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願い続けていた光景
「――カ。オルカ、起きろ! どうした、具合が悪いのか?」
乱暴な口調の割に優しい手つきで肩のあたりを揺すられ、オルカはゆっくりと目を覚ました。
オルカの側に立つのは、日焼けした褐色の肌に短い赤髪、金色に光る瞳という目立つ容姿をした背の高い青年だ。
いつもは快活な人物でよく笑っている印象しかなかったのに、今は心配そうな表情をしてオルカを覗き込んでいる。
「タス兄さん? ……本物?」
「本物もクソもあるかよ。おい、本当に具合悪いんじゃないか? 熱はないみたいだが」
すっかりと朝陽が差し込んで明るくなった部屋の中、ぼんやりとオルカが口を開くと兄が眉根を寄せるのが分かった。
「兄さん、生きている? あ、死んだのは僕だったんだっけ」
「なんだよ、怖い夢でも見たのか? 母さんたちがいつも早起きのオルカが起きてこないって心配しているんだ。調子よくないんだったら何か食べられそうなもの、運んでくるぞ?」
オルカは急いで首を左右に振り、すぐに着替えてダイニングに行くからと兄に告げる。
「慌てなくても良いからな、ねぼすけ」
そう言って、兄は金色の瞳を優しく和ませて笑いながら、オルカの髪をかき回していった。
「本当に、僕は過去に戻れた……? それとも、これも夢?」
『夢ではないぞ。我の素晴らしい力のお蔭である!』
オルカのつぶやきに、すぐシュニーが答えてきた。
そういえばシュニーの姿が見えないなとキョロキョロ部屋の中を見回すと、『我はここだぞ!』とベッドの方から声が聞こえてくる。
「えっ、シュニー様? さらに可愛らしくなってしまって……」
ちょこんと座りこんでいるのは、白い虎模様の子猫だ。
しかし、シュニーもここに存在しているということは、これは夢ではなく、自分にとっての現実なのだと信じても良いのではないだろうか。
(最後に、もう一度だけ信じたい……)
子供の頃よく着ていたお気に入りの服に袖を通すと、オルカは意を決して自室を出た。
もちろん、シュニーも一緒だ。
服には大きめなポケットがついているので、子猫姿のシュニーならすっぽりと入る。
(ああ、すごくすごく懐かしい……本当に……)
毎朝、家を満たしていた美味しそうな食事の匂い。
小走りになって階段を駆けおりていく。
思い切りよく目の前にあるダイニングへの扉を開くと、家族全員驚いた顔でオルカを見てきた。
ワンテンポ遅れて「おはよう、朝から元気いっぱいだな」と父親が笑った。父と兄は顔の造りがそっくりで、兄が年齢を重ねればこうなるのだろうと容易に想像できるくらいだ。
「オルカ、おはよう。今朝はめずらしくお寝坊さんね。ほらほら、スープが冷めてしまいますよ」
母がおっとりと笑い、席に着くようオルカに話しかけてくる。
遠い異国の血が入っているという母は白い肌をしていて、年齢よりもずっと若々しい顔立ちをしている。血のつながりがなくても、愛情深く育ててくれた優しい若葉色の眼差しをまっすぐ見返すと泣きそうになり、オルカは笑ってごまかしながら視線を下へと落とした。
(みんな、いる……生きている)
オルカの目の前に、確かに存在している。
ずっと戻りたいと願い続けていた光景に、自分は本当に帰ってきたのだ。
また泣きかけたのを必死に堪えていると、兄がオルカの手を引っ張って椅子に座らせてくれた。
それから「こいつ、悪い夢を見ちゃったらしいよ」と両親に説明してくれて、父たちはようやく納得したような顔になった。
賑やかな食事があっという間に進んだところで「そういえば」と父が話題を変えた。
「噂だが、『神獣の守護者』様がここ――シャイデ領から選ばれたらしいなあ」
「あー。それ、さっき市場でも聞いてきた。領主のシャイデ侯爵様んところは一人娘のフローラ様だけだから、我がシャイデから聖女が現れた! ってみーんなバカ騒ぎしてら」
呆れたように肩を竦めた兄は「しかも」と話を続ける。
「何考えてんだか知らねえが、その聖女サマの従者を俺たち庶民からもわざわざ募るらしい。資格はフローラ様と同じ十五歳で、領内の子供ってことだけだってさ。手を挙げるだけでお土産に金貨がもらえるって、お祭りになっている」
そう。
死に戻る前のオルカも、その話を聞いて喜び勇み、手を挙げた一人だった。お土産にもらえるという金貨一枚を手に入れることができれば、両親や兄たちの好きなものを買って渡せるのだと浅はかな子供だったオルカは考えたのだ。
(それが、僕を大事にしてくれた家族みんなにさようならも言えず、罪人として追放されてしまう未来に繋がってしまった……と、思う)
どうしてオルカのような何の取り柄もない庶民があの時選ばれたのかは、今でも分からない。
あの時のオルカはただただ、選ばれた自分は幸運なのだと思っていただけなのだから。
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