招かれざる客

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招かれざる客

 カツカツと靴音を鳴らしながら、ユーゴは寝静まった深夜の町を駆けた。  あと、四つ。  頭の中に描いた地図で場所を確認して、キョロキョロと辺りを見回す。そこは住宅街の端っこで、とりあえず見える範囲に人はいないし動いてる者の気配もしない。  はあはあと上がる息を抑えて、ユーゴは片膝を折った。右の手のひらを石畳に付けて必要な図形を頭の中に描く。グッと身体に力を入れると手のひらが発光して、地面に図式が刻まれていく。淡く光る円陣を目にして、ユーゴはふうと息をついた。  侵入者の確認に付いていくと言ったユーゴにレイが頼んだのは、同行ではなく別の仕事だった。  レイが言うには、この町に侵入してくる不届き者の目的はおおまかにふたつ。ひとつは金、もうひとつはレイ、だ。 『おれ、偉いし強いからね。高く売れるらしいよ』  まるで他人事みたいにそう言ってレイは笑っていたけれど、ユーゴはその言葉に青ざめた。祭司を専門に狩る魔物や人間がいるなんて話、正直、信じていなかったのだ。でも。 『前に捕まえた人に聞いたんやけど、おれを魔物に売ったら一生遊んで暮らせるくらいの報酬、貰えるんやって』  驚いて、けれど逆に、それなら何故こんな辺鄙なところにいるのか疑問に思った。位が高いならもっと安全な、例えば警備の厚い教団本部やその近く、そうでなければ警官の多い都市部とか、そういった場所に住んだ方がいいとユーゴは思うのだけれど。 『あー……。本部も悪くはないんやけどさぁ。意地悪な人が多いんよね。派閥争いとか、おれ向いとらんし。都市部だと今度は人が多すぎて信者さん守り切れんから、今くらいが丁度いいんよ』  それに。 『ただ逃げとってもなんも解決せんからね。とりあえず、仕掛けてくる人たち捕まえて、依頼者を聞き出すことにしとる。そしたらそのうち、黒幕に会えるんやない?』  要はレイ自身が囮ということだ。  危ないにも程がある。 『でね、そういう理由もあってさ、この町の人たちには迷惑かけとるなぁって思っとるんよ。だからね、侵入者はなるべく内緒で処理したくて』  睡眠不足は肌に悪いしね。なんて呑気なことを言って、けれどレイがユーゴに課した仕事は結構大変なものだった。  まずは、町の居住区の十六の地点に睡眠作用のある魔法陣を敷いて、それを繋いで結界を張る。そうすることで中の人々を眠らせるのだと言う。そしてその後は侵入者を極力、中に入れるなというのがレイからの指示だ。  いつもはレイが自分でやっている作業らしく、確かに指定されたポイントには図式を描いた跡が残っていた。ただ、それはユーゴが使うものとは少し違う図式だったし、効力も薄れてきていている。レイは使えれば補強だけでいいと言っていたけれど、いちから作り直す必要があった。  あと、三つ。  次のポイントに着いて、また同じようにユーゴは膝を折る。  幸いなことに魔法陣はごく簡単なもので、手間はかかるけど魔力の消費は極少ない。ただ、これを繋げて使うだなんてユーゴは考えたこともなかったので、レイの言う通りにしたらどんな結界ができるのか少し楽しみだった。 『おれ、偉いし強いんよ』  正直それほど信じてなかったけれど、これを毎回やっているのだとしたらレイは本当に力のある祭司なのかもしれない。  そんなことを考えながら、淡く発光し始めた図形に息をつく。不備がないことを確認して、ユーゴは次のポイントに向かって走り出した。  チラと見上げた夜空は、薄く雲がかかっていて月の明かりが弱いし気温も低い。吐き出す息の白さを思わず目で追って、ふと、ユーゴは視界の端に何か動くものが映ったのに気づいた。  この辺りは深い森が近く、民家もないような所だ。動物だろうか、と考えて、すぐさま気配が違うことに気づく。  パキッと木の枝を踏んで折るような音と同時、ガサと茂みをかき分けて進むような音もする。  ユーゴは足を止めて周囲を窺った。最後のポイントまではまだ少し距離がある。どうしようかと迷って、けれどすぐに片膝を付くとその場に新しい魔法陣を敷いた。この奥にある数軒だけは取りこぼしてしまうけれど、もう、仕方がない。  