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4 市場へ行ってみよう
転入の手続きは、問題なく終わった。
私の前の職場である軍は、いろいろとつらいことの多い職場だったけど、それでも公的機関だけあって退職時の書類はちゃんとしてるし信用もあるから、市政庁の職員さんのチェックもスムーズだった。
こういうときはやっぱり、組織の力の大きさを感じる。そして、そこから一人飛び出した自分の力の小ささと心細さも。
隊のみんなは今日も訓練に精を出してるんだろうな、なんて元同僚たちの顔が浮かんだりもするけど、もう後戻りはできない。
一度除隊した以上、軍にはもう戻ることはできない。懐かしんでも仕方ない。
魔女フィリマは、前進あるのみです。
「終わった終わった。さあ、ねこくん、次は市場だ」
「やったー、たのしみー!」
ちょっとセンチになった私の気持ちなんてまるで知らずに、両肩の上でとりとねこが騒いでいる。
やっぱりこのけものたちには、袖の中で大人しくしてるなんてできなかった。さっさと出てきて肩まで這いあがって、好き勝手している。
今日はローブを着てきて正解だった。
普通の服装だったら、動くぬいぐるみを肩に乗っけた女なんてたちまち奇異の目で見られていただろうけど、魔法使いの代名詞であるこのローブをまとっていれば、大抵の奇妙さは大目に見てもらえる。
ありがとうございます、先輩変人魔法使いの皆さま。あなた達のたくさんのやらかしのおかげで、私程度のおかしさは世間から許されています。
魔法使いは変わり者だという世間の共通認識を作ってくれた先人たちに感謝しながら、私は街の中心の広場にやってきた。
おー、賑やか。
毎日開かれる常市ではなく、今日は五日に一度の大市だ。
それだけに、軒を連ねる露店の数は多かった。
久しぶりに、こんなにたくさんの人を見た気がする。ここ数日は、ずっと家にこもりっきりだったから。
なんて思ってると、すぐに人にぶつかりそうになってつんのめった。
「うおー、あぶない」
「わー、おちるぅ」
肩の上がうるさい。
あれ、変だぞ。うまく人ごみを歩けなくなってる。トウェンティブラッドに住んでた頃は、もっとたくさんの人の中だってすいすい歩けていたのに。
嘘でしょ。三日外に出なかっただけで、人はこんなに社会に適応できなくなるんですか。
何度もぶつかりそうになりながら、私は市場を歩く。
スレンダーポットは小さな田舎町だけあって、私以外にローブ姿の人は見かけなかった。
すれ違う人たちがちらちらと私を振り返るけど、それはローブ姿のせいなのか、それとも肩の上で勝手に騒いでるぬいぐるみたちのせいなのかは分からない。……多分、後者だろう。
「ひゃー。人がいっぱいだね、とりさん」
「うむ。何もない田舎町だと思っていたが、どうしてどうして、なかなか賑やかじゃないか、スレンダーポット」
ねこととりは好き勝手なことを話している。
どうでもいいけど、ここに住んでる人たちの前で大きな声で「何もない田舎町」とか言うのはやめてほしい。
私が今それを止めるとかえって変な感じになるから、言わないけど。
いろいろな品物の値段を見て、この街の大体の相場を確認する。
トウェンティブラッドよりも、野菜全般が安い。
魚はすごく安い。さすが海沿いの街。
パンはちょっと高いかな。
雑貨は種類が少ないけど、安いものは安い。でも高いものはすごく高い。
嗜好品はやっぱり都会よりもずっと高いな。
そして私の一番のお目当ての洗濯石は、と。
おー。高い。あんまり供給がないのかな。隅っこにちょっとだけ置いてある。
ふむふむ。
これは参考になる。
「あーっ、とりさん見て! あそこ!」
私の肩の上で、ねこが騒いだ。
「ぬいぐるみのお店!」
「おお、お仲間がたくさんいるじゃないか」
そう言って、とりがひょいっと私の肩を飛び降りる。
見ると、通りの向こうに色とりどりのぬいぐるみが山のように積まれたお店がある。
「ちょっと挨拶していこう。この街ではぼくらの方が新人だからな」
「失礼のないようにしないとね!」
ねこも飛び降りて、勝手にちんちろりんと歩いて行ってしまう。
「ああ、もう」
挨拶も何も、動いて喋るぬいぐるみなんてあなたたちしかいませんってば。
私は、歩く人たちの間を器用にすり抜けていくとりとねこに声を掛けた。
「私、あっちを見てくるからね。迷子にならないように、そこのお店にいてよ!」
「はーい」
「ほーい」
適当な返事は返ってきたけど、すぐに二人の小さな背中は見えなくなってしまった。
まあ、大丈夫だろう。ここよりもよっぽど大きなトウェンティブラッドの市場でもふたりだけでよく遊んでいたわけだし。
