同居者Sの献身

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同居者Sの献身

今更になってしまったが、私の名前は前田マキ。 今は都心に居を移しているが、出身はかなり特殊で…まあ、いわゆる過疎地域というやつだ。両親は6歳のとき事故で亡くなって、親代わりに育ててくれた人がいる。『イズクおじちゃん』と、私はそう呼んでいた。その人も、私が中学に入る年に突然消えてしまったんだが…。 育ての親の『イズクおじちゃん』は、何から何まで不思議な人だった。 というのも、両親が亡くなった直後、どこからかお葬式に現れた彼は自己紹介もおろそかに『僕が彼女を引き取ります』とだけ言い、あっさり私の『保護者』になった。ほかに私の引き取り手もなかったから、体よく厄介払いされ…そこからおじちゃんと私だけの二人暮らしが始まる。おじちゃんが失踪するまでの5年間だけだったけど。 結局おじちゃんが何者だったのか、はっきりしたことは分かってない。それでも、おじちゃんと過ごした日々は甘酸っぱい思い出になっている。出会った当時まだ6歳だった私は、育ての親である彼に対して『初恋』のような気持ちを抱いていたから。 ・・・ 私のペットが唐突にイケメン化して、早1か月。人外との共存生活は想定よりもかなりうまくいっていた。 1か月の間にもシズクはばりばりバイトをこなしており、最近では『◯ーバーのイケメン』としてちまたでちょっとバズっているらしい。 「…盗撮か…?」 『例のイケメンっぽい人見かけた₍ᐢ › ༝ ‹ ᐢ₎』なる見知らぬ人の投稿には、バイト中のシズクと思われる男性の写真が投稿されている。…いやもう、シズクと思われるっていうか、乗ってるのが私の自転車なわけだから、シズク確定だ。キッチンでこそこそスマホを見ていたら、いつの間にか帰ってきたシズクに背後を取られていた。 「マキさん、お疲れさまっす!」 「あっ!お疲れっ!!」 妙に明るい私にシズクはやや怪訝な顔をしたが、すぐに笑みを取り戻す。 「あ、そうそう、今月の給料です。」 「…??あ、バイトの?」 「はい。大した額じゃないですけど…。」 ペットの分際でバイト代を入れてくれるのか…?盗撮写真の、真面目に働いていた姿を思い出す。一生懸命労働して得たお金じゃないか。 「受け取れないよ…。」 しかし、シズクはなんとも困った顔をした。 「やー俺、正直なところヒマつぶしでやってるだけだし、受け取ってくださいよ。」 でも…と渋る私に構わず、ここ置いときますからね、とシズクは勝手に給与を置く。釈然としない私をほっぽって、シズクは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。 「これ、もらいますね。」 「あ、ああ…そりゃもうどうぞどうぞ!」 シズクは礼儀正しく微笑んでキャップを開け、美味しそうに飲み始めた。 「今日も大変だったんじゃない?何か隣町まで行ったみたいだし…」 「え、何でそれを?」 「いえっ!ナントナク。」 「あはは、そうですか…すごいな、当たってる。」 あっぶなー!!監視してるみたいじゃん私こわっ!!内心ばくばくしていると、シズクは珍しくつぶやいた。 「…でも、今日はちょっとつかれました。」 シズクはちょっと照れたように苦笑いする。つらそうな姿を見せたことのないシズクにとっては、かなり珍しい。疲れたと言っていた通り、なんとなく汗まみれで髪も乱れていて…それに顔も上気していて色気に拍車が…って、あーいかんよこれ!!おかしな気になる前に、早くお魚に戻ってくれないかなっ!! 「し、しんどくなったら全然やめていいんだからね~?」 危険な色気から目をそらすべく、私は意味もなく自分の指を見つめた。あたかもささくれが気になって仕方ない感じで…げ、ホントにささくれてる。 しかしシズクはあはっ、と大げさに吹き出した。 「弱音吐いてすみません。でも、全然大丈夫なんで。」   シズクはミネラルウォーターを飲みながら、何気なくTシャツに手を突っ込み腹を掻いた。