仕事

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「それで、仕事って?」  佐伯は辛めのジンジャーエールを片手に、フライドポテトを摘みながら訊ねる。 「正義の影に隠れた殺し屋の殺し」 「俺じゃないだろうな?」 「佐伯くんは偽善者。少なくとも偽善ではあるわ」 「偽善者ね。その通りだ」  悪を裁く悪。薫の言う通り、偽善以外の何ものでもない。全く以て滑稽である。 「詳しいことは聞いてないのか」 「少なくとも私は気にしない。殺し屋なんてそんなもんでしょ。私は明日、佐伯くんに殺されたって恨まない」 「そうかい」  佐伯は鼻で笑いながら、ジンジャーエールを呷る。 「で、もう一人。メインターゲットは汚職塗れの警察官僚。保身と昇進の為なら、冤罪、脅迫なんでもござれ。その上、裏では政治家ともつるんでるとか」 「おい、いつからそんなに人気者になったんだ?」  殺しの依頼など、そう滅多にあるものではない。あったら堪らない。にも関わらず、薫は今、随分と潤沢に仕事を抱えているようだ。それだけ薫が気に入られているのか、或いは長いこと放ってはおけないターゲットなのか。 「違うの。同じ依頼主なのよ」  薫が意味深な表情でそう言った後、腕時計とスマホが同時に振動した。この着信音は、十コール以内に出なければならないものだった。  立てた人差し指を唇に当て、薫に向かって首を振る。 「仕事だ。ターゲットは警察官僚と殺し屋」  なるほど。こちらにも仕事が回ってくるとは、依頼主は余程この二人が憎いらしい。 「詳細は?」 「今回は特別だ。近くにお友達がいるだろう。彼女から聞くといい。それでは」  電話は、それだけ言うとふつりと切れた。  何かきな臭い。確かに佐伯は今、薫と二人でバーの奥の席にいる。このことを知っているのは別におかしな話ではない。それほどまでにボスのネットワークは強力なのだ。ボスに対して疾しい何かがある人間にとっては、恐怖でしかないだろう。  違和感を覚えたのはそこではない。「詳細は」と聞いて、いつもの方法が提示されなかったことだ。  普段ならば自宅の最寄り駅か、今いる場所にほど近い駅のロッカーに資料が入れてあり、その鍵はロッカーに向かうまでに彼のポケットの中に滑り込んでいる。端的に言えば、スリの逆をされるのだ。  それを「今回は特別だ」という一言で片付けたところに、唯ならぬ何かを感じた。 「詳しくは薫に訊けってさ」 「佐伯くんのボスのところにも話が来たんでしょ。かなり大きなヤマってことよ」  確かに、既に詳細を把握している人物と一緒にいることを知っているのであれば、あくまで組織としての情報機密性は保てる。一応、理には適っているというわけだ。 「それじゃ、情報共有してもらえるかな」 「出世の為に手段を選ばない警察官僚と、腹心の仕事人か。よくある組み合わせだな」 「で、この警察官僚が明日から旅行に出るらしいわ」 「仕事人の方は?」 「もちろん一緒よ。さしずめ、護衛ってところじゃないかしら」 「セットで動くから、そこを叩けってことか。随分簡単に言ってくれるね」  場所は八ヶ岳高原にあるリゾートホテル「グランリゾート・シュプール」。  四階からなる白を基調とした建物は、車で五分のところにあるスキー場からの輝きを受けて一層輝いて見えている。宿泊可能人数は最大で二十人程度。  今の季節はさぞ多くの観光客で賑わっていることだろう。だが悪条件というほどでもない。居合わせた客たちには少しばかり申し訳ない気持ちにもなるが、人混みに紛れて動けた方が都合がいいことの方が多いからだ。  その分、ある程度の行動は制限される。佐伯がこれらの道具を使うことはほとんどないが、例えば銃火器や刃物はよろしくない。血の汚れというのは実に厄介なものだ。  人に紛れてターゲットを始末するなら、スマートなのはやはり毒だろう。上手くいけば乱闘騒ぎにすらならない。  佐伯は頭の中でプランを練りながら、薫のラップトップに映し出された資料によく眼を通す。ターゲットのプロファイルから推測して、行きそうな場所やルートを類推し、どのタイミングでどのように接触するかを入念にシュミレートする。  最も成功率が高いのはやはり食事の場だろう。感情的にもオープンになるし、行き交う人の数も多い。何より、口に含ませるタイプの毒を使いやすいというのもある。  次に、毒を使うのであれば何が一番効率的だろうか、と思考を巡らせる。出立は明日だから、大層なものは手元になければ用意できない。彼の頭の中では、毒物の在庫整理が行われていた。 「悪いこと考えてる顔ね」 「殺し屋が悪いこと考えないでどうする」 「とにかく、やる気になってくれたようでよかった。流石に私一人じゃ荷が重いと思ってたのよ。部屋も取っちゃってるしね」 「ボスからも指示があったしな。仕事人の方はともかく、汚職官僚は文句なしで悪人だろう」 「じゃあ決まり。明朝、家まで迎えに来てね」  そう言うと彼女は、素早く手荷物をまとめ上げ、煙のように去っていった。佐伯はこれまで、薫のことを誤解していた。彼女はマイペースなどではない。ただただ、自己中心的な性格なのだ。まっすぐしっかりとした芯があると言えば、聞こえは良いかもしれないが。ものは良いようである。  さて、そうと決まれば自分も動かねばならない。佐伯は残りのジンジャーエールをかっと飲み干し、カウンターの奥で静かに仕事をしているマスターに声をかけた。 「マスター。ご馳走様です」 「次の仕事に出るのかい?」 「ええ、明日ですって。人使い荒いですよね」  言いながら、千円札をカウンターに置き、それを向こう側に差し出した。時代の波に取り残されたこの店は、もちろんキャッシュレスなどには対応していない。カードすら使えないのだ。  以前、スマートウォッチを初めて買った時、年甲斐もなく緊張しながらそれで支払おうとして断られたのも、今となっては立派な笑い種である。 「お代ならもう貰ってるよ。薫ちゃんが置いていったからね」 「ああ……そうですか」
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