楽器職人の少年

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楽器職人の少年

 真っ白できらびやかだった校舎から遠ざかり、アイダは神殿騎士に拘束されて地下へと連行される。ラガート音楽学校は空の上にあるのだから地下とは言っても大して階段を降りてないのだろうが、日の光が届かないというのはそれだけで不安に駆られる。  精霊の羽の鱗粉を詰めた瓶が壁面にかけられ、それがかろうじて光源とはなっているが、日の光とは比べるまでもあるまい。  やがて、地下の一室にアイダは入れられた。精霊の羽の鱗粉を詰めた瓶がひとつだけで、アイダの故郷の夜よりも暗くて頼りない。 「ここで大人しくしてなさい」 「あの……私はいったいどうなるんですか?」  アイダはおずおずと上目遣いで神殿騎士を見ると、神殿騎士にギロリとすごまれ、それで小さく肩を跳ねさせた。 「……この国では、旋律を守らない奏者は矯正処分となる。奏者でないのならば、即退学になるだろうが、神官様の判断に委ねる」 「あ、あの、困ります! ……うちの故郷には、その。奏者いませんし」 「神官様の判断に祈りなさい」  それだけ言い残して神殿騎士は立ち去ってしまった。アイダはひとまず灯りの瓶を抱き寄せて、部屋の中を見回した。  これだけ暗いものの、不思議とジメジメとしておらずかび臭くもない。埃臭くはあるが、それよりも先程からビョウビョウと音が聞こえるほうが気になった。  風の精霊ならばこんなに主張する音は出さないし、そもそも風を巻き起こせば存在は示せる。それとも空の上だとそんな音がするんだろうか。アイダは瓶を抱き締めながら、途方に暮れていた。 (おかしいな。私、入学したばっかりなのにもう退学しそうになってる……やだな)  せっかく友達ができかけたのだ。故郷はもう歌が歌えないような年寄りばかりなのだから、奏者がいなかったら畑の世話だって成り立たないだろう。もっと歌を学んで、もっといい故郷にしたいと願っていたはずだが、アイダの夢は何故か取り上げられようとしている。 (……私、本当になにも知らないのに。私の歌は、歌っちゃ駄目なものだったの?)  使ってはいけない旋律と言われても、呪歌だという謂れのないそしりを受けても。アイダはラクスからしか歌を習っていないのだから、なにがそんなに間違っているのかがわからない。  なにもわからないまま、もうこことお別れなんて。 (どうしたらいいんだろう……)  性根は素直で素朴な娘だが、知らない場所でひとりぼっちで暗室に閉じ込められたら、誰だって暗い気持ちに支配される。アイダはポロリと頬に涙を転がして、瓶を抱き締めた……そのとき。  ガッタン……ッといきなり天井の板が外れた。そこからゴロンッと人が転がり落ちてきたのだ。 「いった! ……あれ、ここ暗い……あれ、君は?」  ひとりで不安になっていたはずのアイダの涙は止まった。  黒い制服に黒いケープ。奏者たちは神殿の庇護下の意味を込めて真っ白な制服の上に白いケープを羽織るのが習わしだったが、彼のものは真っ黒だった。しかし埃を被っているせいで、瓶をかざしてみても制服が白く汚れてしまっているのがわかる。 「だ、誰……?」 「あれ? ここ反省室だったと思うけど。こんなところに入って君なにしてるの?」  アイダの質問に全く答えることなく、少年は不思議そうな顔でアイダの泣いていた顔を覗き込んだ。いきなり人が現れたせいだろうか、不安が緩んでしまったせいだろうか。途端にアイダは、「ぐぅぅぅぅぅぅぅ」と腹の音を鳴らしてしまった。  それに彼女は悲鳴を上げる。 「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」 「ええ? なに? なんで君が謝るの? ここに入れられてるの、そんなに嫌だったの? でも君私服だね……新入生で、もう先生に怒られたの?」  