陶野家の一族

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陶野家の一族

翌朝。目覚めた瞬間目に入ったのは、シズクの顔だった。 「おはようございまーす、マキさん。」 「どわっ!お、おはよう…。」 シズクはベッドに両肘をつき、国宝級の笑顔を見せる。カーテンの隙間から差す朝日の5000ルクス倍眩い。私はウ゛ッと、ゾンビばりにうめく。そういえば、部屋に伊澄の姿がない。 「…伊澄は!?」 「早朝に出ていきましたよ。『約束』とかいって、俺らの写真も消して行きました。あいつあの時の店員だったんすね!」 「あ、そう…。」 写真が消された事を知りホッとする。にしてもシズク…しっかりしてんな〜。 今回の『盗撮事件』を経て、シズクの成長が良く分かったわ…脳内で特殊対策本部の幕が下ろされ、トップのおっさんが号泣していた。きっと同じ年頃の息子でもいるのだろう。 それに何より、これで伊澄とはただの講師と生徒…。彼の事はどこか引っかかるが、その時ばかりは正直ホッと胸をなでおろした。 …『その時ばかり』は。 ・・・ 前田宅でのゴタゴタの翌日、伊澄は久しぶりに興味の湧く話を聞いた。情報源は、同じくマキの授業を履修している女子学生だ。 「最近伊澄、ちゃんと授業出てんねー。もしかして、バイト暇なん??だったら2人でどっか行こー」 「や、ごめん普通に忙しい。」 「つめた!学校で『あんなこと』までしたのにー?」 「…一回だけって事で合意してただろ?」 一回ヤッただけで彼女面すんな…伊澄は内心毒気づく。しかし女子生徒は悪びれる風もない。 「ていうか、伊澄と会うのこの授業でだけなんだよねー。もしかしてこの授業だけ真面目に出てんの?それも、講師の前田目当てとかだったり?あいつ、意外と若いじゃん。地味だけど。」 「なわけねーだろ?しょうもない事言うな。」 「こっわ。あ、前田といえばだけどー、すっっっごい変な村出身らしいよ。」 女はスマホを見ながら勝手に話し続けている。話の興味が前田に移ったのは良いが、誰でもいいからどこかで得た知識を披露したいだけだろう。間違ってもこういう女に大事な話はしないほうがいい。 所で昨日俺が前田の部屋に泊まっていて、かつ彼女を犯しかけたって聞いたらコイツはどんな反応を見せるんだろう。伊澄は己が教訓を思い出し、即座に踏みとどまる。爆速で構内中に広まって、前田共々ヘタしたら退学だ。女は勝手に勢いづく。 「なんかー、村中で『神』とか崇めてるらしい。普通にヤバくね?」 「神?」 伊澄の興味を惹けた女は、嬉々として身を乗り出した。 「そう!あたしも人から聞いただけだけど、何か村の動物が『神』扱いされてて、そんでそれ…ヒトに化けるんだって!村全体で信じてるとか、頭おかしくない?…て何…どしたの?」 伊澄の目は一転して、切迫した真剣さを纏っていた。 「それ、本当?」 「え…ホントかは知らないけどぉ…ちょっと待ってよ!」 伊澄は黙って席を立つと、静かに女に笑いかけた。 「…ごめん用事思い出した。またな。」 「えー…。」 女子生徒は、伊澄のどこか怜悧な微笑みに頬を赤らめた。 女子と別れた伊澄は、そのまま今朝出てきたばかりのマキの部屋へと歩き始めたのだった。 ・・・ 陶野 伊澄に親はない。伊澄の母親・陶野 涼子は、伊澄が高校1年生の時自殺していた。また、伊澄が誕生したときすでに故人となっていた彼の父親に関しては、名前はおろかその写真すらも残っていない有様だ。 伊澄の母親は、民俗学をフィールドとする研究者だった。地域の伝承、言い伝えを調査し、分析するのが彼女のライフワーク。そして彼女はある時期から、死力を尽くしてある『村』の研究に没入することになる。伊澄自身も詳しいことは知らなかったが、死んだ伊澄の父親とその『村』には何か、のっぴきならない関係があったらしい。 何はともあれ、彼女は死んだ。それも自ら、命を絶って。第一発見者である伊澄が彼女の縊死体とともに発見したのは、デスクの上に置かれた彼女自身による『論文』だった。その論文は例の『村』と、その伝承についてまとめたもの―伊澄もそれまでに読んだことがあった―であったが、最後にリョウコの筆致で書かれた言葉だけが、初めて見るものだった。 『もう一度 あなたに会いたい』 その美しさを駆使してメディアにも露出していた事もあり、涼子の死は世間的にもそれなりのニュースになったが、その死因は『研究費不足による活動の行き詰り』など、それっぽくあっさりと片付けられた。しかし、伊澄は確信していた。『あなた』とは、論文の『村』にゆかりがある死んだ父親のことだろう。つまり涼子は、死んだ父親が忘れられなくて自殺したのだ。 名も知らぬ父親とは、そもそも何者だったのか。『村』と父親の繋がりは?