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「ひだまりの里」は行政の管轄のもと、千葉県郊外に設立された老健施設である。
2026年、政府は、親を介護するため離職を余儀なくされた人々の切実な訴えに基づき
-老健施設に親を入れ、子供には、その施設でヘルパーとして働いてもらう-という政策を打ち立てた。介護ヘルパーとして、自分の親以外の利用者の世話も請け負う訳だが、給料は出る、親にもすぐに会えるという一石二鳥の利点もあって、千葉のみならず、全国的にその基盤は増えつつあった。
73で近所を徘徊するようになった母を、一人っ子の自分がどうやって見ていけばいいのだろうと思い悩んでいた唐田さとみも、これはいい!とすぐに飛びつき、母を介護棟に住まわせ、自身は広大な敷地内のヘルパー棟に移り住んだ。
男性ヘルパー達の寮は同じ敷地内でも、遠く離れた場所にあり、それほど、若くはないさとみと言えども、取り敢えずは安心して日々の生活を送れた。
三階建ての女性ヘルパー寮は、24時間使用可能なシャワー室、コインランドリーが完備されていて、実質四畳半の部屋は必要最小限のものだけを置くにとどめた。
比較的広い娯楽室には大画面のテレビが置いてあり、休憩時間にはそこで寛ぐ事も出来た。
同じ棟に住む仲間は、圧倒的に40代後半~50代の女性らで占められたが、60代、70代世代もいることはいる。
そうした年齢のギャップがあっても、親に対する苦労は皆、同じで、壁にぶつかって悩むヘルパーにはその都度誰かが知恵を絞って、いい抜け道を探し出したりしていた。
その日、遅番だったさとみは、同じく遅番の友近美鈴と共に、棟内の食堂で早めの夕食を取っていた。
美鈴は父親をひだまりの里に入居させており、年齢が近いこともあって、互いの思いの丈をぶつけ合える貴重な存在だった。
「今度、入ってきた新人の子、その後、どう?」
「相変わらずだね。自分の母親の介護だけに明け暮れて、他の人はほったらかし、と言う…」
「上が言ってもだめだったんだ」
「そう。一緒にシフト組んだ人が割に合わないって、皆、おかんむりよ」
そこで、不毛の会話は途絶え、さとみと美鈴は徒歩二分の老健施設へと向かった。
地下のロッカールームに貴重品を預けた後、連絡ノートを見て、今日請け負う利用者さんの特徴、注意点などを頭に入れていく。
それらが済むと、エレベーターで担当階に上がり、一室ずつ、順番に利用者の様子を見て、世話をしていく。
そうして回っていくとドア横に瀬戸洋子と書かれたネームプレートに当たり、さとみは心の中で「この人さっき話題にのぼった人だ」と察知した。
20分ほど前に美鈴との会話に出た-娘が母親の介護ばかりして、他は放置-と言うその母親がこの瀬戸洋子だった。
ノックをして室内に入ると、高齢者特有の何とも形容しがたい臭いがし、慣れたとは言え、そこそこ気持ちが萎えてしまう。
おむつ交換、身体の清拭などを淡々と済ましていくと、天井を見つめて一切の感情を押し殺したような表情の瀬戸洋子に「もう何もわからない状態なんだな」と思い悲しくなる。
それでも「失礼しました」と一言声をかけ、部屋から出た。
こうして担当者全員のケアを終えた後、ヘルパーステーションに行き、しばしの間休憩を取る。施設内には何かあった時に備えて至る所にカメラが設置され、少々落ち着かない気もするが、事が起きた時、自分も含め、何かの証明にはなるのだからと諦める。
「お疲れっ」
聞き覚えのある声の方向を見ると、先に仕事を終えた三浦がベンディングマシーンから取り出したと思われるカップ入りのコーヒーを手に持ち、こちらを見ていた。
「お疲れ様です。どうですか、最近、利用者さん達、何か変わった事とかないですか?」
「うん。大丈夫。ほら、俺、元々精神科病棟で患者さん担当してた看護師だからね。こんな事言ったらなんだけど、楽勝だよ」
「そうですね。この棟内は比較的穏やかな人達で占められているような気がする…」
「そうだ。唐田さんが発起人となったポエムの収集、結構集まってるそうじゃない?」
「えぇ、お陰様で。たまったものをふるいにかけて、入賞作品を発表していく予定なんですが、思いのほか多くて、徹夜でやんなきゃ間に合わない!と今から恐れおののいてます」
「嬉しい悲鳴ってやつか、まぁ、頑張って」
「はい」
業務を終え早朝、寮に戻り部屋に入ると、半年前に募集をかけて各棟から寄せ集められたポエムの原稿が我が物顔で、卓上に載っていた。
「よしっ、やるか!」
取り敢えず、上位ランクに入りそうなレベルの物をインスピレーションを駆使して選んでいく。
ポエムというより日記じゃないか?という作品があったり、意中の人物にあてたラブレターのようなものがあったり、皆、こちらの意図を理解していないようで、勘弁してよ!と言う気になる。
そうした取捨選択中、B棟、瀬戸洋子という名前が記された原稿を見つける。
-どれどれ?-
俄然興味がわき、原稿に目を落とす。
私の住む家は丘の上の一軒家。
お父さんが死に、子供達もそれぞれ家庭を持ってこの家から出ていった。
私は一人、今日食べる分の野菜を畑から取ってきて、かまどでご飯を炊く。
-洋子さん、ご精が出るね-といって、励ましてくれたご近所の知り合いも櫛の歯が欠けていくように、一人、又、一人と旅立っていってしまった。
でも私には丹精込めて育てた花たちがいる。
アネモネ、チューリップ、グラジオラス、百合。
この可憐な娘らは、年がら年中「頑張って!」と言い、塞ぎがちな私の心に微笑みかけてくれる。
だから私は今日も一人、丘の上の一軒家に住み、花達と共に暮らしを営み続ける。
これがあの天井を見つめたまま微動だにしない瀬戸洋子の詩なのか?
いや、これは娘の書いたものを母名義にして出している…
ふと、そうした疑念がわく。
-でも、いいか!お母さんの心情が表れてるしね。取り敢えず入選-
さとみは自分さえ黙ってればバレない!と思い、瀬戸洋子の作品を多少後ろめたい気持ちのまま入選したものを入れるボックスの中に入れた。
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