そう言いながら、少年はケープに手を突っ込むと、ハンカチを広げた。ハンカチの中に入っていたのはビスケットだった。 「食堂のおばさんが三時のおやつに焼いてくれたのを持ってきたけど、食べる?」 「……食べます」 「はい」  ビスケットをひょいと少年も口にした。サクサクとした歯触りとミルクの匂いにますます腹が「キュルキュル」と鳴ったアイダは、涙を溢しながらバリバリとビスケットを食べはじめた。 「……おいしいです」  右も左もわからないまま暗室に閉じ込められたアイダにとって、その優しい甘さと見知らぬ人の優しさは身に染みた。それに少年は嫌な顔ひとつせず、自分も一枚ビスケットを齧る。 「そりゃよかった。でも新入生。君本当になにしたの? テストの成績が悪かったとか、問題行動起こしたとか、そんなことがなかったら反省室なんて人がいないのに」 「……私も、なにがなんだかわからないんです。クラス分けのために、歌を歌って……」 「ああ、君は奏者科かあ。奏者科なんて推薦がなかったら入れないはずだから、優等生しかいないはずなんだけどなあ……それで?」 「……旋律が駄目って言われて、私の歌は呪歌って言われて……それで、そのまんま……なにが駄目かわからないんです……私、どうしてこんなことになったのか……」 「あー……」  アイダはまたしても悲しくなってきて、鼻水と一緒に涙を流しはじめた。それでグズグズと泣いていたら、先程ビスケットをくるんでいたハンカチを差し出された。 「これ、使いな。これ以上泣いてたら目が溶けちゃうよ」 「と、溶けませんけどっ」 「でも見てらんないからさ。とりあえず涙拭きなよ」 「……ありがとうございます」  アイダは優しい味のビスケットの残り香を嗅ぎながら、グズグズとハンカチを使って涙を拭い、鼻を噛んだ。それを眺めながら、少年はポツンポツンと言う。 「神殿ってさ、訳わからないルールが多いんだよ。秘密主義が過ぎて、なんでそのルールがあるのか教えてくれないし、逆らったら一方的に強権を振るってくる。僕も君の歌を聞いてないからなんとも言えないけど、おそらくは国が決めた法律に反してたから、君を一旦隔離したんだろうねえ。他の新入生への見せしめも兼ねて」 「どうして……」 「わかんない。作曲科も神殿が決めた旋律を組み合わせて曲をつくらないといけないし、職人科に至っては、一部の楽器は設計図すら見せてもらえないままつくったり修理しないといけないからね」 「もしかして……職人科の方ですか?」  制服が奏者科と違うとなったら、作曲科か職人科になる。アイダがおずおずと尋ねると、少年はにこりと笑った。  言葉尻こそさばけているものの、少年は綺麗な顔立ちをしていた。銀髪の切り揃えられた短い髪に、吊り上がった碧い瞳。鱗粉の瓶の光で見える少年は、まるで絵本に描かれている妖精のようだった。 「そう。僕はエリオット。エリオット・ブルースター。君は?」 「わ、私は……アイダ、です。アイダ・グラバー」 「そう」  エリオットと名乗った少年は満足げに立ち上がると、再び机を使って天井へと戻りはじめた。それにアイダは困惑の表情で彼を見上げる。 「あ、あのう……結局なにしに来たんですか?」 「僕? 今日は鳴き声が聞こえるから見に来たんだけど、そこでたまたま君を見つけちゃったから。多分大丈夫だよ。君みたいにたまに神殿騎士に捕まって反省室に入れられる生徒もいるけれど、大概はお人好しが助けてくれるからさ。ああ、ハンカチは洗って返してね」 「あ、は、はい。あのう……ビスケットも、ハンカチも……ありがとうございました」  彼は手を振って天井の板を戻して去ってしまった。妖精のように人懐っこい顔をして、妖精のように人を魅了して去ってしまったのに、アイダは自分の涙と鼻水でぐずぐずになってしまったハンカチを見る。 