写真で脅されて

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写真で脅されて

都内の大学生・陶野 伊澄(とうの いずみ)は、その日とんでもないものを見た。 『見た』というか居酒屋のバイト中、換気扇のすきまから『見えてしまった』。人通り皆無の裏路地から声がしたと思えば、見知らぬ男女のディープキスって…いや、まだランチの時間なんですけど。白昼堂々良い大人がさあ…。伊澄は鼻で笑ったが、俺も痛み分けかと真顔になる。そこで伊澄は、ふとある事に気が付いた。 …あれ第二言語の、前田とかいうやつ? 伊澄はスマホを取り出し、彼らの痴態をなんとなく激写する。同時にキッチンから先輩の声が響いた。 「伊澄、ヘルプ!」 「あ、行きまーす。」 伊澄はタイミングを見計らい、何の感情もないモブ顔でゴミを出す。つつも、さりげなく女の顔を確認…間違いない、前田だ。バタンとドアを閉めた後、もう一度スマホの写真を確認し、苦笑しながら呟いた。 「わー…。まじ?」 ・・・ 帰宅するやいなや、シズクは水槽に戻ってしまったので、キス的行為の意味は問いただせなかったが、私も大人しくベッドに入っていることにした。 あれは一体なんだったんだ?行為そのものこそアブノーマルだが、実際はただ私を助けてくれただけだった…。 翌日。出勤準備をしていると、シズクもようやく水槽から出てきた。 「おはようございます。体調大丈夫ですか?」 「あ、おはよー…うん。私は全然!そっちは?」 「俺も全然大丈夫!です!」 「ところでさ…昨日の『あれ』…一体何だったの?」 「あぁ、『あれ』は…」 すっかり元気になった様子のシズクに尋ねると、それは『口移しで相手を癒す技のようなもの』だという。人間に変身できるようなレベルの高い魚が人間に対して行える技であり、自分も体力を消耗する。 シズクから聞けば聞くほど、とにかく見た目が『あれ』なだけでなんらやましい行為ではなかった。なにより、過剰に反応している自分が恥ずかしくなるほど、あの時シズクは真剣だったのだ…ただ私を助けようとして。 このことについてはただ『助けてもらった』ということにしておこう。かつ、今後絶対…とくに外では、やってもらわないようにしようと心に決めた。 シズクの不思議な技のおかげか、私の体調はほぼ普段通りに戻っていた。病み上がりにしてはよく頑張ったマキ!というわけで、私は今絶賛、本日最後の授業に挑んでいる。 …なにせ最後のコマなので、堂々と寝る生徒も多い。といっても、ここは大学。授業を聞かずに単位を落とすのも『自己責任』で、講師がいちいち学生にはっぱをかける必要は、別にない。 そんな中、誰よりも真面目に授業を聞いている事で逆に目立っちゃってる生徒が一人いた。目立たない位置に座ってはいるが、ほぼ誰も授業を聞いてないので一人だけぽっかりと浮いたように目立っているのだ。 明るい茶髪のパーマで、黒縁眼鏡をかけた男子学生。どこか暗い瞳が特徴的で、…まて、見てるのは板書ではなく…私か?なぜか背筋がぞっとした。 講師のくせに気もそぞろなまま、授業終了のチャイムが鳴り響く。 「あ、次回小テストありまーす…」 ガヤガヤ出ていく生徒達よ、ちゃんと聞いているのか…?軽くため息をつき授業用具一式を持ち上げた瞬間、教卓前を歩いていた男子集団とぶつかり派手にそれらをぶちまけてしまった。 「うおっ、すいません!」 「はい、先生」 「あーありがとう。」 ぶつかった生徒達は、散らばった私の荷物を拾って手渡してくれた。大人しめな子たちで良かった…醒めた目の学生もいなくなっていて、私はなぜかホッとした。 ・・・ 教室を出て歩いていると、ふいにある事に気が付いた。 「て…テキスト一冊足りないじゃーーーん…???」 集団とぶつかった拍子に無くしたか、あるいは誰かが間違えて持っていったのかもしれない。何気に次回予告した小テストの解答を挟んじゃってるから、無くしたとなればちょっとした惨事だ。 「ま…じか~。」 プチパニックになった私は、とりあえずさっきの教室に戻ることにした。 「222教室…ん?」 電気が消えた教室には、なぜか人気がある。教室自体に窓はなく、中から分かるのは音だけだ。残念なことに業後の校舎は他に人影もなく、謎の教室に単騎突撃する勇気は私にはない。 参ったなぁ…。まあ、とりあえず偵察するか。しかし、耳をそばだてる私は大いなる絶望に見舞われた。『はぁ』だか『あ』だかなんだかその他諸々…学生同士の『18歳未満には刺激が強いコンテンツ』的音声が、我が鼓膜を震わせたのだ。 お……オオオオォイダレダァッ!! 学び舎で不純異性交遊する、ふらちな生徒ワアアアアッ!! 内心怒り狂ってみながらも、面倒事には巻き込まれないのが前田マキ。ここは大人の対応できっちりと…帰ろっ☆ しかし、一旦きびすを返したものの、失くした小テスト解答が気にかかってしょうがない。私はなぜ明日、小テストなんて仕組んだんだ!!そもそも、十中八九生徒同士の『こういう現場』に遭遇してしれっと帰宅しちゃうのは、非常勤であるにせよ講師としてどうなんだ…でも面倒事は嫌だ…だあーっ、めんどくせえ!かくなる上は非常勤の意地を見せつけてやる!おれは非情勤ーッ! 