そもそも彼はなぜ死んだ?様々な疑問が脳をよぎる。 母の本当の死因を知るべく、一時期は父の素性を探ってみもしたが、じきに疲れた。なにひとつ情報は残されていなかったのだ。肝心の母の日記らしきUSBメモリも発見したが、ご丁寧にパスワードがかけてあり、それを知る由もなかった。 女子生徒が話していた、前田の出身地であるという『村』。動物を神とし、またそれが人に変化する特徴から見ても、リョウコの研究対象に間違いないだろう。ひどく閉鎖的で、村人に話を聞くこともままならなかったというあの『村』出身の者が、こんなに近くにいたとはな…。 マキの家に向かう伊澄は、隠していた感情がふたたび熱を帯びるのを感じていた… ・・・ (ピンポーン、ピンポーン) 「チッ誰だよこんな時間に…こっちはヤクザと揉めとるんやぞ」 午後からオフでプレステソフトを楽しんでいた私は、舌打ちとともにノンアルチューハイの缶を置いた。 (ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン) 「あーもうしつこいな!フィジカルブロウかましたろかい!!ンンッ、どちら様で…」 裏声で覗き込んだモニタの先には、今朝方今生の別れを誓ったはずの伊澄が、死ぬ程死んだ瞳でたたずんでいる。ゲッ!という奇声を私はどうにか飲み込んだ。 「と、陶野君…どうしたの?忘れ物か、何かかな…あいにくそういったものは絶対にこの部屋のどこを探してもないと思うけど…」 「…突然押しかけてすみません。どうしても、先生に個人的にお聞きしたい事があって。先生の出身地についてです。」 「…え?」 …なぜ私の出自を知っているのか? 「すみませんが、他の住人の方が来そうです。良ければ…中に入れてもらえませんか。」 伊澄の切迫した表情には、何かただならぬものが潜んでいる。圧に負け、私はため息をついた。 「わかったけど…変な事したら、すぐニンジャ来るからね?」 「何もしませんってば…。」 「ホント、すぐに来るからね?すぐだよ??」 「はいはい!」 伊澄の背後に本当に他の住人が見えたのもあり、私はしぶしぶオートロックを解除した。バイト中でシズクがいないのは、めちゃくちゃ不安だが…と思いつつ。 「突然お邪魔してすみません。」 玄関ドアを開けると、伊澄は礼をした。 平静を装う私の頭の中は『謎の理由で伊澄がまた来た』より『テレビ画面のヤクザゲーム見られてないかな』で支配されていた。さりげなく背でテレビを隠す私に反し、伊澄は部屋の中の様子など気にも留めていないようだった。 リビングに足を踏み入れた伊澄は、立ったままでこう告げる。 「単刀直入に言います。先生の『村』について、知っている限りのことを教えてほしいんです。」 「と、突然何言い出すかと思えば…。」 困惑した表情を見せる私に、伊澄はさらに畳みかけてくる。 「先生は、〇〇村出身…ですよね。」 伊澄は静かに顔を上げ、やや上目気味に私を見た。無言で圧倒するような、それでいて彼自身も怯えているような目だった。確かにそうだが、胸騒ぎがする。 「そうだけど…どこにでもあるただの過疎地域だよ?」 「とぼけないで下さい。あなたがあの村の秘密を知らないわけがない。」 この子は知っているのだ、『彼ら』を。 「単なる興味本位じゃないんです。お願いします。」 「待って。なんでそんなに必死なの?!君…普段と全然様子が違うよ。」 私の問いかけに、伊澄はやや自我を取り戻したようだ。 「すみません…僕の話を聞いてもらえますか?」 「分かったから、とりあえず座りなさい。」 これはひとまず、話を聞くしかなさそうだった。机を挟んでようやく腰を落ち着けた伊澄は、彼の両親と『村』の関係について、静かに語り始めた。 「それは、なんていうか…」 端的に言って、重い。重すぎる。ノンアル片手にだらけていた数十分前からの落差がすごすぎる。伊澄は勝手に言葉を継いでいく。 「壮絶ですよね。」 「や、そんなことは…。」 「あ、『凄惨』?」 「言葉のチョイスじゃないって。ただちょっと…びっくりしただけ。そもそも陶野君が、あの陶野涼子の息子とは!ってとこからだし。」 「そうですか?似てるとはよく言われましたが。」 冷静に俯瞰してみると、顔のパーツなどは確かにそっくりだ。ただ、テレビに出ていた陶野涼子は明るい美人という感じで、こんな顔絶対にしないはずだ。だが彼女から笑顔と眼光と生命力を除去したら、きっとこんな顔になるんだろうな。伊澄は顔をまじまじ見つめられていることにも気付かず、言葉を続けた。 「母はフィールドワークで何度も村周辺へ足を運んでいたようですが、毎回村の内部に足を踏み入れることもできなかったようです。村の方々は、外部の人間をよっぽど嫌っていたんですね。」 「うーん…みんな照れ屋だったからかな?」 