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メジャーデビューの崩壊2
言葉を詰まらせる俺をみて、優は表情を緩め、柔らかいため息をついた。
「なんだ。その様子じゃ、やっぱり幼なじみっていっても、何も知らなかったみたいだね」
「どういう意味だ?」
「知っていて黙ってたわけじゃなさそうだ……ってこと」
「あ、当たり前だろ! 知ってたら、どんな手を使ってでもやめさせる。怜良は俺の幼なじみだぞ!」
なるほど。黙認していたとふんで、とりあえず怒りをぶつけにきたというわけか。否、理不尽とわかっていても、誰かを責めないと保てない程、混乱しているのかもしれない。
咄嗟に応戦してしまったが、優の気持ちは理解できた。
俺と怜良の絆は深く、だが、複雑で歪な仲だった。
男女仲では決してないが、特に怜良の俺に対する依存、執着のしかたは、他者から見れば異常にうつるだろう。
スリーピースのバンドで、そんな二人に口を出すこともなく、だからといって線をひくこともなく、絶妙な距離感で見守り続けてきたのが、この優という男なのだ。
ドラムという楽器柄だろうか。その安定した存在なくして今のLobeliaは築けなかった。
それなのにこの事態だ。優からみれば、怜良と俺は同じくらい憎くうつるだろう。
きっと優にとっては、俺が知っていたかどうかなんて問題じゃない。俺に、「お前らの事に口は出さないでやったのに、何故ちゃんとみていなかったんだ」と、そう言いたいのだ。
「響介君。今まで静観してきたけど、怜良のアレは異常だ。わかってるんだろ?」
「それはそうだけど……それとこれとは全然関係ないっていうか……」
「あるさ。恩返しかなんだかしらないけど、自分のためだけに生きてる他人がいたとしたら、僕はそいつを拒絶する。だってそんなの、異常だろ? 普通じゃないんだ。犯罪くらいするさ。大麻くらい平気でやるさ」
「なにいってんだよ。そんなの結果論だろ?」
「本当にそう? 僕はそうは思わないよ。響介君が一度でいいから怜良を病院につれていってれば、こんなことにはならなかったかもしれない。響介君は怜良と、まともに向き合ったことがなかったんだろう」
「で、でも、怜良が俺に執着してなきゃLobeliaはなかった。優とも出会ってないし、当然優がフォーユーレコードと契約することもなかったじゃないか」
「そ、そんなこと……」
優には酷だが、事実だ。
怜良は、俺のためにLobeliaをつくった。俺のために歌を学び、他の可能性を捨て、俺を有名にするためだけに生きている。
怜良にとっては、優も、怜良自身すらも、ただの駒でしかない。Lobeliaは、怜良の異常さが吉と転んだ結果なのだ。
ドラムスティックをあんなにも自在に操るとは思えないほど細い指で、優は長い前髪を掻き分ける。その憂いに満ちた表情はどこか怯えているようにもみえて、俺はいたたまれない気持ちになった。
優は俺よりも五つ歳上で、楽器の歴も長い。
互いにあまり私生活の話はしないが、いつだったか、一度だけ「僕はメジャーデビュー寸前で全てパーになったことがあるんだ」と、零したことがあった。
何があったのか。その先をきいたことも、きこうと思ったこともない。
だが、普段はお調子者と言える優が、あんなに悲しそうな……否、悲しいだけではなく、闇に包まれるような黒い笑顔をみせた瞬間は、あの時だけだった。
今目の前に立っている男の顔は、あの時の、あの顔をしていた。
優だって、ここまで来た人間なのだ。何も背負っていないわけがない。俺も、怜良だってそうだ。背負ったものも含めて、きっと今は、誰かを責めていないと冷静でいられないのだろう。
「おい、優。まだわからないぞ」
「……なにが?」
「まだ幸いにもデビュー前だ。白田さんに、優だけでもなんとかならないかきいてみるよ」
