最凶のふたり

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最凶のふたり

地下鉄、新幹線、在来線、私鉄、路線バス。 ありとあらゆる手段で都心を離れた私達は、路線バス下車後の約2キロ地点を歩いていた。バスを下りたと思ったら謎に2キロも歩かされ、のみならずさらなる緑の深淵へ分け入らんとする私に伊澄は声をかけてくる。 「あの。…ホントにここで合ってるんですよね?」 「え?大丈夫大丈夫…あっ、あった!」 村入口目印のお地蔵さんを見つけた私は、嬉々として周囲の林に身をねじ込んだ。 「アー懐かしわー(ガッサアアア)」 「ちょ、ちょっと何やってるんですか!」 「何って、行くんでしょ?村。」 舌打ち混じりの私の後から諦めたようにグリーンにねじ入る伊澄は、そこから見えた風景に息を呑んだ。 「…すげぇ。」 そこには我が故郷が一面に広がっているのだ。 「はい、麗しマイタウン〜。」 「いや、『タウン』じゃないし。ていうかもう住民票ないでしょ。」 「うっうるさいな!雰囲気壊すな!」 伊澄は平然と話題を変える。 「にしてもこんな所から入るとか、想像つきませんでした。」 「あ、外部からだとここからしか入れないんだよ。っていうか地図に載ってる道、ダミーだから!」 「マジでヤバいですね、この村。」 「でもスリリングな日常の方が、ワクワクしない?」 「あ、日常にスリルはいらないんで。っていうかテンションおかしくないですか?本来の目的見失わないで下さいよ…。」 「た、楽しんでないけど…ただちょっと誰かと旅行するの久しぶりで…。」 「だから、そもそも目的が旅行じゃないんだって…。」 伊澄と騒いでいると、背後から声がした。 「あれ、前田…さん?」 振り返ると、私と同年代くらいの女性と腰の曲がったおばあさんが立っていた。間違いなく村の住人ではあるはずだが、正直全然覚えがない。 「あ、元同級生のサヤカ。覚えてない?」 「…あー、久しぶり。」 ぎこちなく笑った私の脳裏には衝撃が走っていた。 …思い出したぞこの不自然な標準語…小学生時代のいじめっ子、サヤカではないかッ!!私の手袋何度も盗んで、これみよがしに理科園の池に落としやがって………っ それ以外にも、私の家に伴神いないのをダシに、あんなことやらこんなこと…数々の悪行、忘れもせぬわい!ムラムラと思い出しアンガーが心を焼くが、どうにかそれを深呼吸でマネジメントした。 「スゥゥー、ハァー…」 「先生、大丈夫ですか?」 「あ、大丈夫大丈夫(ハァァァースゥゥゥー)」 落ち着けマキ、深呼吸深呼吸。サヤカはこれ見よがしに笑うと、さらに言葉を継いだ。 「生きてるかも不明だったけど、元気そうで何よりよね〜。あ、そちらは?」 「ちょっとした知り合いです。この村に興味があって、案内してもらってます。」 サヤカは思いがけないイケメンの登場に、やや動揺を隠せない。 「ふぅん…何の面白みもない過疎地域だから、田んぼで良ければじっくり見てってね。」 『この子たぶんお前よりこの村の歴史とか詳しいぞ』って言いた過ぎて死にそうなんですが。しかし伊澄も中々揺るがない。 「ありがとうございます。僕生まれも育ちも東京なんでこういう原始的…っていうんですか?弥生時代からひとつも変わってませんみたいな潔い風景、感動するんですよね~。いっぱい写真撮ってSNSで拡散しようかな?俺の周りも、田んぼ見たことない奴ばっかだし。」 サヤカの眉間にギュン!とシワが寄ったのを見、後ろ手に思いっきり伊澄の腰をしばく。すると、サヤカのとなりのおばあさんが突然でかい声を上げた。 「…誰じゃったかいのう?」 狭い村とはいえ人付き合いをしてなかったので分からないが、たぶんサヤカの祖母だ。