「…『照れ屋』。」 伊澄は嘘を見抜こうとしているが、別に嘘ではない。というか、そもそも私にとってあの村は、中学に入るまでそこにいただけだし、どちらかというと良くない思い出ばかり残る場所だ。実際、他の村人とは距離を置き、育ての親であるおじちゃん以外に心を開ける者もいなかった。 「まぁ、実際のところ、外部の人を追い返してたのは『人じゃない者』の仕業かもしれないけどね…。」 「…教えて下さい。『神』について。」 彼の切実な事情を知ったばかりの私は頷き、わかっていることを語り始めた。 私が生まれた村には、古くからある『神』が信仰されていた。みなはそれを『伴神(ともがみ)』と呼んでいた。 村の家系それぞれに決まった伴神がついていて、ウサギ、トリ、イヌ、イノシシ、オオカミ…などそれぞれの姿をもっていた。 彼らは文字通り人に『伴い』、その家の者を守る。その代わり、村人は彼らに尽くし、供物や住居を与えることで共存をはかっていた。普段動物の姿をとっている彼らは、人に変化することもできるが、めったに人になることはない。それなりに身体に負担がかかるためだ。人の言葉を話し、人以上の知恵を持つ存在である伴神の存在は、外部に漏らしてはならない秘密とされていた。 …ここから先は伊澄に話していないことだが、私の家系にだけは、なぜか『伴神』がいなかった。村ではその事でよくいじめられたものだった。おじちゃんが消えた後、すぐ都会に出ることを決めたのは、村の居心地が悪かったせいもある。 禁忌を犯して分かっている範囲の事を話してみたが、伊澄はいともあっけなく『やっぱりな』と頷いた。 「…何その反応?結構覚悟して話したんだけどさ…てか、知ってるんなら来た意味なくね??」 捨てた故郷といえ、謎の敗北感に包まれる。しかし伊澄は視線を机に落としたまま呟いた。 「すみません。涼子の研究はある程度知っているので…彼女、命を懸けてましたから。」 あくまで冷静だが、声にどこか憎しみがこもっている。…やべっ、なんか地雷っぽい。この部屋の平和のためにも、涼子に意識を向けさせないようにしなければ…。私はひそかに決意した。 「…で、どうするの?」 何も教えることがないなら、出る幕はないだろう。しかし伊澄は真剣に言い放った。 「これから一緒に、村に行ってくれませんか?」 「ファ??」 「実際に村に入れば、何か新しい事が分かる気がするんです。」 「何かって…バチクソ遠いしそもそも私だって、もう中入れるかも分かんないし…」 まあ理由は色々あるけどさ、君と2人で遠出するのも怖くて仕方がないのだよ。お察ししておくれよ。しかし伊澄の熱量はなぜか反比例的に増大していく。 「お願いします。交通費は出しますし、なんなら謝礼もお渡しします。」 いかんこの子、己の研究に対するエネルギーがやばい。この辺りは母の血を受け継いでるのだろうか。 「謝礼?何言ってんの生徒のくせに…」 そういう問題じゃないよと手を振ると、伊澄は急に黙り込む。 「…じゃあ、生徒としての頼みなら聞いてくれる?」 低い声で呟くと、伊澄は机の上に置かれた私の手に、自分の手を重ね合わせた。 「!?」 伊澄は何も言わず、ただ私を見つめる。伊澄の手はとても熱かった。強い力で押さえつけられているわけではないのに、なぜか手が動かせない。見つめられたままの瞳も、なぜか1ミリも反らせない。身動きできない私を見つめる伊澄の瞳に、力が宿る。 「…いけませんか?」 私の口から言葉が滑り出る。 「だめ…じゃ、ないけど。」 あれ?何でだめ…じゃないんだ? 「ご協力、感謝します。でもせめて交通費は、先にお渡ししておきますね。」 伊澄はぱっと手を離し、リュックから財布を取り出した。 「え、えぇぇ…!?」 「確かにバチクソ遠いんで、今すぐにでも出発した方が良いですよね…40秒後でいいですか?」 「はっ?ラ〇ュタなの?ってか見て!私!ジャージ!ノーメイク!!フリーダム!!!」 「先生は、ジャージノーメイクでも可愛いですよ…(微笑)」 伊澄のこの上なく甘い声色が私をズキュンと貫いた。状況が違えば妊娠していたかもしれない。 「やめなさい先生に向かってそういう事言うの!!…ま、じゃあファンデだけでいっか」 「チョロいなー…何でもありません。あ、あと28秒ありますから、ゆっくり支度して下さいね。」 「クソッ!何でこんなことに…」 何だかんだで私は、なんの因果か伊澄と2人で故郷を訪れる羽目になってしまったのだった。 とりあえずシズクには、『夜までかかる仕事』とだけメッセージを残しておいた。生徒の付き添いだから、『仕事』といってもあながち間違いではない…のではないだろうか。
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