楽器職人の少年

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 聖バルニバービ国において、神殿の力は絶対であった。神殿でもっとも偉い神官長が国主を兼任し、国内を奏者の歌をもって治めてきた。  だからこそ、その直轄の神殿騎士であり奏者である者には絶対的な権限があるため、神殿や奏者に頼っているような人間はまず逆らうという選択肢が出てこない。  だからこそ、アイダのように辺境の地に住み、そもそも神殿の権力を知らない人間は見せしめとしてたまに吊し上げに合う。  悪趣味だとは思うが、神殿騎士として神殿付きの奏者をしているベネディクトは、心を鬼にして彼女を反省室にまで連れて行かなければいけなかった。 (……気の毒に。でもそのほうがいいのかもしれん)  普通に生活していれば知っているはずのことを知らないと公衆の面前で知られてしまえば、先入観を持って見られるようになる。  奏者になるためにこの空に浮かぶ学び舎で、偏見の目で見つめられ続ければ、本当になにも知らないような素朴な少女の目も濁ってしまうだろう。それはいくらなんでも彼女に申し訳が立たないのだから、このまま退学処分で知人のいる故郷に帰ったほうが彼女のためなのではないだろうか。  ベネディクトがそう考えていたときだった。 「いくらなんでも、横暴ではありませんか?」  抗議の声にしては、ずいぶんと楽しげな声が彼の耳に通った。  先程反省室に連行した少女の知人らしい少女は涙目になって、助け船を出した青年を見上げていた。  身長は高く、日の光を受けてきらめく金髪は長く背中を覆っていた。瞳の色は空の色。金髪碧眼の麗しさで、女子学生たちの視線を釘付けにしていた。  ザカライア・ヤングアズバンド。愛称でザックスと呼ばれる青年が白いケープを着ている様は王子のように頼もしく、動きも身のこなしも優美であった。  四角定規な言動をしがちなベネディクトからしてみれば、この貴族の青年は苦手な部類であった。なによりも彼の実家のヤングアズバンド家は、神殿に多額の寄付金を出していることもあり、発言権が強く、迂闊な返しもできないのであった。 「……と、言うと?」 「先程連行された彼女の住む領土、耳馴染みがなくて珍しかったから少し調べましたけれど、領主不在じゃありませんか。よくそんな状況で生きられましたね。彼女」  それには絶句した。  たまに領主の夜逃げのせいで、領地の住民たちが貧困に喘ぎ弱い者からバタバタ死ぬ悲劇は、ベネディクトの耳にも届いていた。領主がいないということは、神殿に寄付ができない。神殿に寄付ができないということは、奏者を派遣してもらえない。奏者の派遣されない土地は精霊たちに歌を捧げることも当然ながらできず、土地は荒れ、畑も痩せてしまうのだが。  声量こそ子守歌レベルに微かだった彼女だが、心身は至って健康そのものであった。彼女が歌い続けて領地を持たせていたのだろうことは、それだけで想像が付いた。でなかったら、とっくの昔に彼女はくたばり、まずラガードに入学することはおろか、推薦を受けることすらできなかったのだから。  ザックスはにこやかに笑う。 「よって、おかしな旋律を使って精霊を惑わそうなどという考えはないでしょう。ただ奏者がいないから奏者の真似事をして、土地を生かして住民たちを生かした。それだけのことでしょう。これ以上彼女の落ち度をなじれば、神殿が憐れな貧民を無下に扱ったとして醜聞になりませんか?」  そう神官に尋ねたのだ。それに神官も「ぐぬぬ……」と喉を鳴らした。ヤングアズバンド家の多額の寄付金とそれを背景に背負っているザックスの淀みない主張。そして調べた彼女の故郷の詳細。  政争については口を挟まないようにしているベネディクトからしてみても、どちらの主張が通るかは火を見るよりも明らかだった。  神官がベネディクトに命令をする。 「すぐに反省室に連行した少女を釈放するように!」 「はっ」  こうしてベネディクトは自分が拘束した少女を迎えに食堂を離れようとしたとき。同じく悠々と寮に戻ろうとするザックスと一緒になった。  何故かこの訳のわからない貴族の息子は、なにかにつけてベネディクトに絡んでくるので、彼への苦手意識が余計に募った。 「なにか?」  できる限り感情が出ないよう尋ねると、ザックスはにこやかに告げた。 「先程の新入生だけれど、名前をなんというのかな?」 「はあ?」 「ひと目惚れしたんだよね、君が彼女の歌を担当していたらしいじゃないか。名前くらい聞いているよね?」 「……彼女を助けたのもそれですか?」  少しは見直したと思ったベネディクトは、げんなりとした顔になる表情筋を必死で抑え込んで堪える。一方ザックスはうっとりとしたままだった。 「彼女の髪に彼女の歌声、最高じゃないか」 「……あなたが女性に手を出すのは、家の問題になりませんか?」 「さあね。我が家は実力主義だから、彼女が有益だと判断したら、身分の問題なんて些末なことだと思うけどね。君の気が向いたときでいいから、教えてくれると嬉しいな」  そう言ってさっさとザックスは手を振って立ち去ってしまった。 (……こういうところが苦手なんだ。なにを考えているのかさっぱりわからん)  彼はあれだけ気品を纏い、さわやかな弁舌で周りを圧倒するが、神殿には既に彼の詳細は届いている。  ザックスは養子縁組で元は貴族の出ではないらしいと聞いている。ヤングアズバンド家に迎え入れられたのも、彼の圧倒的な歌唱力によるものだと。声変わりして、柔らかな少女と見紛うばかりだった声も低くなったが、それでも彼が歌えば伸びやかで華がある。精霊との対話もできる奏者の中でも実力者として神殿内で政争に参加してもおかしくない立場なのだ。  その彼が、気まぐれであの子守歌のような声しか出せない少女を気に入ったとは考えにくかった。ひと目惚れはもっと考えにくい。政争に嘘はつきものだ。 (……気の毒な。変な男に目を付けられて)  しかしベネディクトができることは、せいぜい彼女を見守ることだけだ。彼はラガート音楽学校の学生ですらなく、ただ同じ場所で生活する神殿騎士だ。深く関わることなんてできるはずもない。
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