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過去との違い
既にほぼ食べ終えていた兄が絶対に会うと言い張るので、中に入るのを固辞して外で待つ青年のところまで一緒に戻った。青年の周囲にはたくさんの女性たちが少し距離を置いて群れている。
あたりはもう暗くなり始めていたが、ちょっとした広場の中心に聳え立つ大木に背を預け、街灯に仄かに照らされている姿は一枚の絵みたいで、控えめに言っても目立っている。
「なあ、オルカ。兄ちゃん、あのご尊顔をどっかでお見かけしたことがある気がするな~」
「そうなの? 僕は初めてお会いした方だよ。シュニーの飼い主さんみたいなんだけど」
今生のオルカは、ノルヴィウスの顔をまだ知らない。
その設定を忠実に守りながら、一番無難だろうと思いついた説明をしてみる。飼い主、と口にしたところで、オルカのポケットの中でシュニーが怒る気配がしたが、優しく上から撫でるとすぐに大人しくなった。
「ま、まあ……一介の薬売りであるうちの弟を、王太子殿下が王都から魔法の力でシュパパッと飛んできて助けてくれるとか……その上、護衛とか何もなしなんて、ありえないもんなっ! なんにしても、そっくりだよなあ。王太子殿下影武者コンテストなんて開いたら、あの人がダントツ優勝すると思うぞ」
近づきがたい雰囲気のせいか、誰も青年に声をかける様子はない。その孤高な姿は、王宮の中で遠くから見かけていた、オルカが知るノルヴィウスと同じだった。
オルカも混乱しているが、恩人を待たせ続けるわけにはいかない。「お待たせしました」と声をかけると、途端に青年の表情が緩んだ気がして、オルカは驚いた。
そんなオルカの前に立った兄が、青年に向かって一礼する。
「事情が事情のため、こちらからお声がけする無礼をお許しください。弟を助けてくださり、ありがとうございました。私はこの者の兄の、タス・ハイルと申します。早速で申し訳ありませんが、もう少し落ち着けるところに参りませんか」
「私に対して、礼も過剰な扱いも不要だ。場所を移すことには賛同する」
タスは、オルカが見てきた中で一番丁寧な態度で青年に接した。それからフードのついている外套で顔を隠した方が良いとアドバイスされて、青年は素直に従っている。
タスが自分たちの使っている宿屋へと先導し始めると、自然な動作で青年はオルカの隣に並んだ。
「――痛むところはないか?」
「はい、おかげ様でかすり傷くらいで済みました! あとは塗り薬でもつけておけば大丈夫です」
話しかけられて、オルカは大丈夫だと笑顔を返した。寒さ対策に厚めの服を着ているし、酷い目に遭う前に彼があの場を制圧してくれたので、傷という傷はほとんどない。
隣を歩く青年は、眩しそうに一瞬、目を細めた。
「オルカたちは薬売りをしているのか? 薬草が鞄にたくさん詰まっていた」
「僕はまだ勉強中です。エーレンに来たのも、勉強になるだろうからって兄が連れて来てくれました。普段は王都からはずっと遠くの、辺境を中心に国内のあちこちを巡っています」
「――そうか。だから……探しても見つけられなかったのか」
ポツリと青年が返してきた言葉の意味を考えて、オルカは全身から血の気が引く思いをした。もしかして、もしかしなくとも、彼はずっとシュニーを探していたのではないだろうか。
(どうしよう……長生きしたかったけれど、ここで終わりになるかもしれない)
そうヒヤヒヤとしているオルカに青年が次にかけてきた言葉は「寒くはないか?」だった。
「え?」
「顔色が良くない気がする。先ほど、兄君から借りた外套はオルカが使った方が良いのでは」
「大丈夫ですよ。僕、寒さには強いんです! それにこの外套、裏地にクシュクシュの毛を使っているんです。真冬でもあたたかくて気持ちいいですよ」
心配だと言わんばかりに眉根を寄せた青年に、オルカは慌てて外套の前を開いて見せた。クシュクシュは羊の一種で、寒さに強い上に上質な毛を刈ることができるので特に北部に住む者たちには重宝されている。寒い地域に行くこともあるだろうと、母が奮発してクシュクシュの毛を使った外套をオルカに作ってくれたのだ。
タスが愛用している外套は薄手なので、同じ感じかと青年に心配をかけてしまったのかもしれない。
「もう寒くないのなら、いい」
そう返してきた青年の声が、記憶にあるものよりもずっと優しく、穏やかに聞こえた気がして。やはり、隣を歩く青年は王太子のそっくりさんなのだろうかとオルカが悩み始めたところで彼らは宿屋へと到着した。
「しまった、途中でなんか食べ物買ってくればよかった! すみません、ほんの少しだけ、弟と待っててもらっていいですか? こいつ、そういえば夕飯まだだったんだ。近くに買いに行ってきますんで、ちょっとお待ちを」
「タス兄さん⁈」
オルカたちが寝泊まりしているのは、庶民向けの中では一番良い宿なのだが、食堂がない。部屋に入って落ち着く間もなく兄はオルカの夕飯を買いに出て行ってしまい、オルカは青年と二人、残されてしまった。
「騒がしい兄で申し訳ありません。言葉遣いとかも失礼でしたよね」
「そんなことはない。オルカのことを大事にしてくれているのだな」
まただ。
青年が、オルカに穏やかな眼差しを向けてくる。
気恥ずかしくなり「ええと、はい」と答えつつ青年を長椅子に腰かけるよう勧めると、青年はオルカも一緒に座るよう返してきた。躊躇したもののシュニーのことを考えて、オルカは意を決して青年と同じ長椅子に腰かけた。
「まだ名乗っていなかったな。私はノルヴィウス・ヴァルター・イルペリアだ。そこにいる、騒がしい獣が随分迷惑をかけてしまい申し訳なかった。後日、改めて王宮より正式に礼をさせていただきたい」
「王太子殿下っ、数々の非礼をお許しください」
もしかして、別人なのでは――そんな淡い期待は、あっさりと打ち砕かれた。
『なんでオルカが謝っているんだ⁉ ノルっ、オルカをまたイジメたのか⁈』
勢いよくポケットから飛び出したふわふわで小さなシュニーが、オルカとノルヴィウスの間に空いている一人分のスペースに降り立ち、全力で毛を逆立てる。シュニーが何度も『ノル』と口にしていたのは、思い違いではなくノルヴィウスのことだったのだと、今さらながらオルカは気づいた。
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