いつもの一日

1/1
前へ
/13ページ
次へ

いつもの一日

 いつもと変わらない一日だった。  ひとり暮らしのアパート。朝目覚めたら怜良がそこにいた。 「なんだ、もう起きたの」  そう言って満足そうに怜良は微笑んでいた。その手にはいつも通り、家で作ってきたであろう野菜のスープを抱えていた。  怜良が飲むものではない。俺が健康を損なわないためにと、何度断っても断っても毎日用意してくる俺の朝めしだ。 「デビューしたらどうしようかな。ほら、こうやって響介のとこに通っててスキャンダルになったら困るじゃない?」 「だから、無理にこんなことしなくていいって。怜良だってそろそろ俺なんかに構うのはやめて、恋でもしなよ。昔のことならもうとっくに……」  俺はそう言いかけて、口を閉じた。  今はLobeliaにとって大切な時期だ。精神状態が最も技術にあらわれやすいボーカリストに、ストレスを与えるわけにはいかない。 「何度もいうけど、これは私の問題。響介が嫌だって言っても、私は響介のためになんでもする。響介がスターになるまではね!」  悪戯に八重歯を見せると、怜良はいそいそとキッチンへ向かった。  俺だって気づいている。俺を支え押し上げることが、怜良の治療になっていることを。今俺が拒否すれば、怜良はまともでいられなくなってしまうことを。つまり、俺たちが一人ずつ別々の道を歩むには、Lobeliaの成功が必要だということを。  普通じゃない。彼氏でもない男の家に毎朝押しかけ、甲斐甲斐しく世話を焼くなんて。  勿論何から何まで手を出してくるのだから、昔は俺も反発した。だけど、俺自身怜良に借りがあったし、何より怜良は俺のことを支配しようとしているわけではなかった。  怜良は俺を、音楽だけに専念させようとしているのだ。  だからプライベートに首を突っ込んだりしないし、俺がどこで何をしていても邪魔はしなかった。  逆に音楽をサボっても、それはそれと一言も文句を言わなかった。言葉通り怜良は、俺の音楽活動のサポートをしたいだけなのだ。 「じゃあ、もう少しの間は気にしなくていいんじゃないかな。ほら、俺たちまだスターじゃないし」  俺に朝ごはんをたべさせ簡単な家事をすると、怜良はいつも通り先に家を出ていった。  行先は同じだから一緒にいけばいいものを、スタジオの前にあれこれ買い出しをしたり、バンドのことで事務的な連絡をしたり、ボイストレーニングに通ったり、怜良は怜良で色々忙しいらしい。  否、怜良のことだから、予定を詰め込んでいるほうがきっと安心していられるのだろう。その『予定』がない時は、マッサージやら美術館やら映画やら、何がなんでも詰め込んで遅れてくるあたりに、彼女の闇が垣間見える。    問題はその後、だ。俺の家から出た後、怜良は何をしていただろう。  昨日も俺は早めにスタジオに着いて、前日三人であわせたMebiusの動画をみた。  MebiusとはLobeliaのデビューシングルだ。結成当時から演奏しつづけている思い入れのある曲で、レコーディングはとっくに済んでいる。  演奏を客観的に見て、俺はつくづく思った。怜良には歌があり、ギターソロがある。逆に、優はドラムという都合上パフォーマンスの幅が限られている。だから自分はその隙間を埋めなければならない。どう埋めるべきか。  白田さんに突きつけられた課題と、Mebiusを演る俺たちを比べながら、頭を整理していた。  集合時間から十分が過ぎ、優が到着した。  背には優の拘るTAMAのスネアと、自分の一部だと豪語するフットペダルを担ぎ、手にはチャイナシンバルとスティックをぶらさげている。楽器柄しかたないことだが、非常にうごきづらそうだ。  その上優が歩く度、華奢な体に山ほどつけたごついアクセサリーたちが豪快にぶつかりあい、ジャラジャラと音をたてた。 「なになに、僕にもみせてよ!」  そう言って優は遅刻したことなんて悪びれもせず、俺の隣を陣取った。  俺もそれをうけいれ、一緒にもう一度はじめから動画をみると、各々のパフォーマンスについて、ああでもないこうでもないと議論しあった。  そうしているうちに息を切らせた怜良がやっと到着し、やはり遅刻を詫びることなく、大声をだす。 「あっ! 優、もしかして響介に口出ししてる? だめだよ。音楽は響介にまかせるって約束でしょ!」 「なにいってんだよ。パフォーマンスだよ、パフォーマンス。俺だって響介の音楽は信頼してる。自分のパートさえ自由にやらせてくれりゃ、口出しなんかしないさ」 「またそんなこといって、ドラムを目立たせようと企んでたんでしょ!」  いつも通り、半分プロレスだ。これが、俺たちが手探りでみつけたコミュニケーションのとりかたなのかも知れない。もっとも怜良はこういう話になると、残りのもう半分は本気である。 「なにいってんだよ。三人でLobeliaなんだから、優の意見も怜良の意見も対等だ。作曲だってやりたいやつがいれば分担するさ」  怜良は優と反対側を陣取り、当たり前のようにたった今終わったばかりの動画を再生させた。  俺と優は、それぞれ二回目、三回目のMebiusに、無言のままつきあった。  そしてそのまま前日の反省点を頭にいれ、真面目にMebiusと向き合い、スタジオを終えた。  変な様子はなかったはずだ。  途中でいれた休憩の時も、勝手に飲み物を買いに出た俺を必死で怜良は追ってきて、「飲み物は用意してきてるから」と、相変わらずマネージャーみたいなことを言った。  だから、自動販売機の前で既に炭酸水を飲み始めていた俺をみて、怜良は膨れながら阿呆みたいに高い声をだして、わざとらしくがっかりしてみせた。  俺はすっかり慣れてしまっていたが、ちょうど背後を通りかかった女性が、何事かと、焦った顔でこちらをふりかえり俺はハッとした。やはり怜良の声は、相当目立つらしい。  そのまま怜良は、俺に、日課であるトレーニングの予定を確認し、優の毛羽立ったスティックに文句を言い、女のくせに男である俺の帰り道をやたらと心配しながら、慌ただしく帰っていった。  そうだ。大麻をやるような暇はなかった。そもそもそんなものを吸っていたら、いつも通りの怜良では居られないはずだ。  つまり、案ずることはなにもない。怜良は白だ。  そもそも、こんなにも一緒にいるというのに、どうやって大麻に出会えるというのだ。普通に生きていたら、その機会さえないだろう。悪い場所へ出入りしている暇もないし、そういう付き合いもない。  ところが、俺は同時に考えていた。  業界はクスリやら大麻やらが、満盈(まんえい)しているとよく耳にすることを。  バンドについての事務作業や会議、事務所やレコード会社とのやりとりは、全て怜良が代表でやっていた。俺たちに何か伏せることがあったとするなら、それは簡単だった筈だ。  俺の知らないところで、バンドを売る為に怜良が何かしていた可能性は、なかっただろうか。 『何か』がどんなものなのか、それは想像がつかない。けれど、俺が怜良の全てを知っていると、そう言い切るには不十分は気がした。  動員数百のライブハウスすら埋めることのできないLobeliaに、実力だけで声がかかるなんてことが、本当にあるのだろうか。  そもそも、昨日俺の家を先に出た怜良が何をしていたか、俺は知らない。昨日スタジオの後、予定を詰め込んでないと居られない怜良が、どこへ向かったのか、俺は知らない。  考えてみれば、それは昨日にはじまったことではなかった。怜良は俺の行動を全て把握しているが、俺は何も、知らなかった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加