ラガート音楽学校

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 アイダは精霊車から、どんどん近付いてくる天空の城を見上げていた。  白亜の城とも呼べるそれは、絵本で見たことのあるパイプオルガンのような不思議な形のオブジェを付けて存在していた。ここの生徒たちの服は皆、城と同じく白を基調としたデザインで、自分をここまで送ってくれた神殿騎士の制服のようにも見えた。  やがて、車は音もなく到着した。扉が勝手に開き、そこにアイダは荷物をまとめて抱えて降りる。 「ありがとうございます、待っててくださいね」  アイダは慌てて歌いはじめた。  精霊には、最初に歌で祝福をして願いを叶えてもらったあとに返礼歌を歌う。アイダは返礼歌を歌いはじめた。  彼女の声は綺麗だがお世辞にも声量はない。故郷の年寄りたちに「子守歌」と称されてしまうのもそういう点である。  風の精霊はアイダの歌を聞き届けてから、クルンと一回転したあと、車を引いて去って行った。  アイダが歌っているのを、周りは怪訝な顔で見ているので、彼女は慌てる。そういえば誰も返礼歌を歌っていない。 (もしかして……精霊にお礼の歌を歌うの、精霊車の中で歌うものだった? 私、鈍臭いのかなあ……)  アイダがどぎまぎしていたら、「あら、あなたも新入生!?」と元気な声をかけられた。同じく彼女の乗っていた車も立ち去っていったところだった。  アイダの着ている素朴なワンピースと違い、声をかけてきた彼女が着ているのは華やかなエプロンドレスだった。キラキラとした陽の光を受けて輝く金髪に碧い瞳は、彼女の快活そうな印象を損なうことはない。  アイダは驚いて頷いた。 「は、はいっ。あなたも……ですか?」 「ええ。私はチェルシー・ドゥルイット。あなたは?」 「アイダです。アイダ・グラバー」 「アイダね。よろしく」  そう言って握手をしてくれた。その手は白魚のように綺麗で、常日頃から農作業に明け暮れている彼女の物とは比べようもないのに、アイダは驚いた。  一方、チェルシーは驚いた顔をしている。 「分厚い手ね……あなた入学するまでなにしてたの?」 「ええっと……農作業ですかね? 朝から一生懸命精霊たちに歌って手伝ってもらいながら、農作業に明け暮れていました」 「まあ……! 寄付で奏者を呼べなかったの!?」 「うちの故郷、神殿ないですし、奏者を呼ぶお金もありませんから……私とお母さんが交替ごうたいでずっと歌ってました……」 「まあ……! あなたすっごく偉いのね……」 「というか、私も奏者の学校は空の上って聞いて驚いてたんですけど、皆知ってるものだったんですか?」  ふたりは荷物を持って、案内係の指示に従って進んでいく。  最初にクラス割りを決められ、その次に寮の部屋組を決められるのだ。それまでは一旦食堂に荷物を置いておくことになる。  アイダの素朴な疑問に、チェルシーは「うーんと」と言う。 「あなたの住む農村には神殿がないから知らないみたいだけど、私の住んでいる町には普通に神殿があったからね。普通は奏者として歌を覚えるのは、神殿の聖歌隊に入るのが通常なの。才能があったら、ラガート音楽学校に入ることを勧められるんだけど……昔は別に空の上にはなかったみたいなのよ」 「あれ、そうだったんですか?」 「空飛んでるほうが宣伝になるからなのかしらねえ。そのあたりは私もよく知らない。聖歌隊で歌を教えてくれるおじいちゃんが言ってたわ。気付いたら偉ぶってたって」  どうにもアイダには知らない事情があるようだった。  それはさておき、食堂では皆それぞれ自由に席につき、中央を見ていた。あちこちには神殿騎士たちが見守っているのが目に留まり、アイダは首を捻った。 「ラガート音楽学校って、神殿騎士になる学科はありましたっけ?」 「ないない。ちゃんと説明もらったでしょう? 基本的に奏者を目指す私たちの入る奏者科、楽器全般をつくる楽器職人のための職人科、作曲を覚えるための作曲科に別れてるから。もし騎士団に入るんだったら、ラガート付属の騎士団に所属するのよ。そこで奏者の資格と騎士としての武勲を両方得られるから、お貴族様なんかはラガートに入れるよりも騎士団に入れる方を勧めるみたいね」 「なるほど、そうだったんですか。それにしても学校で作曲も覚えられるんですねえ……」 「というより逆よ逆。うちの国、基本的に神殿関係者でなかったら、作曲は固く禁じられてるから。法律違反で裁かれたくなかったら、神殿が関与してるラガートを卒業しろって話よ」  それに少しだけアイダは驚いてチェルシーを見た。  アイダにとって、母の即興で歌をつくって、それをアイダや精霊に聞かせるのは当たり前だったので、それが法律違反になるなんて、今聞くまで知らなかったのである。 (お母さんは知らなかったのかな。神殿関係じゃなかったら作曲は禁止って。うーん……でも即興でつくった歌はカウントされないのかもしれないし、そもそもうちの近所には神殿がないから、お目こぼしだったのかも)  そもそも彼女の故郷は、領主からすら忘れられていたような辺境の地だ。放置されていた上にいきなり法律違反だと訴えられても困る。だから現状のままでいい。ひとまずアイダはそう納得しておくことにした。  チェルシーと一緒に食堂の席に着く。  しばらくしたら神殿騎士と一緒に神官服を着た女性が現れた。 「皆さん、ごきげんよう。当学院にようこそ。早速ではありますが、ここであなた方の歌を聞き、あなた方のクラス分けを致します」  どうもこの女性が学院長らしく、一緒に連れてきた神殿騎士たちはクラス分けをするために呼ばれた奏者らしい。  それぞれ長テーブルごとにひとり奏者が配置され、ひとりひとり順番に歌を歌っていく。職人科や作曲科らしき長テーブルには奏者は配置されておらず、彼らは小さな声で談笑しているばかりだった。 「あっちは既にクラスが決まってるんですか?」 「ええ。神殿付きの楽器職人や神殿にお墨付きをもらえる作曲家って狭き門なのよ。あの人たちはそれを突破してきた優秀な方々。私たちは神殿の推薦を受けて入学してるけど、あちらは実技試験を通って来ているから、長テーブルひとつで人数が収まっているのよ」 「なるほど……」  やがて皆がそれぞれ歌いはじめた。  低いテノール。高いソプラノ。甘いアルト……。どの歌も一様に美しく通り、それに子守歌のような声でしか歌えないアイダは怯んでしまうが……どの曲も一様に、彼女の胸がピリピリする。  思えば、初めて神殿騎士の歌を聞いたときからそうだった。  アイダは思わず首を傾げてしまう。 (どうしてこんなに胸がピリピリするのかしら……なんだかとっても痛く感じるような。神殿で作曲した歌って皆こういうものなの? お母さんの歌はもっと優しくて、胸に染み渡るようで、あったかい蜂蜜湯みたいだったのに……)  アイダは思わずぎゅっと胸元を押さえている中、手前のチェルシーが呼ばれた。チェルシーはアイダのほうに振り返って微笑んだ。 「一緒のクラスだったらいいわね」 「は、はい……っ」  アイダは奏者の前で堂々と歌うチェルシーの歌を耳にしていた。  聖歌隊で歌っていたというだけあり、彼女の声は高く伸び、他の生徒たちとも負けずとも劣らずだった。彼女のクラス分けを担当している奏者も満足げだった。 「それでは、あなたはオリーブクラスへ。次の方」 「は、はい……っ!」  アイダは立ち上がり、思わず椅子を倒してしまう。慌てて椅子を元に戻している中、回りからはクスクスと笑い声が響き、少しだけ居たたまれなくなる。  慌ててすっ飛んできたチェルシーが「やってあげるから、先クラス分けに行きなさい!」と言うので、アイダは「ありがとうございます!」とお礼を述べてから、奏者の前に立った。  アイダを推薦してくれた神殿騎士は二十代ほどの男性だったが、目の前に立っている青年は自分たちとあまり年が変わらないように思える。アイダのやらかしに対しても、彼は涼やかな態度だった。 「それでは、この玉に向かって歌ってください。その色で、クラス分けをします」 「は、はいっ」  アイダは緊張したり慌てふためいて荒れた息を、どうにか深呼吸して整えた。そして、ひと口息を吸うと、歌いはじめる。  彼女の声は歌を習ってきた人々のものとは程遠い、微かな声量しかないが、とにかく水のように透き通った声だった。喧噪でかき消えそうな儚さは保てども、その声は淀みがなく、濁ることが全くない、優しい声。  だが。アイダの澄み切った声に反比例して、だんだん神殿騎士の顔が険しくなってきた。 「あ、あの……?」 「……君は、いったいこの歌をどこで?」 「どこでと言われましても……」 「……こんな歌は、ありえない!」 「はい?」  彼女の歌声は、神殿騎士の持っていた玉を金色に発光させていた。満月みたいで綺麗だなとのんびりと思うアイダとは裏腹に、神殿騎士は黙って腰に提げていた剣を彼女に突きつけた。それにアイダの喉はヒュンと鳴る。 「彼女を拘束! 彼女は呪歌を奏でた!」  途端に神殿騎士たちが険しい色を帯びはじめた。それにアイダはおろおろとする。 「え? え?」 「大変申し訳ないが、君は来てもらう」 「あ、あの……!?」  アイダは訳もわからないまま、神殿騎士に拘束されて、そのまま連行されていってしまった。  友達ができそうだった。新しいことを知ってわくわくしていた。  なのに、彼女の入学一日目は、さんざんなものとなってしまったのである。
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