メジャーデビューの崩壊1

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メジャーデビューの崩壊1

 視界の端で忙しなく点滅するスマートフォンの画面。  着信だろうか。目線を少し逸らし、手首の内側につけた時計を確認する。集合時刻まであと五分。やはり、そうに違いない。どうせ優あたりがひとつふたつ理由をつけて、遅刻をするとでもいうのだろう。  この時期ですらマイペースを崩そうとしないLobeliaの面々に、不安がないと言ったら嘘になる。  Lobeliaはちょうどひと月後、フォーユーレコードからメジャーデビューすることがきまっている俺たちのバンドだ。今はデビューシングルも録り終え、パッケージ待ちの状態。だから、メンバーが安心しきってしまう気持ちもわからなくはない。だが、今気持ちを緩めては意味がない。  熱意を共有できないもどかしさに、俺は下唇を噛む。点滅をつづける画面を睨みつけ、そのままスマートフォンを確認することもせず、ピックを握り直した。  いつも金欠だった俺が、高いステンレス弦を好んで使う理由は、いつくかある。よく謳われている『錆びにくさ』なんてものは、俺にとってはどうでもいいことで、あのステンレス特有の硬い金属音こそ、挑戦的なLobeliaの楽曲にはまると、そう感じていたからだ。  それに、ピック弾きとスラップのスイッチを繰り返す俺の演奏スタイルに置いて、ステンレスの立ち上がりの速さは、武器のひとつだった。  だから俺は財布と指に負担をかけ、難易度の高い弦を選ぶ。なぜなら音楽なんてものは、自己表現や経験の切り売りだけで上手くいくような生ぬるいものではない。動員数が増えるほど、上へ行けば行くほど、刺すか刺されるかの戦争なのだ。  だから強い武器と、頑丈な装備は必要になる。ステンレス弦は俺にとって、そのうちのひとつだった。  今まで、そんなつもりでいた。  体の芯を揺らす重低音にあわせ、肩まで伸びた髪を精一杯振り乱す。首筋をつたう生ぬるい汗がリズムにあわせ飛び散り、床の木目に染み込んでゆく。   ちょっとは板についてきただろうか。  物心ついてから、音ばかりを追ってきたつもりだ。しかし、今飛び込もうとしているのは、それだけでは足りない世界。  観客動員数百の極小ライブハウスすらうめることができないLobeliaを見つけだし、世に出る道を与えてくれた白田さんが、まず初めに僕たちに放った言葉が脳裏を過ぎった。 「今磨くものは腕でも音でもない。自分を商品として、より個性的で魅力的にうつす技術だ。お前らはこのままでは、絶対に売れない。俺がかわりに売ってやるから、言う通りに磨け」  白田さんは、多くのカリスマアーティストを発掘し世に送り出してきた、名のある音楽事務所の実力者だ。その手腕は業界でも有名で、アーティスト個々に合った売り出し方を適切に判断できるその能力から、影では『売りの天才』と呼ばれているらしい。  俺は、己の腕に対して少なくない自信をもっている。それは決して驕りではない。  子供の頃歌で勝負していた俺がベーシストに転向したのは、他のプレイヤーに比べれは遅い方だった。だが、その分、音楽に必要な基礎知識や聴く力、それに、効率のいい努力の仕方というものを知っていた。そんな俺にとって、自らの音を誤らず聴くことは容易い。そして、それは当然仲間の技術についても言えることだった。  客観的に見ても、ドラマーの山下優にツービートを刻ませれば、その正確さで右に出るものはいないだろうし、ギターボーカルを担当する佐崎怜良は、知識や技術という点ではほんの少し劣るが、頭が痛くなるようなハイトーンを出す感覚派だ。おまけに怜良には響介や優に対して意見することはなく、与えられたことは完璧に熟す従順さがある。メンバーは最高なのだ。  だが、バンドは売れなかった。それだけ安定したメンバーをあつめても、動員数には繋がらなかった。Lobeliaには、華がないからだ。白田さんは一瞬にしてその欠点を見抜いていたのだ。  スタジオの壁一面を覆う鏡は、汗塗れで汚いミュージシャンの姿を確かにうつしている。そいつはちゃんと、ミュージシャンの姿をしていた。