第七話 学校で喧嘩

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第七話 学校で喧嘩

 あの夜、火事が原因で幸せだった家族での生活は崩れ去った。  母さんは、逃げ遅れた僕達の友人涼香ちゃんを助けに行って亡くなってしまった。  だけど、もし母さんが助けに行かなければ涼香ちゃんが亡くなっていただろう。  二人ともに元気で生きていて欲しかっただけなのに、そうはならなかった。  自分の命よりも涼香ちゃんを優先した。  言い換えるなら「実の息子と娘が母の居ない子供になってしまう事よりも、近所に住んでいただけの息子、娘の友人を優先した」のだ。  そう考えると母さんは僕と麻衣を本当に愛してくれていたのだろうか?  こんな事を考えてしまう僕は人間としてどうかしているのかもしれないし、二人の命を天秤にかける様な思想は必死に彼女を助けようとした母さんへの冒涜なのかもしれない。  でも母親と言うのは子供にとってそれだけ大切な存在なのだ。  僕は母さんに生きていて欲しかった。  息子が母親を大切に思う気持ちはそんなにも不思議な事なのだろうか?  そんな事を考え続けて何日も眠れずにモヤモヤとしている。  涼香ちゃんはこうやって無事に生きていると言うのに、それだけでは素直に喜べない自分が何だか嫌になる。 「心配をかけてすいませんでした……」  授業ラスト十分、皆の前で話をしたいと言った涼香ちゃんの為に担任である藤田先生が授業を一部削って時間を作ってくれた。 「涼香……元気になって良かったな……」  前の席に座る誠は後ろを振り向いて僕に小声でそう言った。 「あぁ、そうだね……」  彼にはそう返事をしたが、本当の事を言うと素直には喜べていない。  母親を亡くした人間によくもそんな事を言えたものだ……無神経にも程があると、そんな風に思っていた。  母さんは何故あの火事で亡くならなければならなかったのか?  もしも廊下で僕と麻衣が火に気が付かなければ母さんが家を出る事は無かったのかもしれないが、その場合は涼香ちゃんが亡くなっていたかもしれない。  仮に彼女を助けに行かなかったとしたら、あそこに居た消防隊員が救助の為に建物に入って、誰も死なずに済んだのではないだろうか?  これはあくまで「もしも」と言う条件を付けくわえて考え出される「想像」に過ぎない。  実際母さんは、もうこの世には居ないのだ。  その様な仮定の話はポッカリ開いた心の穴を無理にふさごうとしている行為に他ならない。  そんな事をいくら考えたって、苦しくなるだけなのは分かっているつもりだった。  教壇では火事の話やその後の入院した話を含めて心配をかけた事を謝っていた。  数日間は意識がなく、記憶が曖昧であるとも言った。  今は涼香ちゃん自身の話をしているのであって、そんな事を考えるべきでは無いと分かっていたが、彼女を助けた僕の母さんの事には一切触れられなかった事が凄くむなしく思えてくる……。  テレビでもインターネットでもニュースになっていて、母さんが死んだ事はここにいる全員が知っているし、通夜と葬儀は涼香ちゃんが眠っている間に済ませてしまったとは言え、それでも何処かで耳にして知っている筈だ。  僕は母さんの名前が出ないまま皆の記憶から消えてしまう事がどうしても耐えられなかった。 やるせない気持ちのまま机に顔を伏せていると、終了のチャイムが校内に鳴り響く。  他のクラスが授業を終えて、廊下は生徒で騒がしくなり始めるも、彼女は少し時間を延長して話し続ける。 普段の授業中なら「寝るな!」と担任藤田が怒るところではあるが、今は心境が分かっているからなのか流石に何も言ってこない。  彼にも人の心があったのか?と正直驚いている所はあるけれど、そっとしておいてくれるのはありがたい。 「心配かけてごめんね……お見舞いに来てくれてありがとう……」  授業が終わると、彼女は僕と誠の所にやって来て頭を下げた。  口には出さなかったが、自分の代わりに母さんが亡くなった事を申し訳なく感じている様にもみえなくはない。  怒っちゃだめだ……。  怒っちゃだめだ……。  怒っちゃだめだ……。  