サヤカはここぞとばかりに、そこそこのボリュームでおそらく祖母に耳打ちした。 「ほら、はよおーに親が死んでもうてさ…」 「ほぉほぉ…」 「神さんおらなんだ、あの家の子さ…」 老婆はかっと目を見開いた。 「…ああ。あの子か。あれから東京に行ったぁ聞いとる。親もおらんのに…何の用かいね?」 ぽかんと口を開けた私を見て、サヤカはさらに前へ出た。 「ごめんねー!おばあちゃん昔の人だから、思った事そのまま言っちゃうの!もう先も長くないからさ〜許したげて!」 「べ、別に…。」 …居心地悪いのは、昔も今も全っ然変わらないな。月日が経てば、少しはましに…なんて思ってた自分、ホンットバカだ。己のバカ加減に、思わず笑った。 「ははっ…。」 そこでふいに、伊澄が耳元に口を寄せた。 「先生、帰りましょう。」 「え?」 伊澄はじっと前を見据えたままだ。鋭い眼光は、睨んでいるようにも見える。 「いいんです、もう。」 「…ありがとう。でも私が住んでた家だけ、見て行こうか。」 「先生がそれでいいなら。」 私は静かに頷き、サヤカに向き直る。かつてのいじめっ子に対する恐れはすっかり消えていた。 「急いでるから、じゃあ。」 「え?あ…お、お元気で…」 まだいびり足りない様子のサヤカとおばあちゃんを背に、私達は歩き出した。 ・・・ サヤカたちから少し離れただけで、伊澄はとんでもない事を言い始める。 「もっとコテンパンに言い負かせば良かったなあ…。今時珍しくないですか?あそこまでマウント取ってくる人。」 「君、意外とヤンチャな中身をしているね…。」 「元ヤンに見えるって言いたいんですか?まあ、涼子は元ヤンですけどね。」 「嘘!?」 「嘘です。」 「…。」 しばらく歩くと、懐かしい生家にたどり着いた。 もはや廃墟同然で、所有権すらないのだが。 「わー、なんか廃墟だなあ。」 苦笑いする私を、伊澄はじっと見ていた。 家を眺めていると、色んな記憶が蘇ってくる。ここは、イズクおじちゃんと暮らした場所だ。今にもガラッと戸が開いて、おじちゃんが出てきそうだった。 「入りますか?中。」 「いや。もう十分だよ。」 ていうかこれ以上ここにいたら、なんか泣いちゃいそうだし。目が潤んできたのを誤魔化すように、私は切り出した。 「帰ろっか…バスの時間もあるし…ってちょっ!!あと数分なんですがっ!!!!」 「え?」 「だーから!バーーースのお時間ッッ!」 最終バスが出るまであと5分というとんでもない事実に気付いた私は、即座に全力ダッシュを開始した。だって一人でも先に行ってバスを留め置かねばマジで、マッッッジで… 帰れまテンッ!!!! しかし… 「ちょっ、そこのバスストップストップ!バスストーップ!!まってヘェー…!!」 アラサー女の全力虚しく、無情にも数メートル先でバスは去った。 「ゼェハァ…死んだ…。」 「お、お疲れ様っした…」 「この…モヤシ!!」 「よく言われます…。」 「はあぁぁー…どーするよ、もう…。」 どーするも何もなく私達は、とりあえず街に向かって歩き始める。死の様な沈黙の中で人里にたどり着いた頃には、電車は当然なくなっていた。 「なんか路線案内みたらさあ…途中の駅から午前5時発になんだけど?絶対何かのミスだよね?うん絶対そう!」 「終電過ぎてるだけです」 「クッ…」 言葉にならない私に、伊澄は腹立たしいほど冷静に宣告する。 「仕方ない…。ホテル行きましょう。」 「はば!?」 「別室ですよ、当然…。つか『はばっ』って何?」 伊澄はクスッと笑い、サッサとビジネスホテルへ歩き始める。 「はぁ?ばっかじゃねぇーの…の略だわ…!!」 ・・・ 数分後。あろうことか我々は、さらなる悲劇に直面していた。 仕方なく入ったビジネスホテルのカウンターにて、私は伊澄の脇から身を乗り出しホテルマンに詰め寄る。 