私は怒りに任せてドアを開け放った…訳ではなく、とりあえずドア越しに男女の息遣いを聞き悶々する事にした(逃げ帰らなかっただけマシと捉えてほしい。) すると、ドアの向こうから『じゃ帰るね』という女子生徒の声がするではないか。安堵と同時に喫緊の問題も浮上する。 …やばい遭遇するやばいやばい! ヘタしたら『逆に変態』扱いされるっ! 私は死ぬ気で廊下をサイレントダッシュし、曲がり角に身を潜めた。もう!最近こういう事多すぎるよっ!!泣 ガラ、バタン…コツコツ…コツコツコツ… 幸い女子生徒は反対側から去ったようだ。よ、良かったぁ〜。…安堵したのもつかの間、教室にはまだ『あと一人』残っている。『男』の方だ。ま、事態が事態なだけにすぐ出てくだろ。私はその地点で、とりあえず男子が帰るのを待つことにした(頼むから、逃げ帰らなかっただけマシと捉えてほしい。) ・・・・ ・・・ 『待つことに…』からおよそ30分。 …ぜんっぜん出てこねぇんだけどもぉぉぉお?? 時間も時間になってきたので、これは最悪学内に閉じ込められかねない。シズクも心配してるだろうな…。もう疲れてきちゃった私はようやく意を決し、222教室に乗り込むことにした。あわよくば居ない事を祈るッ!…ガラッ。 暗い教室のドアを開け放った瞬間、私の頭にガーンという衝撃が走る。 電気を消したままの教室では男子が一人、教卓に腰掛け、何かを見ていた。暗がりに目を凝らすと、それはまごうことなき小テスト解答入りの私のテキスト…って、 まだ居たんかーい! アーンド! お前が持っとるんかーい!!!! 茫然自失の表情で、私は教室のライトをつけた。すべてのライトが点灯した瞬間目の前に現れたのは、明るい茶髪に黒縁眼鏡の『あの』学生だ。何より印象的なのは、眼鏡の奥の『死んだ魚のような目』だった。 いや…授業で浮いてた子だよーっ(泣) 何かもう色々と不吉すぎるよーっ(泣)(泣) ガックゥゥと膝から崩れ落ちそうな私に畳みかけるように、彼は声をかけてきた。 「忘れ物ですか?」 腹が立つほど落ち着いた様子の彼は、何ともけだるい空気をまとっている。身なりがどうこうじゃなく、雰囲気だ。シズクのよりもいくらかドロッとした『謎の色気』がある。 「あっ、えっと。」 しまった、一瞬気圧された。私が言い淀むが否や、彼はテキストをぱんと閉じてけだるく笑うと、そのままそれを差し出してきた。 う…その手で。 『それなりの状況※R18』を踏まえてるだけに、はっきり言って触りたくはない。が、状況が状況なだけに受け取らない訳にはいかない。それに…さすがに少しは注意しないと。私は唾を飲み込んだ。 「あの、さっきここで何して…「なんですか?」 わざと声を重ねてきた生徒の瞳に、鋭い光が走る。あっこれ無理なやつだ。 「…なんでもないです、ありがとう。」 私は条件反射的に愛想笑いを浮かべた…無理だった…。とりあえず、もうホントになんにも聞かなかったことにして、アジトに帰りましょっ! しかし、満面の愛想笑いでテキストを受け取ろうとするも、なぜか彼は手の力を緩めない。 「…?」 テキストを引っ張り合うようなかたちで首を傾げると、彼の瞳は完全に『脅しモード』に入っていた。 「…誰にも言わないでくれますか?」 仄暗い光を放つ上目遣いが、ぞっ…と胸を貫いた。 「え‥な、何を…。」 私はもう、目をそらしてすっとぼけるのが限界だった。彼は黙り込み、私をじっと観察している。ふいにテキストから手を離すと、ポケットからスマホを取り出した。 「勘違いですかね?『偶然写っちゃった』んですけど。」 言葉と眼力には、静かな圧が籠もっていた。スマホの画面を見て、いよいよ私の膝から力が抜けた。画面の中では私とシズクが…その、何ていうか。『路上でディープな感じ』になっていた。 一体、どこでこんな写真…瞬間、私はすべてを思い出す。 …この子居酒屋の裏口にいた子じゃーんッ!! 居酒屋の中から、生徒に盗撮されていたとは。全身から血の気が引き、震えが止まらない。歯の根を鳴らす私の恐怖を愚弄するように、彼はわざと私の耳元でささやいた。 「僕ら『同類』みたいですね。」 「どっ…!」 なぜ私を脅すのか問う隙も与えず、生徒は綺麗な作り笑いで教室を去った。震えが止まらない私には、彼を追いかける気力などなかった…。 ・・・ 真っ白な頭のまま帰宅した私を、心配顔のシズクが迎えてくれる。 「あ!ちょうど今、探しに行こうと思ってましたよ~。」 「ご、ごめんごめん…ちょっと、用あって。」 脅された理由はシズクとの行為にあるが、シズクが善意でやってくれた事に責任を感じさせるのは嫌だった。とりあえずこの事は、シズクに秘密にしておこう。 シズクが水槽に戻ってからパソコンを立ち上げ、本来学内からしかアクセスできない教員用ネットワークをさっくりハックして学生を探す(うちのシステムは割と脆弱なのだ)。 …陶野伊澄。 写真から辿って詳細データを眺め始めた私に、衝撃が走る。成績トップで入試合格、学内成績優秀者の奨学生。児童養護施設からの奨学金も受け取っていて…つまり、親はない。私と同じだ。そんな彼が、どうしてあんな事を… それ以上踏み込むなと本能が告げている。しかし、シズクとの写真をSNSでバラまかれでもしたら…。それ以上に、彼の仄暗い瞳の放つ力は脳裏に焼き付いて離れない。 結局その晩は、一睡も出来なかった。
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