…シャツのすきまから美しい腹筋が覗いた。うん、筋肉興味ない私が見ても、確かにこれは良…いや、ちがう、『見た』のではなく!『見えてしまった』んだからなっ!! シズクは私の視線に気づき、ん?と屈託なく笑う。 「ご、ごめん。」 私はなんとなく謝って、リビングに逃げる。しかし、私の『気苦労』はまだ続くのだった。 リビングでスマホを見ていると、シズクは中々魚に戻らない。それどころか、意を決したように隣に腰を下ろしてきた。 「(!???)」 「…。」 『!?』という顔でシズクを見たが(ほぼ睨み)、シズクはぼーっとした顔でただ前を見ている。 いかんいかんいかんいかん。 まずいまずいまずいまずい。 何が?って主に私の中の貞操観念が、コイツの性的魅力的な何かで崩壊する危険レベルがフェーズ6=『ただちに安全な場所へ避難してください』なんだよ。おいお魚、ペットの分際で何を考えてる。 秒速で脳内に『特殊対策本部』を編成しリーダー格っぽいおっさんに意見を求めたところ、『まずは冷静に、対象にしかるべき行動喚起』との助言を得た。どうやらおっさんは左派らしい。 「あのー、いつもならばそろそろ魚に、戻る時間だと思うんだけどもさ…。」 固唾を呑んで見守るおっさん(脳内)に、シズクはけろっと言ってのけた。 「いいじゃないですか、給料日ですし。」 「えっ…」 シズクはなおもけろっと前に向き直る。あ、あー…たしかに今日給料日だったみたいよね。それに、給料日ってちょっとだけ羽目外してもOKな雰囲気あるよ、確かにね…って、なに新ルール定めてんねんルール決めていいのは飼い主ぞ!! リーダーの威厳を完全に失いショゲ返ったおっさんに代わり血気盛んな若手議員っぽいやつが『武力行使!武力行使!』と叫び出す。さすがにこの意見は無視し、中堅っぽいおっさんの意見を聞いてみる。中堅っぽいおっさんは至って冷静な口調で告げた。 『そうですね…あくまで論理的に自国のテリトリーを強調しつつ、冷静な対話による和平交渉を持ち掛けるべきではないでしょうか?』 おっけおっけ。私はすううーと息を吸った。 「いやいやいやwてかこんなくっついちゃったら、誤解しちゃうからさー普通に!!ほらほらほらww」 ごめん中堅、言ってる意味なんっも分からん!!唐突にバカになった私に、場の空気がスンッと静まる。しかし、シズクもシズクでなかなかマヌケな声を出す。 「誤解?なんのっすか?」 「え?いやその…私のこと好き…なのかな~とか…?」 「え、好きですけど…。」 「はひ!?」 おうおうおう?言ってくれるじゃねーかこの野郎ォー。ミサイル級の衝撃に、特殊対策本部はなすすべもなく玉砕した。しかし、シズクの言葉には続きがあった。 「マキさんは最高の飼い主です。だから大好きです!!」 「…あ、そうそう、そういう意味そういう意味!!アハハハハッ」 「え?…ほかにどういう意味があるんすか?」 「え、って…そりゃあ女としてというか…ねっ、ねっ…!??」 羞恥死レベルの勘違い女発言にも拘わらず、シズクはえ、あははと笑い始めたではないか。死のような沈黙に包まれた私の心中をお察ししたのか、シズクはとたんに慌てだす。 「あ、すいません、笑ったのそういう意味じゃなくて。マキさんは少なくとも、『人』として俺を見てくれてるんだなーって思って。それがなんか、意外っつーか…嬉しくて。」 シズクは目をキラキラさせている。 「お、おう…それって、嬉しいもんなの?」 「嬉しいですね、これはもう。」 ちょっと待て。気づけばさっきから物理的にもじわじわ距離を詰められてる。てかもう地味にくっついてる。 「…って距離近い!自国のテリトリーッ!!」 「てりとり…?すいません。でも今日はちょっとだけ…。」 「な、なんでよっ?」 シズクはどこかとろんとした目でのたまった。 「マキさんの近くにいると何というか…、なんかが満ち足りるんです。だから今日はもうちょっとこうしてたい……あ、俺くさかったですか!?」 シズクはぎょっと身体を離したが、いや、微塵もくさくない。そもそも不快さは1ミリもない。