「お部屋が一室しかございません…ですって…!?」 「ええ、はい…申し訳ございません。」 「まってまって他のホテルとかと連絡取れませんかね?あと一室だけでいいんですよ~っ!」 「あいにく、今日はどこも満室かと。というのも明日、満を持して地元の大祭が復活するので、全国から観客が結集しているんです。」 「えっ、大祭ってあの、日本十大奇祭の…」 「「『ゴウガシャドンコ祭』!!」!?」 純都会産の伊澄を置いて、私とホテルマンのテンションは爆上がりだ。 「ウワーッまさかあの祭が…ていうか、やれてなかったんだ?」 「はい…ここ数年不漁が相次ぎ…」 「そりゃあまあ…にしても、よかったよかった」 「何ですかその祭…。そもそも十大奇祭って単語が初耳なんですが。」 「ゴウガシャドンコ祭、通称ゴンコ祭りを知らないとは…。ゴンコ祭りは非常に美味い川魚・ドンコの豊漁を願って人々がプチトマトをぶつけ合う熱いお祭りなのだよ。」 「はい…最近はミディトマトも解禁されて…街中トマトスパゲッティーみたいになるのがもうエッモ過ぎてエモ過ぎて。」 「分かってるね君〜。地元の子かぃ?」 「ゴンコに魅せられた移住勢です(キリッ)」 「もうどこから突っ込んでいいのか面倒くさいんで、とにかく相部屋って事でいいっすか?」 「ちょまっ!」 「…ですよね。じゃあ僕は適当に他当たりますので。今日はありがとうございました。」 伊澄はドライ&クールに自動ドアに向かった。他当たりますって、ホテルマンにも聞いてダメだったのに…ホンット、こういうとこあるよなあ!!私は伊澄の前へ回り込み、仁王立ちして宣言した。 「陶野君待ちなさい…相部屋、しましょう!!」 『レッツ・相部屋』宣言後、ロビーは水を打ったように静まり返る。みんなが私を見ているぞ。あ、もしかして今の私…『公衆の面前で若い男(イケメン)に言い寄る変態女』かな?? サーーーと血の気が引く私に、伊澄は耳打ちした。 「『ご協力』ありがとうございます。」 「あ、うん…。」 今にもロビーから逃げ出したいが、伊澄はまだ何か言いたげだ。 「…できればこれからはお互い、『色々と』気を付けていきましょうね。周囲の人に『誤解』されると困りますし。」 穏やかな口調に反して伊澄の目は明らかに『テメェマジで気をつけろや』と訴えている。 「ヒッ!すいません…。」 「誰かに見つからないうちに、さっさと部屋に入ってしまいましょう。」 「そ、ソウダネー、あはははは!」 私たちはフロントでカードキーを受け取り、渋々部屋へ向かったのだった。 所変わって数分後。ホテルの部屋(シングル)に到着した我々は、ベッドの端で項を垂れていた。 二人が考えていることは恐らく同じ。 『なぜシングルしかなかったのか』 もとい 『どうやってコイツと明日まで平和にやり過ごすか』 健全な一夜のキーを握っているのは完全に伊澄のほうなのに、なぜかコイツは両手で顔を覆い『ふー』とか言っている。まて、ため息ついていいのはこっちだぞ。こちとらロビーで痴女まがい、あまつさえ被害を『被る側』ぞ。 これ見よがしにため息をつき返してやろうと息を思いっきり吸った瞬間、スマホが鳴る。あ、やばいシズクに連絡忘れてた。 「も、もしもし?」 「マキさんっ!」 シズクは案の定、電話越しに息を荒げている。 「用事…まだかかりそうですか?」 悲しげな声色に、クゥーンと鳴く大型犬のビジュアルが目に浮かんだ。あれ?だから、シズクって魚なんだよな?そして事態はなんというか…非常に言いづらい。 「うーん、ていうか今日帰れなくなっちゃった。あれからちょっと訳あって、帰省してて。」 シズクは電話越しに固まっている。 「…シラミか何かになったんですか?」 「あ、そっちじゃなくて…『古里に帰る』的なほう。」 