不安だらけの摩天楼

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「…遅いっ!!」 シズクは部屋に入るやいなや、泣きぬれた顔で買い物袋を投げ置いた。 「リアルに締め出されたと思ったんで、エントランスで全部食うとこでした。」 が、シズクに息つく間も与えず、伊澄は非情な口調で宣告する。 「ご飯食べたら解散になったんで、食べ終わったらあなたは『自力で』帰って下さいね。」 「はっ解散?えっ自力??」 「はい。先生は俺と、ゆっくりドライブして帰るんで…」 ねえ?とさも当然のように話を振ってきた伊澄に私も『へっ?』と奇声を上げた。 「…んー。まあ、でもこのまま送ったら確実に下ろしたくなくなっちゃうんで、仕方ない、ペット同伴可にしましょうか。」 「あぁ…。」 私のホッとした表情を見て、少し残念そうに微笑む伊澄が気になってしまう。 ただ、早く帰って眠りたい気持ちも強いのだ…。 いまいち事態が飲み込めてないシズクと私を家まで送り届けると、伊澄は車のウィンドウをおろした。 「じゃあ先生、また学校で。」 「あ、うん。今日は本当に…ありがと。」 『ごめんね』というのは気が引けて、中途半端な音量になってしまった。それでも伊澄は軽く手を振ると、何事もなかったかのように車を出す。部屋でのやり取りが嘘みたいに、礼儀正しい…というかちょっと、よそよそしい。 抱きしめられて寸止めまでされたのにな…?もしかして私、キスできなくて残念…とか考えてる? …私はホントに、いつからこんな図々しいアラサーになっちゃったんだ? ・・・ …部屋に戻ってはきたものの、どこよりも心安らぐはずの空間で私は、伊澄の部屋とはまた別の緊張に襲われていた。 今度はね、シズクの目つきが…なんだか不穏なのだがね??とりあえず私は、わざと『アダルトなムード』にならないよう心がける事にした。 「いやー、あれからばたばたでごめんね!伊澄と色々長話しててさ~。」 何事もなさそうな顔でソワソワしまくっていたシズクは、ビクリと体をこわばらせる。 「え…俺のことはいいんすよ?ホント、マキさんは優しいっすね…『ペット』にも。」 シズクの笑顔に影が差す。どうにも、伊澄と海でやり取りしてから、自分が人間ではないことを気にしているように見えた。…せっかく人に戻ってくれたのに、どうしてそんな悲しそうな顔をしなくちゃいけないの? それがなぜか知っていながら、つまりシズクの気持ちを分かっていながら何もしようとしない自分には、ほとほと嫌気がさしてしまう。グロッキーな気分が顔に出ないように『当然じゃん』と言いながら、シズクにシャワーをうながした。 余談ながらシズクは、『水槽の水が汚れる』という理由でいちいちシャワーを浴びる変なお魚なのだった。 互いにシャワーを浴び終えると、案の定シズクはなかなか水槽に戻らない。うっ…本日のセカンド・バトル開始の予感…赤コーナーはディフェンディングチャンピオン・前田マキ…。解説は元チャンピオンの前田マキさん、実況はアナウンサーの前田マキでお送りいたします(カンカンカンカーン!!!!)。 なかばパニックで、脳内ボクシング仕立てな私を差し置いて、人間のままのシズクは『マキさん』と声をかけてきた。 せ、先制パンチが来た。 「うん?」 「今日、人間のままでいていい?」 「…っ。」 シズクは頬を赤らめた。 「ホントはペットがこんなこと言うべきじゃないのも、こんなこと言ったら困らせるのも、分かってます。でももう、俺決めたんっす。後悔しないように生きるって。もちろんマキさんが嫌ならやめる、マキさんを不幸にはしたくないんで…でも、その前に教えて下さい。恋愛感情を持った俺に近づかれるのは……嫌?」 「き、急にそんなこと言われても…混乱する。」 だって、シズクは私のペットなのだ。今日海で感情を伝えられるまで、ずっとそのままでいいと思っていた。『好き』と言われて、嫌だとか気持ち悪いという気持ちは一切ないのは確かだ。ただ、いつかその気持ちに応えられるようになるのかは、まだ分からない…。 私は素直にその気持ちを、シズクに伝えた。私の話を聞いたシズクは、ホッと息をつく。 「…分かりました。なら…俺今日、ホントに命がけで告白したんですよ。マキさんの気持ち次第では、これから一生魚のままになるかも、それどころかもう一緒にいられなくなるかもって。だから、少なくとも嫌じゃないなら…人でいさせてくれませんか?」 うぐ…そうきたか。ならばここは一応、カマをかけて…。 「でも…寝る場所ないよね?」 『一応』確認したつもりだったが、シズクの答えは『案の定』だ。 「ぜっ、ぜっぜぜぜったいなんにもしない、からさ…」 ごくりと二人が息を呑む音が、部屋に響く。 