「どういう意味だよ」
「怜良はボーカル。バンドの顔だ。俺達はまだ売れてもいないから、ボーカルチェンジなんてありえない。Lobeliaはおわりだ。だけど、優ほど叩けるドラマーはそういない。白田さんならわかってくれるはずだ」
「なんだよそれ。立場だって技術だって、響介君と同じだろ? なんでそんな言い方するんだよ。まるで、自分も終わりみたいに……」
俺は優のその言葉に、ゆっくりと頷いてみせた。
「怜良と俺は運命共同体だ。怜良の音楽人生がおわったなら、俺の人生もおわりだ。だけど優まで道連れになることはない」
優は震える唇を開きかけ、何も言わず目線を泳がせている。何か言葉を選んでいるのだろうか。それとも呆れているのだろうか。俺にはそれがわからなかった。わかる程冷静になれなかった。冷静なふりをするので、精一杯だった。
「悪いけど、僕ちょっと出るわ。今日のスタジオは勘弁して。また、連絡いれるから……」
俺の言葉に応えることもなく、優はそのままスタジオを後にした。目線は合わないままだった。
細い肩にかけられたメッセンジャーバッグが、優の小さな背中を、すっかり隠していた。
優の放った言葉を、頭の中で何度も反芻させる。
俺と怜良とは、小学校からの同級生。幼なじみだ。
そこに恋愛感情はないが、恋愛なんかよりもっとずっと深い部分で繋がっている仲間だった。何でも理解し合っている、仲間だったのだ。
それなのに、本当に俺は、何も気づいて居なかったのだろうか?
勿論気づいていなかったに決まっている。現に今、自分が一番驚き、ショックをうけているじゃないか。
自問自答を繰り返す。
そういえば、以前にも増して怜良は俺の世話をやきたがってはいなかったか?
怜良の依存体質は昔からだった。今にはじまったことではない。
なんでも先回りして、Lobeliaのことに専念できるようにと、俺の身支度までやってのけた。
ところが怜良は、自分がプロになりたかったわけでもLobeliaの成功を願ったわけでもない。あくまで俺個人に掴ませようとしていただけだった。いつだって、ただそれだけだった。
怜良の異常は、怜良の正常だった。気づけるようなヒントは、絶対になかった。俺に落ち度はなかったのだ。
だけど、俺の成功をそこまで願った怜良が、今、バンドの不利益になるようなことをするだろうか?
「畜生……そんなの、わかってる。わかってるだろ……」
俺はそう考えていないが、怜良は俺に借りがあると思いこんている。怜良が昔心を病んでいた時期に、寄り添い励ましたことがあったからだ。
怜良はその恩を返そうと、ずっとずっと必死になって、俺の背を推し続けてきたのだ。
勿論、頼んだわけではない。しかし俺はそれを受け入れ、いつしか二人でいることが当たり前になってしまっていた。
きっと苦痛だったのだ。怜良は。
救われたと怜良は言うが、つまり俺には、彼女の心の闇を共有した過去がある。もしかしたらずっと、俺が隣にいることで抉られ続けているものがあったのかもしれない。
怜良は、俺のためなら自分の人生は要らないと、いつもそう言った。だけど一緒に夢を追いながら怜良自身も楽しんで、少なからず野望を抱いていると、俺は信じていた。
だが、きっとそうじゃなかった。責任感で自分を押し殺し、苦痛に堪えていたのだ。
「怜良が大麻なんかに手をだしたのは、俺のせいだ」
メジャーデビューという人生最大の光をひと月後控え、俺の心はゆっくりと沈んでいった。
優から着信があった。恩人の白田さんから「明日事務所にこい」とLINEがはいっていた。自慢のEagle Bassのネックが歪んでみえた。音が、わからなかった。
自分が沈んでゆく。まるで、ベースという楽器を手に取ったあの時のように、深く、沈んでゆく。
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