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1 始まりの街スレンダーポット
私は死ぬんだ。
まるでぼろきれのように地面に横たわりながら、フィリマはぼんやりと考えた。
血をたくさん失ったからだろう。ひどく寒い。
すでに戦いの音は遠く去っていたが、仲間が助けに来てくれる気配はなかった。
仕方ない。自分の順番が来たのだ。
これまで見送ってきた、たくさんの仲間たち。
私も彼らと同じ場所に行くだけのことだ。
そのとき。
霞みかけた視界の隅を、何かが横切った。
丸っこくて、ぽやんとしていて、何というか、ふこふことした感じのもの。
それが二つ。
「ああ、ねこくん。彼女はまだ息がありそうだよ」
「それじゃあ助けてあげないとですね」
そんな声が聞こえたような気がした。
死を前にした幻聴だろうか。
でも死神にしては、ずいぶんと間抜けな姿をしている。
そんなことを最後に考え、フィリマは意識を失った。
*****
黒いおんぼろの魔動車は、ごとごとと危なっかしく揺れながら、どうにかこうにか丘の上まで登りきった。
道の脇にぽつんと立つ一軒の小さな家の前で運転手さんがブレーキを踏むと、魔動車は、ぷすすん、と末期の身震いのような動きをして、止まった。
よかった。
私は心からほっとする。
いつ止まるかとはらはらしたけど、ちゃんと坂を登り切ってくれた。
「お客さん、着いたよ」
運転手さんが助手席の私に微笑む。
内心ひやひやしていた私がバカみたいな、堂々とした笑顔。さすがは大ベテランの運転手さんだ。
「長旅、お疲れ様」
「運転手さんこそ、運転お疲れ様でした。ありがとうございました」
お礼を言って、ドアを開ける。
車から飛び降りて、すっかり熱を持っている魔動車の黒色のボディをそっと撫でる。
あなたも、ありがとう。
そのとき、からっとした爽やかな風が、私の髪を揺らした。微かに潮の香りを含む、私の知らない街の風だった。
着いた。
改めて私は思った。
ついに着いたんだ。私の新しいスタート地点に。
目の前の古ぼけた小さな家に向き直る。
退役金をはたいて手に入れた、マイホーム。
買うときに見せられた資料画よりもだいぶ古くてぼろい気はするけど、それはまあ、今は置いておこう。
とにかくここが、私の新生活の拠点。
振り向けば、丘の下に広がるスレンダーポットの街並みが一望できた。その向こうには、潮の香りをここまで運ぶジェム湾が、太陽の光を受けて白金色に輝いている。
ああ、やっぱり最高のロケーションだ。
自分の判断が間違っていなかったことにほっとする。
今日からこの場所で、今までの血なまぐさい私とは全く違う、新しい生活が始まるんだ。
両腕を上げて、思い切り伸びをする。
狭い車の中でずっと縮こまっていたからか、身体が本来の大きさを取り戻したみたいで気持ちいい。
こんなところでお茶を飲めたら、きっと最高だと思う。
資金を貯めて、この場所でカフェを開くというのが、私の夢であり、大きな目標だ。
生活に必要なほとんどの荷物は、運送業者さんが昨日までに運び込んでくれているはずだ。
私は身一つで、この新居に――
「こら、フィリマ。ずるいぞ」
そう言いながら、小さなふこふこしたものが車から降りてきた。
「一人で先に降りて、気持ちよさそうに伸びなんかしてるんじゃない」
ぷんぷんと怒って短い手羽を振っているのは、生き物ではない。
ぽやんと間抜けな顔をした、白いとりのぬいぐるみだ。
サイズは、片手にぽこりと収まるくらい。
深緑色の風呂敷を背負っているのは、彼なりの引っ越しの荷物が入っているからだ。
「ごめんね、とりさん」
とりあえず謝った。このふこふこしたけものは、意外と根に持つタイプだから。
「やっと着いたから、つい嬉しくて」
「まあ気持ちはわかるがな」
とりはふこりと頷くと、よっこいしょ、とか言いながら風呂敷を地面に下ろす。
「フィリマの念願がついに叶ったわけだ」
「うん」
