青年4

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青年4

 冷たい金属の箱を、確かめるように叩く。中の空洞が音に合わせ振動し、手の甲を痺れさせた。  最後に物音をきいたのは、二日も前のことだ。想像通り返事はない。とうとうこの瞬間が訪れたのだ。  頑丈な閂を乱暴にはずし、重たい蓋を両手でこじあける。暗闇の中に部屋の明かりが差し込むと、痩せこけた少女と弱々しい筆跡の遺書が其処にあった。 「ありがとう、ごめんなさい、愛してる…か」  横たわる少女には目もくれず、ノートから慎重にそれを切り取った。傷がつかないように、シワが寄らないように、優しく丁寧に。  はやる気持ちを抑え、僕は唇を噛んだ。  僕が母から初めて貰った愛は、遺書だった。  ずっと欲しかった言葉が、其処には並べられていた。母亡き後も、その愛さえあれば何も要らなかった。全ての欲求が満たされた気がした。  しかし姉の遺書を手にした時、僕は気づいてしまったのだ。姉の死に対する哀しみよりも、遺書という『愛』が手元に増えたことのほうが、自分の中では重要であることに。手に入った事実に身震いする程悦びを感じている自分自身に。  だがそれだけでは済まなかった。何故なら姉の愛には「幸せになってね」の文字。  わからなかった。家族の愛を手にした今より、更に幸せに……? そんなもの、この世のどこにあるというのだろう。一体誰がくれるというのだろう。  捻れていく感情と、行き場のない不安。一向に答えをくれない姉の骸。スカスカの僕の心。  しかし、姉からの『愛の言葉』を分厚いファイルにしまい込んだその瞬間、それをしまうにはあまりに無駄の多いページ数を見て、僕は姉の言葉の意味を理解したのだった。  古びたファイルの一番上。最後のポケットに、新しい『愛の言葉』を挟みこむと、僕の口元は自然と緩み、この上ない幸せに心は満たされ、溢れ出る悦びに震えた。
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