楽器職人の少年

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 エリオットは特にアイダと約束をすることもなく、「それじゃあまた」と言ったら、途端にアイダはポッと頬を染めるのを見ながら、寮へと帰っていった。  彼からしてみれば、楽器を直すことは生きることだった。  奏者がいる街であったら誰もが豊かに暮らせる訳ではなく、むしろ貧富の差が拡大することだってある。神殿に行くときだって寄付金が必要だし、寄付金が支払えない場合は奉仕活動で支払うしかない。  エリオットの暮らしていた街は貴族と貧民ばかりで中間層がおらず、エリオットはもっぱら貧民街で物を修理して生計を立てていた。  彼が特に金になると気付いたのは、楽器の修理だった。奏者のほとんどは歌を歌って精霊の力を借りるものの、奏者の中には歌が不得手なために楽器を使う者たちもいる。だからたびたび彼らが精霊の力を借りるために使うヴァイオリンやピアノを修理し、ある日教会で賛美歌を歌う際に壊れていることに気付いたパイプオルガンを修理してみせたことで、心ある神官に気に入られたのだ。 「君はラガートに行ったほうがいい」 「空の上の学校? いいよ。そんなとこ行ってもその間お金は稼げないし」 「だが神殿に認められた楽器修理師になったら、一生神殿から金をもらえるよ」 「それって今と生活が変わらなくない?」 「空の上には、それはそれは綺麗で大きなパイプオルガンがあると聞いているよ。それを弾いてみたくはないかね?」  それにエリオットはピクンと眉を持ち上げた。  エリオットは楽器の修理をしていく中で、楽器は物により弦の張り方や音の鳴り方を変えなくてはいけないことを、薄々理解しはじめていた。 「なにそれ。そんなにすごいの?」 「すごいとも。初めて見たとき驚いたものさ。見てみて、できれば弾いてみないかい?」 「弾きたい」  こうしてエリオットは、ほぼ神官に乗せられる形でラガート音楽学校に入学した。最初は作曲科でひたすら音楽の基礎教養を学びながら、暇を見つけては神殿の礼拝堂にあるパイプオルガンを見に行っていた。  ほとんどは神殿騎士や神官がいるため、一介の学生では触りにくい雰囲気があったが、ある日神殿騎士も神官も留守に見事に侵入に成功を果たした。  演奏して、「あれ?」と気付いたのだ。 「このパイプオルガン……音が変だ」  何度か神官に交渉して修理したいと申し込んだが、何故か拒絶される。ならせめて故障の原因だけでも突き止めようと地下に降りてみるが、ラガート音楽学校で行けるだけ地下に潜ってみても、なかなか実情は掴めない。  しかし、彼がそうやってひとりで探検をしていたところで、声がかけられたのだ。 「やあ。君が最近探検に凝っているっていう噂の作曲科の人かい?」  真っ白な制服を着こなしている、身のこなしの綺麗な人物。しかしそれにエリオットは「はて」と思う。  彼は教会で貧民も神官も貴族だって横目で見ながら修理していた。彼はどう見ても貴族然とした立ち振る舞いをしているように見えるが、エリオットにはそれに違和感を覚える。 (……この人、貴族のふりをしてなくないか?)  華麗な歩き方、ケープの靡かせ方。たしかに貴族が自分を大きく見せる動き方に酷似はしているが、どうにもエリオットには貴族に見せかけているだけに見える。  彼の動きは仰々しいように見えて、全く無駄な動きがない。どちらかというと、ラガート音楽学校にも出入りしている神殿騎士の動き方に近いのだ。エリオットはしょっちゅう神殿に出入りして楽器を修理していたため、寄付してくる貴族よりも神殿騎士のほうがよく見ていた。だからこそ余計にそう思っているが。  エリオットの観察はさておき、彼は快活に笑う。 「俺はザカライア・ヤングアズバンド……仰々しい名前だね、ザックスでいいよ」 「ザックス。僕はエリオット・ブルースター。それで僕に話しかけてなんの用?」 「いやね。神殿のほうからたびたびクレームが入ってね。勝手にパイプオルガン触る奴がいるからなんとかしろと」 「ふうん。僕を処罰するの?」  エリオットは神官に乗せられる形でラガート音楽学校に来た身の上なため、正直退学処分になったところであまり失うものがない。せいぜいまた路上で修理して生活すればいいだけの話だ。  エリオットがあまりに淡泊な言動をするせいか、ザックスは「あはは」と笑う。 「違うよ。君の探検を応援していると伝えたかっただけなんだ。一応誰がパイプオルガンを触っているのか調べた上で、君は無害だと思ったから」 「ふうん……わざわざそれを僕に言うんだ?」 「君は平民出身みたいだけれど、あまり上を悪く思わないでくれよ。俺も心苦しいんだ」 「ふうん……」  エリオットはどうにも違和感を覚えながら、わざわざ見逃す宣言をされたことを疑問に思う。 (見逃すんだったら、わざわざ宣告する必要はないのに。それとも、誰かに向けたパフォーマンス? 神殿側? なんのために)  そこまで頭が回れば、普通ならば探検するのを止め、他の修理できるものを求めてさまようだろうが、エリオットは普通ではなかった。  どの道彼は貴族ではないし、この先二度と空の上の神殿や空の上の学校なんて上等なところに行く機会は二度とないだろう。ならば、探検してパイプオルガンの音を乱しているなにかを特定してみたい。  彼はそう心に決めた。 「ありがとう」 「いやいや。君にはぜひとも冒険の成就をして欲しいだけさ」  それにエリオットはザックスの違和感にやっと気付いた。 (ザックス……あの人、僕の探検内容知ってないか?)  エリオットは普通にあっちこっち歩き回っている上、平気で床下やら天井裏に潜り込むため、普通であったら追跡は困難だが。  精霊に監視を頼んだら、監視もできなくもない。  奏者は歌で祝福を贈ることにより精霊の力を借りて生活を豊かにするというのは、この国で生きていれば誰だって知っている話だ。だが精霊の力を借りるだけで、使役するとなったらそれはよっぽど奏者として実力がなかったらできない。  精霊から力を借りたら、その都度返礼しないといけない。でなかったら、精霊は徐々に命を削りはじめ、死に至る。精霊の酷使が原因で国が立ち行かなくなった例だって、遠い国には存在しているという。  ヤングアズバンド家は神殿の寄付金が相当高い家柄とは貧民出身のエリオットだって知っている話だが、そこがどんな家柄かは知らない。そんな精霊を自由自在に操れるような奏者を輩出したのなら、普通に家名を上げるために宣伝するが、そんな話は聞いたことがない。 (でも……全部憶測だしな。僕は精霊を操れないし、会話もできないからわからない)  エリオットも奏者がどこまでできるのかはわからないため、ザックスに向けた憶測がどこまで正しいのかわからないのだ。  神殿騎士のような身のこなしに、自由自在に精霊を操る。あまりにも出来過ぎた人間であるザックスに、エリオットはうっすらと苦手意識を持ったのはこのときからだった。
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