青年2

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青年2

 枕元に伏せられた懐かしい写真を手に取り、さっきまでみていた悪夢を頭の中からたたき出す。  母と姉と僕。  あわないピントに、それぞれの顔はすっかりぼやけてしまっている。  もしもこの写真がしっかりと撮れていたら、笑顔の母を知っていたら、あんな悪夢など見ずに済むのだろうか。もしくは、こんな写真が存在しなければ、或いは忘れてしまうことができたかも知れない。  しかしその写真は、自分にも愛する家族が在ったという唯一の証拠だった。僕を悪夢から救い出してくれるのもまた、この暖かい写真だけ。  僕に悪夢を与え、同時に安らぎを与えてくれる。この写真はそういう存在なのだ。  僕には父がいない。  物心ついた頃には既にその存在はなく、理由を知りたいと思った頃にはもう母もいなかった。  そして母の死から数年後、受け止めきれなかった姉が後を追った。  思えば姉も、母の死からずっと泣いてばかりだった。僕の呼びかけにも答えず、学校にもいかず、夜通し嗚咽を漏らし、涙をながし続けていた。  幼い僕には当然為す術もなどなく、そんな姉を見ているだけ。終いには食事も摂ることも風呂に入ることも忘れた姉は、ただ泣き続け、僕が不安を感じた頃にはもう、手遅れだった。  だが、母の時とは違い、姉の死はすぐに受け入れる事が出来た。  悲しくなかったわけではないが、涙は出なかった。その理由はすぐに思い当たった。  僕は、毎晩響く泣き声に限界まで追い詰められていたのだ。  姉の訃報をきいたとき、僕は何より先に、もうあのすすり泣く声をきかなくていいのかと胸をなでおろし、ほっとした気持ちにさえなった。  世間的にみれば非情な弟と言われるのだろうか。しかし自分の気持ちに嘘をつくことはできなかった。僕は自分の中にある安堵の気持ちを見つけるたび、姉のために泣いてあげることもできない自分を責め、教科書みたいに整った字で書かれた姉の遺書を何度も何度も読み返した。  それでも、姉の死で得た気持ちに変わりはなかった。 「独りにしてごめんなさい。きっと幸せになってね。愛してるよ」  姉は母より計画的に逝ったのだろう。その遺書は几帳面に折り畳まれ、まるでこの為に用意したかのような新品の封筒に入れられていた。
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