怒っちゃだめだ……。  怒っちゃだめだ……。  怒っちゃだめだ……。  そう何度も何度も心に言い聞かせた筈だったのに、いざ彼女を目の前にすると、どうしてもマトモな事を言う事ができなかった。 「逃げ遅れたお前が母さんを殺したんだ……。  お前さえ居なければ、母さんは死なずに……」  涙が溢れてきた。 「ごめん……」  彼女の責任ではない筈なのに、絶対に言ってはいけない言葉を本人の前で口に出してしまった。 「お前、その言い方はいくら何でも……」  そんな事は分かっている。  でも僕の心はボロボロで悲鳴を上げていたんだと思う。 「ごめんね……ごめん……」  耐えきれず、彼女を泣かせたまま教室を出た。  こんな事を言うつもりではなかったのだと思うけれど、出てしまった言葉は消せず、取返しもつかない。  校内には下校しようとしている生徒たちがたくさん居て、ぶつかりそうになりながらも廊下を走った。 「おい危ないだろ、廊下は走るな!」  まわりからはそんな声も聞こえていたが、気持ちの行き場を失った僕にとってはそれどころではなかった。  全速力で走っていた事もあって壁の死角から出てきた生徒とぶつかり、転倒する。  そこに居た人達は一斉にこちらを見たが、殆どの人にとっては他人事で、自分とは無関係なのだ。  中には「大丈夫?」と聞いてくれる人も居たけれど、それは「転倒に対して」である。  母親が亡くなり、何の責任もない友人に酷い事を言って傷付けているのだから大丈夫である筈がないではないか?  そんな風に色々と考えていると頭はぐちゃぐちゃで、寝不足のせいか気分が悪くなった。  吐き気を催し、トイレの個室に駆け込むと今度は涼香ちゃんの事が頭によぎった。  彼女は引っ越してきたころ、まわりに馴染めなくて、いつも一人だった。   クラスメイト達に虐められてはトイレの個室で隠れて泣いていた。  理由は違うかもしれないけれど、辛い事があった日にこうやってトイレにこもっていたあの子もこんなどうしようもない気持ちだったのだろうか? 「助けよう」と言い出したのは僕だった。  仮にだけど、母さんが「我が子の友達だから」と放っておけず、助けに行ったのだとしたら…… あるいは、よく知っている子だからか?  どちらにせよ、彼女をクラスメイトの虐めから助け出さなければ母さんは今頃元気に笑っていたのかもしれない。  そんな風に考えてしまうけれど、「困っている人が居たら助けろ」と言う教えを受けてきた僕は仮にこうなると知っていたとしても、彼女を放っておく事ができなかっただろう。  彼女の責任ではないと何度も心に言い聞かせたと言うのに、あんな酷い台詞を口にしてしまった。  そうでもしなければ心がどうにかなってしまいそうだったからだ……。  いや、既にどうにかなっていたのかもしれないとさえ思えた。  気まずい空気を作ってしまった事もあり、教室を出た後、長らくトイレの個室にこもって時間を潰してから下駄箱に向かった。 「お兄ちゃん!」  それなのに、麻衣が居る。 「どうした?待っていてくれたのか?」  次の瞬間、凄い音と共に左頬に激しい痛みを感じた。 「何でそんな事言ったの!  母さんが死んだのは涼香ちゃんのせいじゃないのに!」  彼女はその場で泣き出した。  泣きたいのは僕も同じだったが、何とか耐えた。 「ごめん……」  としか言えず、ただひたすらに妹が泣いている姿を見ている事しかできなかった。  しばらくして、上級生が下級生を虐めているぞとでも聞いたのか、生徒指導の先生がこちらに走ってきたのが見えたので彼女の手を掴んで校門を出た。 「……謝るのは私にじゃないよ。  明日、涼香ちゃんと話して!」   僕だって涼香ちゃんにそんな事を言うつもりは無かったし、母さんが死んだのが彼女の責任だなんて本気で思っていた訳ではなかった。  翌日、許してもらえるまで心を込めて謝ろうと思っていたのだが、彼女は学校を休んだ。  理由は体調不良であったが、僕のせいなのは言うまでもなく、その事はクラスメイトのほぼ全員が知っていた。
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