とりあえず、私の用事を済ませようじゃないか。
私はもう一度ゆっくりと市場を回って、食料品と日用雑貨を購入した。
久しぶりの買い物だから、あれもこれも必要な気がして、結構買ってしまった。
さて、とりとねこはさっきのお店にちゃんといるかな。
私はぬいぐるみのお店に戻ることにした。
……えーと。
どこだったっけ。
トウェンティブラッドほど大きな市場ではないんだけれど、逆にそのせいだからなのか、店の出し方がかなりいいかげんだ。
トウェンティブラッドでは、通りごとに数字と記号がふられていて、自分がどこにいるのかすぐに分かった。
だけどここは、露店があっちこっちで気ままに出されていて、そのせいで道もぐちゃぐちゃに曲がりくねっている。初めて来た私のような人間にとっては、ほとんど迷路だ。
これは、ちょっとなめてたかも。
ちょっと焦って、ぐるぐると市場を回る。けれど、ぬいぐるみのお店は全然見付からない。
おかしいな。ここ、さっきも通ったような。
何度も同じところを回っているような気もする。
勇気を出して近くのお店の人にも聞いてみたけど、店を出す場所は毎回同じじゃないからよく分からないって。
仕方ない。市場ってそういうもんだもんね。
人見知りの私には、もう他の人に同じことを聞く勇気はなかった。
とりあえず、もう一回こっちに行ってみよう。
「もうだめだ……」
三十分後。いや、一時間後くらいかな。
私は市場の道の隅っこでうずくまっていた。
どこを通っても、さっきの店が見付からない。もう全部の道を通ったような気がするのに、全然あのお店に辿り着かない。
とりとねこと、はぐれてしまった。
ふたりが迷子になることを心配してたのに、まさか自分が迷子になるなんて。情けない。
ああ、ふたりとも私の心配してるかな。
道行く人を見ながら、ぼんやりと考える。
……心配はしてない気がする。なんだかんだでたくましいけものたちだから。
そうだよね。別に私なんかいなくっても、ふたりだけで楽しくやっていけるよね。
そんないじけたことを考えたら、何だか涙が。
うう、二十七にもなって迷子で泣くなんて、そんな情けないこと絶対にだめ。
何のために軍を辞めたの。頑張らないと。
立ち上がろうとしたら、少し離れたところからじっとこちらを見ている男の人と目が合った。
一人で何をするでもなく、通りの向こうから私を見ている。
何だか、目付きの悪い人だ。背が高くて、ちょっと危険な雰囲気がある。怖そう。
そ、そうだよね。こんなのどかな田舎町にだって悪い人はいるもんね。
もう行こう。ここから離れよう。
そう思って立ち上がったとき、
「おねえさん、大丈夫?」
と突然声を掛けられた。
振り返ると、すごく優しそうな顔のお兄さんが私を見て微笑んでいた。
「こんなところに座り込んで、疲れちゃった? それとも、足でもひねった?」
「あ、いえ」
知らない人と話すのは苦手だけど、それでもちょっとほっとした。
「実は、道に迷ってしまって。ぬいぐるみをたくさん売っているお店を探してるんですけど」
「ぬいぐるみの店か。今日はどこに出てたっけな」
お兄さんはちょっと考える素振りをして、それから私の持っている荷物に目を向けた。
「たくさん買ったんだね」
「はい、あの、この市場に来るの初めてで、それで」
「そっか、初めてか。重いでしょ、持ってあげるよ」
お兄さんはごく自然に手を伸ばすと、私の持っていた野菜と果物の袋を持ってくれた。
「あ、そんな。悪いですから」
「いいから、いいから」
お兄さんは柔らかい笑顔を向けてくれる。
「ぬいぐるみのお店、多分向こうだと思うんだよな。一緒に行こうか」
「え、いいんですか」
「もちろん。さ、行こう。――いててっ!」
突然お兄さんが悲鳴を上げたものだから、私は飛び上がった。
「ど、どうしました……あっ」
いつの間にか私の背後に、さっきこっちを見ていた怖そうな男の人が立っていた。
お兄さんは男の人に腕を捻り上げられている。お兄さんの手には、なぜか私のお財布が握られていた。
「あ、それ、私の」
「最近この辺りですりを働いているのは、お前だな」
男の人は、すごく冷たい声でお兄さんに言った。
「何の話だよ」
お兄さんは男の人を睨みつける。その顔は、さっきまでの柔和な笑顔とは別人みたいだ。
「離せよ、こんなことしてただで済むと思ってんのか!」
「市政庁治安局のツェディク上級警士だ」
男の人が名乗ると、お兄さんの顔からさっと血の気が引いた。
「派出所まで来てもらおう。君も一緒に」
男の人は、お兄さんの手から財布をもぎ取ると私に差し出した。
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