他人の目から見ても、はたしてそう見えるだろうか。その面においては疎すぎる自分が憎い。どうしても自信をもつことができないのだ。  子供の頃やっていた声楽の世界では、技術が全てだった。出来る人間ははじめから飛び抜けており、できない人間は置いていかれるだけ。そういう奴らは一生スポットライトをあびることなんてない。シビアだがわかりやすい世界だった。  この業界もそれだけ単純なら、どれだけよかっただろう。  否、もっとも声楽だって、大人になれば技術だけでは済まないときく。やはり音楽の世界は、例外なく、人を惹き付ける何かが必要なのだ。  ギラギラしたステンレス弦の音にディストーションをかけ、音を更に尖らせる。激しいチョッパーで和音をつくり、リズムを司りながら派手さを演出した。 「こいつでなら、いくらでも目立てるのにな……」  今まで、なんでこんなやつらがと思うような腕のバンドに追い抜かされて続けてきた。その度に、めちゃくちゃに暴れてやりたくなるような嫉妬と、人間であることすら捨ててしまいたくなるような絶望に襲われ、乗り越えることもできぬまま、背負い、引きずり、それでも進んできた。自分の方が腕があるのにと、この世は理不尽だと、そう思っていたからだ。  ところがそれも、白田さんと出会った今なら理解することができる。あいつらは絶対的に、特別な何かをを持っていた。恵まれた容姿。人を惹きつけるパフォーマンス。人並み外れた度胸や、『神』を演じる力。全部、Lobeliaにはないものだった。技術だけで拾い上げられたLobeliaは、ラッキーだ。だから、白田さんが俺たちにきつい物言いをするのは、仕方がないことだろう。 『持たない』Lobeliaは、本来表舞台に出てくるようなバンドではない。それを引き上げ、沢山の人間の労力と金を使い、メジャーデビューさせようというのだ。コケれば当然、全てが白田さんの責任となる。厳しくなって当然だ。そして、今応えられなければ間違いなくLobeliaに未来はない。  今しか磨ける時間はないというのに……。 「髪型……かえようかな。今どき長髪なんて目立ちもしないし。派手な色に染めて、モヒカンにするのはどうだろう。そうだ、明日白田さんにきいてみよう」  理解できないなら、できる人に縋るしかない。自分を商品にしてくれる『売り方の天才』に。プライドなんて、今更どこにもない。俺は、怜良のためにも売れなければならないのだから。  ちかちかと点滅をつづけるスマートフォンを確認することもせず、汗で濡れたピックを拭うことすらもせず、響介はただひたすらに、愛用のEagle Bassを掻き鳴らした。憧れて憧れてやっと買った、B.C.Richの年代物。俺は初めて、自分を魅せる方法を模索するためだけに、Eagle bassと向き合っていた。 「響介君……なんで電話でないんだよ」  スタジオ予約時間から三十分が過ぎた頃、重い防音用ドアを開けた優は、まるでせめるような口調でそう言った。  のびた袖で額の汗を拭い、優を睨みつける。白田さんの言葉をきき、俺のこの姿をみても、優は何も感じないのだろうか。 「集合時間すぎてるからにきまってんだろ」  苛立ちを隠すことが出来ず、乱暴にそうこたえた。しかし意外なことに、乱暴さなら優も負けていない。 「そんなことしてる場合じゃないんだよ!」  ギロリと俺を睨み返す優の目は、何故か今にも零れ落ちそうな涙を溜め込んでおり、俺は狼狽した。 「そんなこと……ってお前、今俺たちがどんな時期なのかわかってんだろ? 優も怜良も時間にルーズすぎる。プロになるなら、もっと……」 「その怜良が、捕まったんだ」 「……え?」  煌々と照らす蛍光灯の灯りが、彫りの深い優の顔に濃い影をおとす。いつものひょうひょうとした態度とはあきらかにちがう。決してふざけてなどいない、毒々しい眼差しだった。 「……大麻所持だって。さっき白田さんから連絡があったんだ。昨日の夜捕まったらしい。その件で忙しいから、響介さんには僕から伝えるようにって……」 「そ、そんな馬鹿な……」  絶対にありえない。何故怜良が、何故こんな時期に。
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