「……出してもらえるのかもしれない。そうだといいな、そうだといいなあ……」  ひとりでそうごちていた時だった。 ──ケテ 「え?」  なにかの声が聞こえた。  そういえば、わざわざエリオットが地下に潜って探索をしていたのも、なにかの鳴き声を聞きに来たと言っていたが、それと関係があるんだろうか。  アイダはその声をもっと聞こうと、瓶を抱き締めたまま耳を澄ませた。 ──ケテ  ──タイ   ──ココ  ──ケテ  片言でなにかを必死に訴えている声だった。しかしこれは人の声ではない。 (お母さん、言ってたわ。私たちは精霊の声が聞こえるって……奏者は精霊に感謝を捧げる歌は歌えても、精霊の声を完全に聞ける人は稀だって。だったら……これは精霊?)  アイダはなんとか歌を歌ってみようかと、持ち歌を探した。そうは言っても既に旋律の問題で捕まって鱗粉入りの瓶しか光源のない反省室に閉じ込められているのだから、そのまま歌ってしまっていいものか計りかねた。  結局は、アイダは母が子守歌として歌っていた声を、本当に小さな声で歌いはじめた。 ──きらきら光った星の海 舟を浮かべて眺めましょう ──あなたも一緒にきらきらと 水面に爪先付けましょう ──海は冷たく波は高いけど あなたといれば大丈夫  アイダはこの歌はラクスがいつもの通り即興で考えた歌なのか、それともどこかで歌われ続けている歌かは知らない。  ただこの歌を歌っているとき、いつも優しい母がどこか遠くを見ていることだけは知っていた。森に囲まれた故郷で暮らしていたアイダは、海すら歌の中でしか知らないのだ。  アイダの歌は子守歌のようにおぼろげで頼りなく、しかし澄んだ声で鈴を転がしたような音色を醸し出している。  やがて、震動しはじめた……震動? 「ど、どうして……!? キャッ!?」  アイダは瓶を抱き締めたまま、パニックを起こしてエリオットが踏み台に使っていた机の下に転がり込んだ。  そもそも空飛ぶ学校であるラガード音楽学校で地震なんて、起こるはずがない。どうやって空を飛んでいるのかわからないが、もし揺れているとしたら、空を飛ぶ機能になにかしらの不具合が生じている場合だ。  せっかくエリオットが慰めてくれたおかげで涙が止まっていたというのに、アイダは再び嗚咽を漏らして泣きはじめた。  まだ入学して少しだというのに。まだ一日も経ってないというのに。もうなにもないはずの故郷が恋しくなって、再び声を上げて泣きはじめた中。  カンカンと足音が響いてきた。先程アイダが通った階段からだ。そして扉が叩かれる。 「新入生、無事か!?」 「は、はいっ!?」  扉が開かれたと思ったら、アイダのクラス分けの歌を聞いていた神殿騎士だった。アイダが机の下に潜り込んでいるのを見た神殿騎士は、ほっとしたように息を吐くと、彼女の視線に合わせて腰を落とした。 「釈放だ。お貴族様の好意に感謝しろ」 「え? 私……退学にならなくって、いいんですか?」 「政治のことは俺にもわからん。次からは、ちゃんと学校で習った通りの歌だけ歌え……うん? なにか甘い匂いがするが……まさかなにか食べたのか?」  それにギクリとしたアイダは、ぐしゃぐしゃに濡れてしまったハンカチを無理矢理ワンピースの小さなポケットに丸めて突っ込んだ。神殿騎士は首を捻りつつも、アイダを机の下から引きずり出した。 「とりあえず、クラス分けは既に決まったのだから、食堂に戻るように」 「あ、はい……ありがとうございます」  どうにも強面らしいが、存外にこの神殿騎士は親切らしかった。アイダはペコンと頭を下げて、やっと鱗粉入りの瓶がなかったら光源のない地下から抜け出したのだった。
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