と混ぜて付けてって」
「角なんて削ったら痛いじゃん! なんか他に方法ないの?!」
「……あるよ。売人が接着用にって、吸血鬼の歯くれた」
「じゃ、じゃあそれで…っ!」
代案があったことにホッとして、ユーゴは食い気味に言いながらレイを見た。けれどレイはムスッとした顔で唇を尖らせている。
「でもさぁ、それって、誰か知らない奴がゆーちゃんの一部になるってことでしょ? おれ、嫌だ」
ドキッと、心臓が跳ねた。
それから少し遅れて言葉の意味を咀嚼して、身体じゅうの体温が一気に上がる。
「ゆーちゃんの一部になるチャンスがあるんやったら、おれがなりたい。…駄目?」
答えられなくて、ユーゴは両の手をぎゅうっと握った。
ずるい、と思う。
拗ねた顔をしたレイにそんなことを言われて、ユーゴに断れるはずがない。
「痛い、よ?」
「うん」
「すっごくすっごく痛いと思うよ?」
「ええよ。それでゆーちゃんの一部になれるんやったら、平気」
「……痛いって言っても、やめないからね」
きゅうきゅうと痛む胸を抱えてそう言うと、レイがとびきり嬉しそうに笑った。
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