敷いた魔法陣の上にもうひとつ図形を描いてそれからそっと手を乗せる。ぐっと力を込めると、ピン! と紐をきつく張ったときのような手応えがあって、敷いてきた他の陣と全てが繋がり、目に見えない薄い膜のようなもので周囲が覆われていくのがわかった。  これで中の人々に、今から外で起こる喧騒は一切届かない。朝日が昇るまで夢の中、だ。  初めての作業がそこそこ上手くいったのに安堵して、ユーゴは立ち上がって膝に付いた土を払った。そのまま音のする森の方を凝視していると膝丈程の草が揺れ、その姿が視界に映る。 「おや。こんばんは」  声をかけてきたのは、品のいい痩せた小柄な初老の男だった。シルバーグレイの髪を後ろに撫で付け、片眼鏡をかけている。細いピンストライプの入った少し光沢のあるネイビーの三つ揃。襟元で結んだ細いタイとポケットチーフの柄がお揃いで、お洒落だ。 「レイ様でいらっしゃいますかな?」  ユーゴを検分するようにじっくり眺めながら、その初老の男が問いかけてきた。  直接レイを知らず、その身なりで、この時間にこの場所からの訪問。しかも男の後ろの茂みには、まだ数人の気配かある。と、言うことは。 「いいえ」  短くユーゴが答えると、初老の男は綺麗に手入れされた顎髭を撫で、小首を傾げた。 「では、どちらに?」 「生憎、お教えすることは出来ません。ご要件なら私が承ります」 「いえいえ。結構です。他を当たりますので」  にこやかに初老の男がそう答え、さっと手を上げた途端、パン! パン! と乾いた音を響かせて、男の後ろから銃弾が撃ち込まれた。飛んで後ろに退いたところにも、容赦なく弾丸が撃ち込まれる。それを躱して所持していた銃を構え顔を上げると、初老の男の盾になるかのように体格のいい男が数人、照準をユーゴに当てて立っていた。 「殺すな。生け捕りだ」  先ほどまでとは打って変わった低い声で初老の男は部下らしき男たちにそう命じると、くるりと踵を返した。 「ではユーゴ様。ごきげんよう。良い夜を」 「待て!!」  叫んだ途端、男たちが間合いを詰めユーゴに飛びかかってくる。引き金を引いて応戦してみたものの、数が多い。ここは遮蔽物がない。かと言って、うしろの道は民家のある方に通じているから駄目だ。  仕方なくユーゴは男たちの間を縫って森の中に逃げ込んだ。追ってきた男たちをなんとか巻き、大木の幹に背を預けて周囲の様子を窺いながら息を整える。木は伐りかけらしく、斧が刺さったままになっていた。  銃は、ほとんど使ったことがない。狙ったところに当たる気がしない。魔力を使おうかと考えて、でも、と思う。  ユーゴは他の魔物たちと違って自分の思いだけで魔力を振るうことができない。魔法陣を敷いて罠を仕掛けるか、敷いた魔法陣に集めた魔力を矢のように放って攻撃するかの二択だ。前者は前もって準備して使うようなものだし、後者は銃よりは格段に的中率が上がるけれど、人間の擬態を解かなければ使えない。  あの初老の男はユーゴの名前を呼んだ。何を何処まで知っているのだろう。怖い。もし擬態を解いてそれを見た者をひとりでも取り逃がせば大変なことになるかもしれない。それなら、身体能力だけなら、普通の人間よりはユーゴの方が何倍も優れている。相手の数は五人。時間はかかるけれど、どうにかならない人数ではない。  あの初老の男の姿はもう近くにない。たぶん、きっと、レイのところに向かってる。早く、急いでレイを助けに行かなきゃいけない。のに。 「ああっ! もう!!」  ユーゴは銃を懐にしまうと、大木から斧を引き抜いた。それを持って木を登り、上から周囲を見渡す。男たちは必死にユーゴの姿を探しているようだった。太い枝を選んで移動し、その中のひとりに照準を定める。  正直、人間を傷付けるのは抵抗がある。たくさんの人の命を糧にしてきたユーゴが、それを言うのもおかしな話だけれど。  命を奪うなら、苦痛は少なく。ずっとそう思って、そうしてきた。だけど、今は。 「ごめんなさい」  呟くようにそう言って、枝から飛び降りる。振り上げた斧が弱い月明りを反射して、鈍く光っていた。
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