生物学的に女であれば、不快さなんかあるわけないだろこんなイケメンにくっつかれて。 「く、くさくはないけど…。」 「じゃあ、このまま。」 それからしばらくくっついていたが、ふいにシズクは『ん、ありがとうございました!』と言って水槽に戻った。 な…な…何なのよもうっ!謎にドキドキさせんなっ!!と勝手に勘違い&ドキドキしたくせに、モヤモヤしたままその日は過ぎていった。 ・・・ ところで私は、大学の非常勤講師をやっている。担当教科は『第二言語』の中でも、わりとマイナーな言語で就活や旅行に活かせるわけでもないため、はっきりいって生徒のモチベーションは低い。皆、単位が取りやすそうだからという理由で履修しているのだ。 『その日』は朝から、ずっと体調が悪かった。 午前の講義はどうにかこなしたものの、終わった頃には変な咳まで出始めた。喉痛から始まってしだいに頭痛と吐き気につながるタイプ、典型的な風邪の症状だ。生徒にうつすわけにもいかないので、午後からは休講にしてさっさと帰ることにする。 「あれ、マキさんだ。」 咳をしながら歩いていると、聞き慣れた声がした。振り返ると、自転車にまたがったバイト中のシズクが立っていた。 「あ、シズク…おつかゲホッ…」 「え、大丈夫っすか?」 「うん、ちょっと風邪みたいでさ。しんどいから先帰って寝てるね。ゲホフ」 踵を返すとシズクはあー、と声を上げる。 「俺も終わったとこですし、一緒に帰りましょうよー。」 「え、風邪うつるよ?」 「それは大丈夫す!鍛えてるんで。」 シズクは軽やかに自転車を降り、行きましょっと微笑んだ。外で会うのは初めてだからか、わくわくしているようにも見える。 確かに、外でこうやって並んで歩くのはどことなく新鮮だ。正直、今弱ってて一人で帰るの不安だったからかなりありがたい。体調が悪い時というものは、慣れた道でも遠く感じられるものだし…。 しかし同時に別の不安もうっすら浮上する。いかんせん、シズクは『○ーバーのイケメン』として、近所でちょっとバズっているのだから… 案の定数メートル歩いただけで、大学生か社会人風の女子集団が『あの人さあ…』とかいいながら立ち止まってしまう。 まずい。バズり投稿から派生した、シズクのファン的人々かもしれん。そしてファン的人々、最悪うちの生徒かもしれん。 我々の関係が『飼い主とペット』なる『正しい』認識で広まる可能性はま!ず!!あり得ない。となると『恋人』とでも曲解され、あまつさえそれが拡散でもされてしまったら、いっぱしの陰キャにとって面倒なことにならないだろうか……とにかく気が気じゃない。 何よりも自己の保身を優先させたクズ飼い主・マキは、彼女らが完全に遠くへ行くまでシズクから距離を置かせてもらうことにした。 「ごめんシズク、何かまずいことになりそうだから…グッドラック!!ゲフホ」 「は?マ、マキさんどこ行くんすか!?」 通行人に紛れて自販機の陰に隠れたと同時に、女子グループはシズクに近づき始める。や、やはりシズクの悩殺力は万人に効果を発揮するのか……。私は静かに耳をそばだてる。 一人の女子が、スマホ片手にシズクに話しかけた。 「あのーすいません。この写真映ってるのもしかして、お兄さんですか?」 「はい?あ…マキさんも見てるやつだ。」 「ま、マキさん?」 シズク、それはSNSって言うやつで、彼女らは君もそれを駆使する側だと思っているぞ!!さらに言うとマキとか余計な情報は言ってくれるな…! シズクは女子の問いに答えず(ナイス判断)、難しい顔でじぃーっとスマホを見ている。余談ながら、シズクは、魚のくせにやや近眼だ。 見つめられているのはスマホだが、なぜか持ち主は恍惚としている。君、私じゃなくてホントに良かったな。君が私なら初対面で爆散だぞ、なにせ全裸のセクシーダイナマイトエンカウントなのだから… シズクはようやくスマホから目を離す。 「うーん、多分俺っすけど。それがどうかしましたか?」 「えっめっちゃクールなんだけどー!」 「やばいやばい」 女子全員がきゃいきゃい沸くが、なぜこの反応で好感度が上がったのかまじで分からん。