「それもキセイって言うんだあ。」 「知識が増えたね!」 「わーい…じゃなくて!」 「わっ、ビックリした…。」 シズクは突然声のトーンを落とす。 「マキさん気を付けてくださいよ…その、男とか。」 「はヒ?」 心臓が爆跳ねと同時に、声が思いっきり裏返る。『男』に気をつけるべきなのは間違いない。が、それがまさか、あの多重人格系男子・陶野伊澄という規格外である事を実は掴んでいるというのか?全力で周囲を見回すが、ドローンや監視カメラは見当たらず部屋にいるのは死んだ目をした伊澄だけだ。 「な、ななな何でっ?」 「なんとなく…いやな予感がして。」 「そ、そう。心配ありがとう。」 野生のカンか。シズクははーっとため息をつく。 「とにかく、気を付けてくださいね、マキさん可愛いんですからねっ!じゃ…おやすみなさいねっ!!」 矢継ぎ早に言い終えた後、電話はいきなり切れた。テロリン♪という終了音がやけに耳に残る。 …シズクよなんか騙してごめん。あと最後なんつった?かわいい…?いや、大した意味などないはずだ。きっとこれは人間が、金魚とかをみて『赤いべべ着て可愛いね!』と歌っちゃうくらいのやつだ。そしてこの頬の照りも大した意味はない。金魚が赤いべべを着ているようなもので…自分でも意味はよく分からないが…混乱するまま呆然とスマホを見つめていると、ふいに伊澄の声がした。 「…彼氏ですか?」 「…はい?」 「いや、電話の。」 伊澄は頭をかきながら、気まずそうに天井の角に目をやる。 「し、シズクのことか…まあ、ちょっと複雑かな。」 「あ、やっぱ忍者は嘘ですよね!」 「…。」 いかん、コイツの前で話しすぎてはボロが出まくる末路しか見えない。全力で話題を変えるんだ前田マキ。 「い…伊澄君はモテモテって感じだね!ヒューッ」 瞬発的にリオのカーニバル的テンションで囃し立ててみたが、伊澄の額にビキッと血管が浮き出る。 「バカにしてます?」 やべっ!やべっ!やはり、涼子含めて女性絡みは地雷源…。私は心の片隅に小さくメモした。作戦変更とばかりに私は咳ばらいをした。 「バカになんてしてないよ。誰からも関心持たれないよりはずっと幸せでしょ…真面目に恋愛すれば、きっと幸せになれるよ。」 うまくフォローしたつもりだったが、なぜか伊澄ははぁ?としらけ切っている。 「真面目な恋愛って何ですか??」 声は落ち着いているが、静かに殺気立っている。だがこちとら、これ以上の『年上らしいアドバイス』などできるはずはない。確実に私は恋愛経験に乏しいのだから…。私は即座に年上らしい演技すらをも放棄する。 「し、知らないよそんなの…。」 伊澄は、はっと乾いた声で笑う。 「知りもしないのに、よく講釈垂れますね。」 「ちょっと。私一応『先生』なんだけど。」 自分の事は棚上げ承知で言ってみると、伊澄はあからさまに嘲笑を浮かべる。 「今はもう、そういうのいいでしょ。少なくともここは学校じゃないんだし…そもそも僕ら大人同士だし。」 伊澄は、はああと息を吐きながらベッドに仰向けになる。 そりゃまあ確かに、『僕らは大人同士』だが。伊澄の言葉のせいで、状況の際どさを再認識する羽目になった。 ブーン…という静かな空調の音と間接照明がやけにいかがわしく見えてきたので、私は新たな決意を固める、よし、能天気な声でこの場の空気をブチ壊そう。 「まあー、そうだよね!よく分かんないけどぉ、『真面目な恋愛』っていうのはさ…少なくとも、その相手と真面目に向き合ってこそだよね!」 数秒間たっぷり間をもたせ、『シカト、かな?』と思いかけたその瞬間伊澄はだるそうに寝返りを打ち、背中を向けてきた。 「アドバイスあざまーーーす。」 「伊澄君…立場分かってる?」 「必修単位はもう足りてるんで、大丈夫でーす。」 