「…一緒にベッドで寝てもいいですか?」 ま、まま…マジか「ま、まままマジか。」 「ま、マジ…です。」 伊澄も伊澄で頑張っていたが、確かにこの子も、大層頑張っていた。そりゃもう、そもそも海までどうやって来たのよってとこから、ご飯パシられてドチャクソ重そうなスーパーの袋引きずって戻ってきたとこまで、今まさに顔真っ赤にして正座してるこの瞬間まで、君はもう今日、頑張りまくってるよ。ただ、私との添い寝でそれを報いることになるとは、なにかのバグとしか思えないのだが……… 「ほんっとに何もしないと言うなら…ベッドの一部を使わせてあげましょう…か?」 言ったそばからシズクはガバッと身を乗り出してくる。 「マッッジすか!!!」 「ああああ!!だからほらほら、他意はないのよ??あくまで硬い床ではない領地の一部をお貸しいたしますっていうただそれだけ…ね??」 「あっ、あああもう、そりゃもう、そりゃーそうです!ぜっっったいにやらしー事しないって、誓いますッ!!」 「お、おうっ…?」 文脈にそぐわぬ暑苦しさで『添い寝のスポーツマンシップ』を宣誓したシズクは、さっ寝ましょうやと球児ばりのハイテンションで私をベッドにひきずっていく。 「はいっ、詰めて詰めてー!」 「うおわああ、せっま!ベッドせまっ!!」 「あはっ、あと超〜暑いっすね!!」 「おふっ、くっついとるくっついとる!!緊張するから離れてっ!」 「いやでも俺マジ、落ちそうっす!サッセン!!」 …いやもうどういう雰囲気だよ。カオスが過ぎて、いっそエロよりしんどいわ。 互いのスポーツマンシップに則って、身体が接触するたび「サッセン!」「ッス!」を繰り返すこと1時間。そろそろマジで眠くなってきた。シズクがずっとこっちを向いて寝ているのが気になってはいるものの、向き合ってしまっては不健全ルート一直線突入、かといって背をむけるのも何か感じ悪いというマナー意識により、私は仰向けで死体のように硬直していた。 しっかし眠いアンド眠い。からの『なんかもうぜんぶどうでもいい』が脳内に満ち満ちたついでに、前から聞きたかったことが口をついた。 「シズクはさ…どこからきたの?」 シズクは困ったようなため息になった。 「…記憶がなくて。すみません。」 「謝ることじゃないよ…。」 「いや、でも。」 シズクは『情けねぇ』と呟き、狭いベッドの上で頭を抱えだした。モゾモゾという衣擦れの音を聞きつつ半ば意識を手放していると、ふいにシズクが問いかける。 「マキさんは、どこからきたんですか?」 「え…どこって、遠いところ…かな。」 眠りに落ちる寸前で、さらに小さな声がした。 「マキさんの好きな人は、だれですか?」 私の好きな人…それはもう、ずっと前からあの人だ…… 「イズク…おじちゃん……」 ・・・ スマホのアラームで目を覚ますと、何やら足がひやっこい。 「んむ…なんじゃこら…」 「あ、マキさん、おざます。」 「おざます…」 あー、何やらまだ頭がボンヤリとしている。っていうかこのひんやりしてるの、なんだろ…あ、シズクの脚か… 「あはっ…ひんやりしててきもちいい~」 絶賛寝ボケ中状態の私はさらなる快感を求め、シズクの美しい筋肉と我が大根足を遠慮なく擦り付けた。次の瞬間、ガバアという音と同時にイケメンが私の上に覆いかぶさった。 「っマキさん!!」 「…え。」 『気持ちいい足の持ち主』が『完全興奮状態の美青年』と気付いた瞬間ひゅっと喉が鳴る。と同時に、シズクは我に返った。 「すいません!俺、あいつみたいな事…」 アイツとは十中八九、我が教え子のこったろうが… 「…頭冷やしてきますっ!」 正直何が起きたのか把握しきれていない私は、上着を羽織ってどこかへ出て行ったシズクを『はぇぇ』なる間抜けな音声で見送ることしかできないのだった。 シズクは出ていったきり、中々戻ってこない。日も傾き始めてきたので、さすがに心配になった私は、捜索するかと家を出た。にしても昨日はよく寝れたんだよなぁ…たぶんシズクのおかげなんだよなぁ……でも何かこれ、私ばっかいい思いさせてもらってるみたいで良くないんじゃないかなぁ…… 今日一日中考えていたことを反芻しつつ近所を徘徊(捜索のつもり)していると、近所の広い公園の中にシズクの姿があった。 しかし、シズクの目の前には1人の女性…ってこの状況、何回か見たことあるわ。あの子、また逆ナンされてる… とりあえず様子を見るため近づいてみる。しかし、シズクに話しかける女性の姿を見ていると、悲しい記憶が呼び起こされてきた。 『あの人』がいなければ、今もイズクおじちゃんは私の近くにいた…?
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