こんなだから私は生徒にナメられてるんだろうか…鬱々!!私のHPは勝手に削られる。 「あ、もしかして芸能関係…とかですか?」 シズクの顔がきょとん、となりその場の空気はやや静まり返った。だめだ…シズクの辞書にモデルさんとかアイドルさんを意味する『芸能関係』の文字は恐らくないッ!! しかしシズクは至って淡々と、しかもやや高圧的につまりはかなりハイレベルな殺傷能力でナンパを切り返す。 「すいません。人待たせてるんで、もういいっすか?」 見下し目線の塩対応ナイスファイト!!あんた…いつの間にそんな技術を…私は草葉の陰から目頭を押さえた。ギャルズよ、これで諦めよ…180cm超えイケメンの、やや見下しからの塩拒絶に耐えられる猛者はそうそういないはず… 「じゃあせめて、連絡先交換しませんか?」 ってさらなる猛者か!!敵ながらナイスファイッ 「私のIDです!」 「私のもどうぞ!!」 思わぬ集中砲火に、シズクは一転引き気味かつ圧され気味だ。がんばれシズク…!自身のスペックを思い出せ。君はハリウッド女優8人くらい侍らせても余りあるデンジャラスゴージャスイケメンなのだから。 ハリウッド女優マイナス100人のスペックを棚に上げ、私は草葉の陰からさらなる檄を飛ばす(人知れず)。 すると、シズクは急に何かを思い出した。 「『充電切れそうなんで』すいません。じゃ、そういうことなんで。」 「…そう、ですか…。」 女子集団はスマートにナンパを断られたと認識し、残念そうに去っていく。 で、出来る子ッ…安堵と同時に、どっと疲れがおしよせてきた。興奮していて気付かなかったが、シズクが他の人間と話すの見ていたら、とても不安な気持ちになったのだ。 私なんかよりずっといいって人に、ふわりとついていってしまいそうだから。 思い出したように始まった頭痛に、私はその場にうずくまる。すぐにシズクが駆け寄ってきた。 「マキさん!」 「ゲホッ!!う、ごめん、頭痛くて…」 シズクは何かを決心したように、無言で私の手を取った。そのまま立ち上がらせ、人気のない路地裏に入っていく。 「え、何…?」 暗がりの中で急に私を抱き寄せると、そのまま唇を重ね合わせた。 「!!!?」 困惑する間も与えずに、清冽なエネルギーが体内に流れ込むのを感じた。 満たされていく。…冷たく澄み切った、水のような、空気のような…無垢なもので。 しばらく続いた不思議で心地よい感覚がふいに終わると、シズクは静かに体を離した。 「…楽になりました?」 「えっていうか、え、あ…!なんかすごい楽になってる!」 「良かったぁ…。」 シズクはそこで初めて普段のように笑ったが、ちょっとふらついて壁にもたれる。 「シズク!?」 「俺の事は気にしないで下さい。マキさんの役に立つ事がしたいだけですし…って、いつも言ってるじゃないっすか。」 シズクはへへっと笑ったが、明らかに疲れている様子は否めない。 「と、とりあえず帰って一緒に休もう。…説明はあとでしっかり聞かせてもらう!」 「はい。」 …微笑み合って安心した次の瞬間、ガチャッと壁沿いのドアが開く。 「「わ゛!?」」 我々は即座に壁から飛び退き、ドアを凝視する。こ、こんなところにドアがあったとは…! 中から出てきた居酒屋の店員らしい青年は、おもむろにゴミ袋を外に置きやや不審そうな顔で一瞬こっちを見たが、とくに突っ込むでもなく中に戻っていった…ほっ…。 ほっ…もつかの間、私の脳裏にトンデモナイ疑念が渦を巻く。 「え、も、もしやさっきのキ、(キス)見られた……?ま、まさか、まさかな……いや、そもそも別にいわゆる路(キス)ってあれだよなその、犯罪とかではない…よな?ブツブツ」 「マキさんさっきから何ぶつぶつ言ってるんすか?」 「いや、何でもない何でもないんだってばよ…ただ、これからは本当に、こういう事外ではやめたほうがいいって話だわさ。…早急に帰ろう。」
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