「は、嘘!?早くね?!」 この時期に必修単位を取り終わった学生など伝説だ。思わぬ『伝説』の登場に身を乗り出した私を意にも介さず、伊澄はふらっと立ち上がる。 「シャワー、先使っていいですか?」 「へっ…あ、ああシャワー。どうぞ。」 「あざす。」 伊澄はペラペラのスリッパをパタパタ言わせてシャワーへ向かう。年下のくせに手馴れたセリフを…と歯噛みしたが、よく考えれば彼は何もいかがわしい意味で言ってはいない。むしろ勝手に妄想した私に罪があるのかもしれない。いや、別に、したくてしたわけじゃ。というかむしろ、したくなかったのだけれども。 ・・・ 伊澄の後に続いてシャワーを浴び終えると、再びシングルベッドの両端で地獄の時間が始まった。さらに悪いことに、今度はお互いバスローブだ。もういっそボコボコにされて意識を無くしてしまいたい。ってかめっっっちゃしんどい。早く寝たい早く寝たい早く寝たい。 スマホのメモに『はやくねたい』を連打していると、伊澄は突然立ち上がる。 「ベッドは一人で使ってください。」 「え?」 「いや、さすがに同じベッドで寝れないでしょ…。」 いやいやこの前、同じベッドに上がり込んてきたのそっちだかんな?…まあ、正直ありがたいが。 しかし、その部屋には、哀しい現実以外の何者も用意されていなかった。 「「…オットマン的なやつしかねえ…。」」 「クソッ…後でレビューに☆1付けてやる!!」 「まあよく考えたらビジホのシングルなんて、これが普通か…。」 我々は再び頭を抱えたが、そろそろ眠気は限界だ。というか明日寝坊でもして再び帰れなくなったらいよいよ目も当てられない。深刻な表情で頭を抱える伊澄も、どうやら同じ心境のようだ。私たちはいよいよ、腹を括るしかなさそうだった。 狭苦しいベッドの中央にまくらタオルその他諸々を敷き詰めた簡易板「仕切り」を隔て、我々はどうにかベッドをシェアしつつも己がスペースを確保して夜を明かす方向で一致した。実際問題お互いヘトヘトなのは確実なのだから、伊澄も性欲云々の前に寝落ちるだろ。というか、いまはただその考えに縋るしかない。 不穏に跳ね続ける心臓を抑えて必死に眠ろうとしていると、あろうことか伊澄のほうから声をかけてきた。 「…緊張してます?」 私はまくら越しの伊澄に向かって鬼の形相を向けた。してるに決まってるだろうがっ!ヒャクパー恐怖からくるやつがっ!! 「君はもしかして…興奮してないよね?」 いやいや私もなに口走ってる。こんな事を聞いてもデメリットしかない。正直、眠気と緊張で頭がバグり始めてるんだ。伊澄が沈黙しているのを良い事に、私は二の句で誤魔化しをかける。 「と、とりあえず落ち着いていようよね…私たち、仲良く平和な関係を築いていこうよね…。」 「落ち着けるわけないでしょ…何でこんなことに…。」 苛立ちを隠せない声色に、堪忍袋の緒が切れた。 「元はと言えば、今日だって陶野君のために来てるわけで…!」 しかし伊澄は思ったより強情だ。 「…すみませんでしたねっ」 反省感ゼロの声で、まくらタワーの向こうで寝返りを打つ気配が伝わってくる。あーもうドチャメチャに論破してミソクソに泣かしてやりたい。先生ごめんなさいって土下座さしたい…ただもう眠いし、不毛すぎる。 「もう寝るからね!!電気は消さないからねっ!」 「あーもうどうぞ!ご自由に!!」 『おやすみなさい』など死んでも言うかという点だけは、双方一致していたのだった。 ・・・ 不思議な夢を見た。川の近くに、いずくおじちゃんが立っている。声をかけたが、おじちゃんは魚になって、川へ入っていってしまう。 川のそばで何度もおじちゃんを呼んでいると、いつしか隣にはシズクが立っていて、私に微笑みかけていた。 場面が変わる。 