そうだ。今日までの諸々も、きっと今日この日から始まる生活のためだった。そう思えば前向きに捉えることが――まだ、そう簡単にはできないけど。でも、きっといつかはできると思う。
「……あれ?」
そういえば、続いて降りてくるはずの、もう一個のぬいぐるみがいない。
「ねえ、とりさん。ねこくんは?」
「おや」
とりもふこりと車内を振り返った。
「運転手さん、運転手さん。うちのねこくんがその辺に転がっていたはずだが」
「ああ、ねこくんね」
運転手さんが後部座席を振り返る。
私たちを迎えに来てくれたこの運転手さんも、最初はよく動いてよく喋るふたつのぬいぐるみを気味悪そうに見て、今にも帰りたそうにしていたけれど、私が魔法使いであることを伝えると、「ああ、使い魔っていうやつかい」とどうにか納得してくれた。本当は使い魔じゃないんだけど。
結局、ここまでの道中では、人見知りの私よりもよっぽどとりとねこの方が運転手さんと打ち解けて、私以外の三人(?)で一緒に歌なんか歌っていた。
「いたいた。座席の間に挟まってたよ」
運転手さんが、すっかりぺちゃんこになった三毛猫のぬいぐるみを引っ張り出してくれる。
「途中のカーブで荷物が崩れたからな。きっとその時に」
「すみません」
受け取った私は、もふもふと手でねこを成形し直す。
「おーい、ねこくーん」
「ふもっふ」
よく分からない声を上げて、間抜け顔のねこが息を吹き返した。
「あー、つぶれたつぶれた」
呑気にそんなことを言いながら、ねこはぴこぴこと腕を動かす。とりよりも一回り小さなこの三毛猫のぬいぐるみは、とりの子分のような存在だ。
本物の三毛猫はほとんどがメスだけど、このねこはオスらしい。まあ、ぬいぐるみに性別があればの話。
「あれ、フィリマがいる」
ねこは初めて私に気付いたような顔をする。潰されたせいで記憶が少しリセットされてるっぽい。
「とりさんもいる。ということは、もしかして」
そう言いながら、ふこふこと周りを見回す。
「もう着いたの」
「うむ」
とりがふっこりと重々しく頷いた。
「着いたぞ、ねこくん。我々の新しい城に」
「わーい。やったー」
万歳したねこは私の手からするりと抜け出して、地面をふここここ、と新居に向かって走っていく。
「とりさん、これ!? このぼろっちいおうちがぼくらの新しい城!?」
そう言いながら嬉しそうに走り回る。
「そうだ、ねこくん。そのぼろっちい中古の、お値段破格の12万マグのちっちゃな家が、ぼくらの新しい城だ」
「値段まで言わなくていいわよぅ」
12万マグって、まあ確かに家を買うには少ない額だけど、私にとっては一世一代の買い物だったんだから。
「やったー、入ろう入ろう」
うひゃー、とか言いながら家に駆けこんでいこうとするねこを、とりが止める。
「まてまて、ねこくん。まずは運転手さんにご挨拶だろう」
「そうだよ、ここまで連れてきてもらったでしょ」
私も言うと、ねこは慌てて戻ってきた。
「そうだったー」
私たちは三人(?)並んで、運転手さんに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ました」
「た」
「ああ。新生活がんばってね」
人の良さそうな笑顔で手を振る運転手さんに、気持ちばかりのお礼をお渡ししようとしたけれど、
「いやいや、料金は前払いでもらってるよ」
となかなか受け取ってもらえない。
「いえ、うちのぬいぐるみたちもすっかりお世話になりましたので」
「なったー」
「お世話になったー」
とりとねこもふこふこと頷く。
「運転手さん、もらっておけー」
「おけー」
「そうかい? それじゃ……」
運転手さんはようやくお金を受け取ると、
「ありがとう。それじゃ、三人ともがんばってね」
と言ってもう一度手を振り、車を発進させた。
ぽこぺんぽこぺんと揺れながら坂道を下っていく車がすっかり見えなくなるまで手を振った私は、さて、と家に向き直る。
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