いずくおじちゃんが、手を繋いで、小さな子供と歩いている。小さな子供は見たことがないが、私は彼を知っていた。あれは、伊澄だ。ふいに二人の傍らに、もう一人いることに気づいた。あれは…涼子だ。 ・・・ 目覚めると、伊澄はすでに着替えを済ませ、ベッドの正面に座りスマホを眺めていた。 「うわっ!?」 「おはようございます。」 「は、早いね…」 伊澄はうんとうなずくと、なぜか急に語りだした。 「僕昨日、ホンット久しぶりに…まともに寝れたんです。何でかは、よく分かんない…んですけど。」 「それは良かったね…。」 「もしかしてそれ、先生のおかげなんじゃないかとか思ってて。」 「はい??」 「なんていうか、変な話なんですけど、気持ちが落ち着いて、安心して寝れたっていうか…。」 「私は全然寝れていないがな??」 「いや、熟睡してましたよ。さっきまで見てたので」 「寝顔見られたんかい!」 「なんで嫌がるんですか?…結構可愛かったですよ。」 「…?」 「…」 なぜか顔を赤くする伊澄。 「あの、良かったらこれからも連絡取り合いませんか。また村のことも聞かせてほしいし。先生にとっても、僕の母の研究は興味ありますよね?色々とお伝えできることがあるかも。」 「え?私は別に村のことは…」 「いいから、生徒の頼みと思って受け取ってください。」 連絡先を書いた紙を無理やり手に握らされる。眼前でメモを破り捨てる勇気のない私は、とりあえず渡された連絡先をポケットに突っ込んだ。 ていうか、人ってたった一晩隣で寝たくらいで、こんなに懐くもんなの…? そこで伊澄が『チェックアウト時刻だ』と言い出したので、バスローブ姿の私はリアルに3分で支度を終える羽目になったのだった。 ・・・ ようやく辿り着いたハブ駅で、私は思いっきり背伸びする。 「っあー祭り行きたぁーいっ!!」 ペットボトルのお茶を飲んでいた伊澄は、醒めた目で私を見た。 「今からでも行けばいいじゃないですか。」 「あのねぇー、大人には仕事ってもんが…」 半ば自分に言い聞かせていると、案の定伊澄が『先生が行くなら僕も行こうかな』と不穏すぎる事を呟き始めたので、とりあえず大声を出しておいた。 「あーでも仕事あるもんな!絶対帰んなきゃだわー!!シズクも待ってるし!」 何気なくシズクと口にした瞬間、辺りの空気が凍りつく。数秒の沈黙の後、伊澄は静かに口を開いた。 「先生って、彼氏いないんですよね?」 護身用にシズクを『実は彼ピ』してしまおうかと思ったが、仮にでも『ペット』を彼氏呼びすると私の中で何かがおかしくなる気がしてならない。 「まぁ…いないっちゃいない。」 「それは良かったです。」 伊澄はクールな瞳で微笑む。 「あ、そう…。あっ!電車来た電車!!」 私はナイスなタイミングでやってきた電車に、意気揚々と飛び乗った。 ・・・・ 電車内でまどろんでいると、昨日見た夢がフラッシュバックする。いずくおじちゃんとシズク、陶野親子とおじちゃんの相変わらず不思議な組合わせだ。唐突に、割れるような頭痛が始まった。 「…先生?」 「ち、ちょっと頭痛くて…っ、でも大丈夫だよ、あとちょっとだし…。」 伊澄は冷静に私の目を見て言う。 「…我慢できなくなったら、すぐに降りましょうね。」 「あ、りがとう…。」 最寄り駅に着くまで、伊澄はずっと私の肩を擦ってくれた。 駅を出ると、伊澄は意外に強い力で肩を貸してくれる。 「部屋まで送りますよ。」 「え、いいよ近いし…痛っ…」 「あの…悩んでる時間がもったいないんでとりあえず送らせて下さい。…後でどんな言い分も聞きますから。」 なぜか私より切迫した伊澄に気圧されるように、うんと頷いていた。
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